第5話 自己完結

    1

 20XX年10月1日。朝の9時。

 「Q先生、もう、生活保護でも受けたほうがいいですよ」

 学習塾をしていた頃の教え子、P君がやってきた。教え子と言っても、彼はもう60代半ば。すでに孫も何人かいる。私は、若いころからずっと、独身をとおしてきた。

 私の寝起きする学習塾兼自宅は、結構散らかっている。昔は、こんなことはなかった。毎日、人の出入りがあったからね。でも今は、それもほとんどない。

  

 1980年頃のこと。当時、学習塾を出してそれなりにうまく行きだした叔父が、この家を買った。叔父は思うところあって、私がこの教室を継いだのを機に学習塾をやめ、夫婦で別の場所に住んでいたが、十数年前に亡くなって久しい。

 私は、50歳を過ぎた頃に学習塾を完全に撤退し、作家への道に入った。確かに、それなりに売れた。だがこのところ、執筆は滞り気味。財産も、底をついてきた。

 それより、何もやる気が起きない。

 朝からでも、飲める日は酒を飲む。

 昼は、どこかの店で飲む。

 夜は早めに寝るけど、夜中の起き抜けにも、一杯酒を飲む。

 年を取るにつれ、朝が早くなった。日の出より早く、たいていは目が覚める。

 年寄りの朝の早さ、身をもって感じる。若いころのように、いつまでも寝ていられない。

 目覚めて早速、コップ一杯の水を飲む。

 しばらくしたら、とりあえずビール。

 本人曰く、信念を持ってのビールらしい(苦笑)。

 ときどき、その前か後に、朝ラーメンの店でラーメンを食べてくる。

 さすがに、大盛りは5年ほど前にやめた。

 月に2回、知人の散髪屋に散髪に行くときとか、誰かと会うときは、さすがに、昼から酒を飲んだりはしないが、それ以外の日は、朝からでも、飲めるときはビールを飲む。


 今日はたまたま、P君が来るというので、朝からは飲んでいない。

 「じゃあ、これから、市の福祉事務所に行きましょう」

 P君に連れられ、福祉事務所に行った。

 「要らんことは言わないでくださいよ」

 「ああ、わかった」

 念を押されて、福祉事務所の玄関をくぐった。取調室というか、面接室というか、狭い部屋に案内された。ほどなく、50歳前後の男性職員がやってきた。横には、若い女性職員。話は、淡々と進んだ。

 「Qさん、よく、いままで、生きて来られましたね」

 「80歳まで、よく生きてしまいましたわな」

 「それもそうですけどね、よく、お金もほとんどないし、年金もまともにない中で、飢え死にもせずに元気におられましたねと、言っているのです。とにかく、これではまともな生活なんか無理です。あなたのような人を放置しておくと、何が起こるやらわかりません。ですから、直ちに、保護開始の手続をします。それからPさん。Qさんのこと、よろしくお願いします。何かありましたら、私にご連絡ください」

 「わかりました。保護開始決定があり次第、こちらにお連れします」

 P君は、社会福祉士でもあり、行政書士でもある。こういうときに、教え子というのは助かる。彼はO県庁をすでに定年退職し、自身で行政書士事務所を立上げている。

 いざとなれば、彼に頼めば何とかなる。


 保護開始決定は、程なくおりた。約2週間後の朝、再び私はP君に連れられ、福祉事務所に行った。この前と同じ部屋に案内され、1か月分の保護費とやらの名目のお金を受取った。来月以降は、銀行の口座振込になる。

 「先日お話したところ、Qさん、あなた、この数年来、歯医者以外は病院にもいかれていないじゃないですか。そのお年で健康なのは何よりですけど、一度、近くの病院で診ていただいた方がいいのでは? ご希望でしたら、医療券というものを出しますから、それを持ってその病院に行ってください。ブッチャケね、「タダ」なんですから、診てもらわない手はないと思いますけどね・・・」

 「何か、面倒ですなぁ・・・。病院で与太話しとるジジババの同類には、なりたくないですよ、この年になって言うのもなんですけど、ねぇ・・・」

 「何も病院で与太話をしろとは、言っていませんよ。まずはね、あなたのご近所に、丸×クリニックってあるでしょう。そこで、診察を受けてください。何もなければそれでよし、何かあったら、これを機会に治療すればいい。今どき、100歳を超えて生きている人は何人もおられます。あなたも、それくらい生きる可能性、十分ありますからね」

 「私、そんなに長生きする気、ないですから・・・。もう、いつ死んでもいいですよ。この世にも、すっかり、飽きてしまいましてねぇ・・・」

 「あなたは作家として、情緒論の通用する方ではないことは、作品を拝読して存じ上げております。ですから、私も、情緒論を排除して申し上げますね、この際。あなたご自身がこの世に飽きようが楽しもうが、あなたにとって可能性のあることに対しては、きちんと対処していただくよう指導するのが、ケースワーカーとしての私の仕事です。よって、とりあえず、病院に行ってください。Pさんがおすすめの丸×クリニック、お近くにありますよね。まずは、そこで受診していただきます。では、どうぞ」

 職員は、すでに用意していた医療券を私に手渡した。ついでに、ゴミ袋ももらった。生活保護受給者に対しては、一定量のゴミ袋も支給されるのだ。そりゃそうだ。金がないのをいいことに、ゴミ屋敷にされちゃ、たまりませんからね、との由。


 丸×クリニックで、その日のうちにさっそく、診察を受けた。

 年齢相応・酒飲み相応に悪い部分はあったが、どうというほどのことはなかった。 「不摂生不相応」に良すぎる結果だったと、言うべきかもしれないね。

 幸か不幸か、それほど大きな病院じゃなかったし、昼過ぎだったこともあって、同世代の老人はほとんどいなかったし、特にだらだら話すようなこともなかった。担当の医師は、その病院の創立者の娘婿で、現在50代の男性だった。看護師は、どう見ても50代以上。

 若い女性は、いなかった。残念(苦笑)。


   2

 私の生活は、あの日から、少しばかり潤いができた気もする。

 毎月初旬には、O市から私の通帳に、お金が入ってくる。

 自宅の土地と建物は、すでに売っている。毎月いくらかの家賃を買主に払う生活がこのところ続いていたが、その家賃も、これからは市が負担してくれる。いちいち手続するのが面倒なので、市の福祉事務所が、代理で家主に払ってくれるようになった。P君がそのあたりを見越して、家賃を生活保護の補助限度額ぎりぎりの金額に設定して、再契約をサポートしてくれているから、そのあたりは安心だ。しかも、この土地と建物を買ってくれたのも、別の教え子。早速、彼らが上手く手配してくれた。

 P君が副業で運営している学習塾の新聞に原稿を書くということで、月に1万円ほどの金をもらうことになっている。この程度の収入なら、生活保護の受給額が減らされることはない。近年、生活保護受給者で仕事をしている者に対する報奨金制度も拡張され、数万円程度までなら、保護費を減額されることはない。むしろ、働くことを奨励されている。かつては、生活保護を受けるなら働くだけ損だと思わせるような制度だったが、近年はそんなこともすっかりなくなった。私が小説を書いている頃に創立した運営会社は、今こそ半休眠状態で一切の給与をもらっていないが、そこには月数万円ほどの印税収入が入って来ている。それで均等割の地方税は賄えて、いくらかお釣りも来ている。経費と称して飲み食いなどはしていたが、このくらいでは生活費にもならない。

 なんだかんだで、生活保護サマサマである。

 

 ときどきP君に頼まれた仕事で、何やら書くことはあるけれども、そのくらい。

 朝起きたらビールを飲み、昼には買い物がてらに外に出て、酒を飲む。帰ってきたら、夜もまた、一杯あおって寝る。夜中に起きだして、ビールを飲んで、また寝る。そして朝起きたら、また、ビール。発泡酒や第三のビールなど、店でも飲まない。飲むのは、店以外なら、プレミアムモルツか、エビスビールといったプレミアムビールばかり。

 若いころからの習慣で、水分補給と称して水は飲む。

 病院に行く日は、朝だけは酒を飲まない。でも、帰ってくれば、また、酒を飲む。

 薬も一応もらっているが、よほど痛みがあるときの痛み止め以外、飲まない。

 ちょくちょく、市のケースワーカーが来るので、そのときはうちにいる。

 ふた月に1度かそこら、県外に泊りがけで遊びに出ることもある。それが大きな気分転換と言えば、そうだ。気が向いたら、パソコンに向かって、何かを書く。メールチェックは、若い頃は頻繁に行っていたが、今頃は、それも面倒なので、毎日1回かそこらだけ。

 そんなことより、まずは、酒。ビールは、いつ飲んでもうまい。

 二日に一度のペースで、銭湯か、駅前のサウナ、もしくは郊外の温泉に行く。風呂を出たら、また、酒を飲む。この年になると、酒はともかく、食べる量はかなり減った。食費もそれほどかからない。酒も、量をがぶがぶとは飲まなくなった。でも、朝昼晩と、極力欠かさず飲む。

 ビールは、やっぱり、ヱビスだ。


    3

 「80代作家の生活保護生活体験記」


 生活保護を受給して1年ほどたったある日、こんな題で、エッセイを書いてみませんかと、旧知の出版社の社長が企画を持込んできた。そんなこともあろうと思って、実は、酒を飲みながら、日々下書きを書いていた。私にしては珍しく、酒も数日間控えて(といっても、一滴も飲まなかったわけじゃないよ。朝だけは、控えました~苦笑)、1冊の本になるべく編集し、出版社に送った。程なくして、出版が決まった。

 しかし、数か月間は印税も入らない。相も変わらず、生活保護の生活。

 朝昼晩と、酒を飲む。 

 12月には数万円程度だが、年末手当も出る。

 これで、いくらか余分に酒が飲める。

 年が明けた頃、いよいよ、出版が本決まりになった。

 2月の半ば、印税が運営会社に入ってきた。しかし、それをすぐに生活費にできるわけじゃない。この会社の代表者、今は私じゃない。私の甥で、異父妹の息子だ。

 私は、運営会社の金を使って、取材と称して十数日間、旅に出た。インタビューを受け、謝礼をもらった。それは、運営会社の売上となった。

 保護はまだ、打切られない。旅から帰ると、3月分の保護費が入っていた。

また、朝昼晩と酒の生活になった。そんな生活も、長くなった。

 しかし、体調はさほど悪くならない。食べる量をますます減らし、いいものを食べるようにした甲斐もあってか、むしろ、健康になっているような気さえする。


 3月の彼岸を過ぎた頃、いよいよO市内でも桜が咲き始めた。花見なんてもの、若いころから興味がなかった。でも今年は、桜を見ておきたい。そんな気になって、近くの桜を見ながら、毎日、缶ビールを買って桜の木の下に出かけ、桜を見ながら酒を飲んだ。

 もちろん、ヱビスビールだ。安酒なんか、飲めるかい!

 桜を見ながら酒を飲む心地よさ。

 春風とは、かくも心地よいものだったのか。


 やがて、桜が散り始めた。


 20XX年4月16日。

 久しぶりに、ある親族に電話をかけた。


 20XX年4月17日。

 朝、出版社からのメールに返答した。昨年2月の旅のエッセイの重版が決まった。

印税は、今日にも振込まれるという。銀行に行って、朝一番に金をすべて下ろした。

 今生の別れとばかり、父はその日にギャンブルをしたそうだが、こちとら、そんなことをする気力もない。そうかと言って、大酒を飲むほどのこともない。

 デパ地下でカツカレーを食べて、近くで一杯飲んだ。

 自宅に戻ると、缶ビールが4本、冷蔵庫に残っていた。つまみには、いかの「くんせい」が一袋。それをつまみに、4本のビールを飲み干した。

 ビールはすべて、ヱビスだ。

 残っていたペットボトルのミネラルウォーターをコップに注いで、半分ほど飲んだ。

 昼寝には少し早いが、寝よう。

 敷いたままの布団に寝転んだ。

 

 翌日は、ケースワーカーが来る日だった。

 いつもは自宅のカギを閉めているはずなのだが、この日に限っては、開けて寝ていた。

 翌朝、中年の男性ケースワーカーが、やってきた。彼はこの春からの、私の地域の担当ケースワーカー。3月末に市役所で前任者に紹介され、一度だけ会ったことがある。

 「Qさん、おられますか?!」

 ドアが開けられた。程なくして、彼は私を発見した。

 その場で彼は、自分の携帯から、関係各所に連絡した。

 十数分後、警察と救急車がやってきた。

 やがて、甥夫婦ら親族がやってきた。そこまでは、見届けておいた。

 私の肉体は、その後、どうなったかはわからない。

 警察の調べで、「事件性はない」ものと判断されたらしい。

 それだけわかれば、長居は無用。

 後は野となれ、山となれ。


 あとで聞くと、甥が私の遺書を他の親族に示し、P君たちとともに、いい形で処理してくれたそうだ。前日ATMで印税とともに個人の通帳の金もすべてを出金していたので、甥が私がらみの支払いで困ることはなかった。私はさして現金を残していないが、借金も殆どなかった。ついでに言うと、私がこれまで作家として書いてきた著作物の権利等は、すべて、甥に譲ることにしていた。パソコンに残っていた下書きの何篇かが、私の追悼作品集ということで出版された。それらの印税で、甥夫婦は住宅ローンをいくらか早く返済できた。しかも、甥を会社の代表取締役の一人にしていたので、私が死んでも、即、会社は業務を滞りなく進めていった。

 何を考えたのか、甥は、私のペンネームを使って、二代目某と名乗って副業で物書き稼業を始めた。私に勝てるとは思いたくないが、存外、私より文章、上手いかもしれん。先祖伝来、と言っても、父方の祖父母から3代が眠る墓に、私の遺骨もおさめられた。甥にとっては私以外、何の血のつながりもない人たちなのだが、まあ、しょうがない。強いて言えば、彼の母方の祖母の元夫である人物が、いるには、いる。それが、私の父だ。

 生前、甥に渡していた遺書には、そこに遺骨を納めること、遺骨を納めるまでの責務を果たしたら、その先の墓参りは任意であり、義務ではないと、記しておいた。

 しかし、甥夫婦は、たびたび、墓参りに来てくれている。

  

    4

 「どうですか? こんな老後?」

 ぼくは、××ラジオの昼の番組で、この短編小説を披露した。

 パーソナリティーは、O大学の先輩、大宮太郎さんとたまきさんご夫妻。中学生のときからのお付合いがある。私には姉はいないが、たまきさんと私のやり取りは、どう見ても仲の良い姉弟にしか見えないと言われて久しい。


 やがて、番組が終了した。太郎さんとたまきさんとともに、社長室に戻った。

 「なんだか、嫌な老後ね・・・」

 たまきさん、開いた口が塞がらない様子。

 いつもならたまきさんが私に食って掛かってきて、私が対抗したところを、太郎さんに「姉弟げんかはやめろ」と言われて、そこでまたひと悶着あるのが通例なのだが、今日のこの小説は、どうも、そんな気力さえ削いでしまった模様である。

 そんなこともあって、彼女より1歳年下の夫の太郎さんは、平静を装っている。

 「視聴者から、反響が来ているよ」

 太郎さんが、社長室のデスクに置かれていたノートパソコンを持ってきて、××ラジオのサイトを開けて、寄せられた反響を示してくれた。

 

 「近未来も何も、最近そういう話、よく聞きますね。他人事じゃないですよ」

 確かに。

 「私は、そんな死に方は嫌です。自宅の畳の上とか、そんな贅沢は言いません。この際、病院のベッドでもいいですが、最愛の妻と子どもたち、そして孫たちに見守られながら、惜しまれてこの世を去りたいものです」

 あ、そ。

 「独身老人の末路とは、かくなるものか・・・。息子には、嫁をもらって欲しい」

 んなもん、わしゃ、知らんわ。

 「確かに、こんな死に方、私も嫌です。しかしながら、そういう人は今後ますます増えていくでしょう。一時的には他人に迷惑も掛かるでしょうけど、長い目で見れば、それはそれで、悪くないのかもしれません」

 ですよ、ねぇ。

 「酒飲んで静かに死にゆく・・・、まさに「酔生夢死」を地で行く物語ですな」

 いやあ、わし、ひそかに、それ、狙っとるの(わっはっは!)。

 ばれちゃったぁ・・・?!


 寄せられた数ある感想の中、こんな言葉を寄せてくださった年配の方がいた。

 これが、私的にはグランプリだな。


 「あなたの小説の主人公Q氏は、「自己完結」を果たしたのです。お聞きしていて、思わず、私が大学受験生の頃のカリスマ予備校講師・金ピカ先生を思い出しました・・・」

 ニヤリ。

                (終・2019・10・01筆)

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