第37話 臍下丹田

 せいかたんでん。さいかたんでん、ともよむ。

 へその下1寸ほどの位置にある。

 そこに気力を集中する。

 話は、それからだ。


 今週日曜、2021年10月10日の日曜日・朝のこと。

 例によってプリキュアに集中すべく、携帯の電波は切っている。

 とある宿泊先では、内線電話も間違いなくかかってこない。

 私が何をしているかは、もう知れ渡っておるのです。はい。


 まずは、集中すべき時間をさかのぼること1時間ほど前。

 一つ、記事を書き上げた。

 前々回の東京五輪開幕式の日、1964年10月10日。

 この日行われた、日本シリーズ第7戦を題材の記事をアップした。

 南海ホークスのジョー・スタンカ投手に係る記事である。

 プリキュアの前のサンデーLIVEは、その時間、大谷選手の特集を放送していた。


 さて、それからいよいよ、プリキュア。

 今回は、「あざとカワイイ」とまで言われるぶりっ子(揃って松田聖子さんを思い起こさせる母子の娘)少女・涼村さんごちゃんが大活躍の回。

 彼女はなぜか、ファッションショーに出ることになった。

 しかし、予行演習でランウェイを歩いていて、こけてしまった。

 そのシーンを見た私は、思わず、ある野球選手を思い出した。


 毎日(大毎・東京)オリオンズの榎本喜八選手。

 榎本氏が現役時代打撃道を極めるにあたって重要視したのは、「臍下丹田に意識を集中する」こと。

 氏の打撃の師匠である荒川博氏が合気道に造詣があり、そこから来たもの。

 その荒川氏さえも最後はてこずるほど、打撃道を極めに極めた榎本氏は、現役引退後、一度も野球界から声がかからなかった。

 私は榎本選手の現役時代を知らない。しかし、高校生の年代で野球関連の本を読んでいた頃はまだ、存命だった。とある雑誌に榎本氏をインタビューした記事が出ていたのを、読んだことがある。当時榎本氏は不動産賃貸業、言うなら、「大家業」で生計を立てておられたそうである。そう、ご本人がおっしゃっていた。

 その記事で私は、「臍下丹田」という言葉を知った。

 なんか、とにかくこの人はすごい人、という程度の意識しか、当時はなかった。


 時が経って、2014年頃。当時住んでいたのは兵庫県の明石市。近隣の図書館および「勤務先」のある岡山県の県立図書館などから、多量の本を借りまくっていたその頃、榎本氏に関わる本を図書館で見つけ、読んだ。

 ある時、西明石駅から各停で神戸まで出る用事があった。その本を持って電車に乗っていたのだが、全国軟式野球大会で来ていた、確か敦賀気比高校の野球部員と思しき若者が、私の本を見て、なぜかびっくりしていたのが印象に残っている。

 私でさえも現役時代を知らないのに、その私より親子ぐらい離れたかの青年らが、知っているとも思えないけどなぁ・・・。


 それからしばらく、榎本氏の名前が意識されることなく、つい先日まで生きて参った。その間私は50歳になり、ついに、ガンでなくなった養母でもある父方の祖父母が亡くなった年を超えた。

 でも、プリキュアはやめられない、とまらない(わっはっは)。そういえば、教え出したらやめられない止まらない人も、いたな。榎本さんの同僚の、山内一弘さん。

 あの本では、大阪遠征から夜行の「あさかぜ」のナロ20(2等級の1等車。今のグリーン車)で東京に戻る際、野球談議をしながら車中を過ごした話があった。山内選手は後に、小山正明投手とのトレードで阪神に移籍した。そのことも、榎本選手に孤独感をより増幅させる一因となったようである。もし山内選手がオリオンズにとどまってくれていたら、後の奇行はなかったかもしれないし、あってももう少し軽いものだったかもしれない。


 かくして、プリキュアが始まった。

 さんごちゃんの「かわいい」を届ける夢は、結果的には、かなえられた。

 そこはまあ、予定調和だから、いい。

 問題は、そこじゃない。

 そこに至る過程で、彼女が、ランウェイでこけたシーン。

 そこで私はふと、ある言葉を思い出した。


 臍下丹田。


 そう、彼女は、臍下丹田に意識を集中できておらず、緊張のあまり気持ちが浮ついていたからこそ、あそこで、コケたのだ。

 そういう意識を持って制作者がこのシーンを制作したのかどうかは、定かではない。しかし、彼女の動きを見ている私には、彼女の緊張状態は、まさに、臍下丹田を意識することによって克服できるものであると、すぐに悟った。

 それは決して頭の中で理解して、というものではなく、身体全体に衝撃を与えられたような形での理解、言うなら、悟りともいうべきものであった。

 そして私はついに、と言っても、物語のラストに至る時までには、あの野球人の名前を思い出していた。


 榎本喜八(毎日・大毎・東京・ロッテ。最後の1年のみ、西鉄)

     1955年新人王、1960・1966年に首位打者

     ~2度目の首位打者は、野村克也(南海)の2年連続三冠王を阻止。


 そうか、榎本さんのあの言葉!

 あそこに、物事の極意があるのだ!


 プリキュアになる女子中学生・涼村さんごちゃんの課題と、野球の神様とまで言われた大野球人榎本喜八との共通点は、まさに、ここだったのだ!


 かたや、「かわいい」を届けるために。

 かたや、野球道(打撃)を極めるために。


 どう見ても正反対の方向性で、接点なんか、どこにもないように思える。また、そう思うのが普通だろう。そんなものを並べて引き合わせる私も、どうかしているのかもしれんわな。いや、どうかしているだろうな(苦笑)。


 しかし、だ!

 私はこの二人の存在を知ることで、人の本質を知ることができたと思う。

 確かに正反対の方向性の人物たちで、ひとりは実在しない女子中学生、ひとりはもはや鬼籍に入った元職業野球選手。

 だが、そこには明らかな共通点があることを、私は見抜くことができた。


 気づいたら、プリキュアのエンディングのテーマがかかっていた。

 「今日は、私とおどろう!」

 この日のその言葉は、さんごちゃんが変身した、キュアコーラル。


 そして、プリキュアは終了。

 チャンネルを変えたら、既に、榎本氏と同時期の野球人・喝御大こと張本勲氏(東映ー巨人ーロッテ)が出演されているスポーツコーナーが、既に始まっていた。

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