第22話 お兄とリコ

「結局ここに戻ってきちまうとか……ダサすぎだろ、我ながら……」

「本当ね、あれだけ啖呵を切っておいて……」


 リコと揃ってため息をついてしまう。ホント情けねぇ……。


 蜂巣綾恵に絶縁状を突き付け、体育館を出てから一時間強。俺とリコは会話もなく校内をブラブラしたり、校庭に座って星空を眺めたりした後、窓から体育倉庫に忍び込んでいた。

 本来ならあの勢いのまま帰宅するはずだったのだが、普通に体育館に置きっぱなしの荷物があって戻らざるを得なかった。後で送ってもらうのは悔しいし恥ずかしいので、折を見てこっそり取ってくるしかない。


 この扉一枚向こうの体育館は今どうなっているのだろう。まぁ普通にどうもなってねーか。華乃と久吾と澄香と大町くんはぼちぼち寝直しているだろうし、番組スタッフ一同は解散したか、一部は編集室辺りに集まって作業でもしているだろう。もう番組収録は終わったのだから当然だ。チーフディレクターにとっても、俺らはもう用済みの、何の関係もない人間になったのだ。


「…………」

「…………」


 つまりは、もうさっさと荷物を回収しに行ったってよさそうなものなのだが、俺とリコは倉庫の中で手持ち無沙汰のままボーっとしている。

 ほこりが目立つ床に直で腰を下ろす俺と、バレーボールが十数個ほど入ったカゴにもたれ掛かるリコ。ていうか全校生徒が五人しかいなかった学校にバレーボールがそんなにある必要性って何? こんなとこに税金の無駄遣いが……。体操マットだって一枚ありゃ充分だったはずだしな。無駄に何枚も重ねてあったりするから、そこで快適に過ごしてサボったりするバカ生徒が出てきたりするんだ。


「リコ……何ていうか、その……気にすんなよ、マジで。あんなガキ――なんて言っちゃダメか、その……とにかくお前は……」


 上手く言葉が出てこない。何て声を掛けてやりゃあいいのか分からない。

 大町くんを貶したって仕方ないのだ。仮にもリコが好きだった相手だし、それに詳しくは分からんがおそらくディレクターに脅されてこんなことをしたんだろうし。

 二十五年間も一緒にいた癖に、いや、二十五年間も一緒にいたが故に、俺は失恋したリコを慰めてやることもできないのだ。

 誰よりも辛い思いをしているだろうリコを誰よりも救ってやるべきなのは俺なのに、俺にはリコを救ってやる力がない。正確に言えば、資格がない。二十五年間の歳月の中で、綺麗さっぱり失ってしまった。


「……いいのよ、いいの。わたし、気にしていないわ。天志くんの言っていたことは何も間違っていないのだし。気持ち悪いのよ、わたし。いつまでも前に進めず、ずっとこんな暗くて狭い場所に縛り付けられているんだもの。だから高校生にちょっと手を差し伸べてもらっただけで必死に縋り付いてしまうの。本当に、気持ち悪いと思うわ」

「……やめろよ、そういうの。気持ち悪くなんてねぇよ、お前はな……」


 頼むから、俺を責めてくれよ。結局元をたどれば、お前を傷つけてんのは、全ての元凶は、俺じゃねーかよ。

 そうだ、気付いていたのに知らないフリをしていた。俺があんなことをしなければ、リコが嘘と打算だらけの男なんかに落とされたりなんてするわけなかったんだ。そのことを、俺のせいでリコに精神的に不安定なところがあることを知っていたからこそ、蜂巣綾恵だってこんなことをしたのだ。

 つまり悪いのは全部俺。それなのに誰かのせいにして、蜂巣綾恵だけを悪者にして、それでいてヒーローを気取ってリコを助けてやることもできない。プライドばかり高くて偽善者にもなれないクズ野郎。

 あーあ、そんな奴といっしょに育ってきたら、そりゃリコだってポン闇にもなるよな……。


「やめるのはあなたよ、お兄。どうせ自分が悪いようなことばかり考えているのでしょう? 悪いのは全部わたしなのに――」

「やっぱここに来てっし。ダサ。お兄もリコもキモ。二十五にもなって秘密基地ごっことか。ほんとポン闇」

「華乃……あなたまだ起きていたのね……お肌に悪いわよ」


 足で乱暴に引き戸を開けて、倉庫に入ってきたのは華乃だ。体操マットに腰を下ろし、呆れたようにため息をついている。


「いや、華乃な、俺達は荷物を体育館に忘れてきちまったから仕方なく……」

「どうとでもなるっしょ、そんなの。普通に考えてあたしか久吾が気付いて届けることになるに決まってんじゃん」

「そ、それは……まぁ言われてみれば確かにそうだな……」「そ、そうね、その発想はなかったわ」

「はぁ……何それ。何か用があったんでしょ。まぁもうみんな出払っちゃったけどね」

「そうなのか……え、あいつは編集室かどっかで作業してるとかじゃなくて?」

「知んない。久吾もどっか行っちゃったし。てかさぁ、お兄。澄香ちゃんのことはいいわけ?」

「え、あ……そうだ、澄香は……澄香ももう帰っちまったのか? でももうこんな時間だし中学生が一人で帰る手段なんて……」

「帰ってはないけど、大町くんとどっか消えた。兄妹喧嘩でもしてんでしょ。あとまぁマネージャーもスタッフのフリさせられてずっとこの校舎にいたらしいよ。二人とも結構大きなとこの所属タレントさんみたいだね」

「まぁ、やっぱそうだよな……」


 それはよかった。ホッとした。

 全くの素人中高生がこんな番組に出させられるのは問題があるだろう。ディレクターの狙い通り、炎上商法的にヒットなんてしてしまえばなおさらだ。澄香達が今以上に嫌な思いをする羽目になってしまうかもしれない。でもちゃんとした事務所に入っているのなら、最低限守ってはもらえるだろう。

 まぁそれを言ったら華乃と久吾は完全な素人高校生なわけだが。神経図太い奴らだから心配はいらないだろうけど。何かありそうなら俺が何とかすればいいし、それにあいつだってこいつらのことはちゃんと守ってくれるはずだ。俺ら相手とは違って、本当の妹や弟みたいに可愛がってきたもんな。本人達に自覚はないかもしれないが、そばで見ていた俺らにはそのくらい分かる。


「……ふん、平気なフリしちゃって。澄香ちゃんも実は結構演技してたのかもしれないよ。一応プロなわけだし、明確なやらせはなくても、勝手にディレクターの意図を汲み取ってお兄を誘惑してたとか」

「ねぇよ、それは。澄香はそんな子じゃねぇ」


 それだけは自信を持って言える。

 確かに、ディレクターに脅されていたにしても年齢を偽ってまで参加というのは何か深い理由があったのだろうし、もしかしたら、かわい子ぶってたりしてた部分はあったのかもしれない。

 でも、俺にくれた言葉や優しさは嘘じゃなかったと、俺は信じている。


「はぁ……カッコつけたこと言っちゃってさ。お兄、今の今まで澄香ちゃんのことなんて忘れてたじゃん、どうせ」

「え……?」

「あの子、めちゃくちゃショック受けてたよ、お兄に嘘つかれたって。当たり前じゃん、お兄こそ年齢偽ってあの子のこと騙してたんだから」

「――――っ! そ、それは……っ」


 そうだ、華乃の言う通りだ。なぜ今まで忘れてたんだろう、こんな大事なことを……!

 俺は中学一年生の女の子を卑怯にも騙していたのだ。しかも結局自分から真実を告白することもなく、全てはディレクターからの「ネタばらし」という形で語られてしまった。

 澄香はどんな顔をしていただろうか。自分とリコのことで精いっぱいで、澄香を気にかけている余裕すらなかった。


「ほら、リコのことばっか。リコのことしか考えてないから澄香ちゃんのことすら忘れちゃってる」

「い、いや……」

「あんなに夢中になってたのに、その人を騙して裏切って、でもお兄はそんなことすら忘れちゃうほど、ずっとずっとリコに盲目になってるの。結局この二日間だって口では澄香、澄香言いながら、頭の中はリコでいっぱいだったじゃん。行動原理が全部リコ。リコリコリコ、お兄はリコばっか」

「華乃、どうしたのよ急に。落ち着いて。お兄はわたしに気を使ってくれていただけであって、別に澄香さんのことを忘れていたわけではないわ。わたしのことで頭がいっぱいって、それではまるで……お兄とわたしはそんな関係ではないでしょう……こんなこと、あなた相手に言わせないでよ。あなたは一年ぶりに会った叔母さんか何かなの?」

「……あっそ。別にどーでもいいけどね。興味ないし」


 リコの冗談めかした反論を鼻を鳴らして受け流し、華乃は背中からパタンとマットに倒れて伸びをし始める。


「はーぁ……ねむ」

「…………」「…………」


 何なんだ一体……。お前こそ何の用だったんだよ。眠ぃならさっさと寝ろ。布団戻ってな。


 クビキリギリスの耳鳴りのような声だけが際立つ、何の意味もない沈黙の中、


「お兄とリコさ、いつもここでセックスしてたよね、中学ん時」


 何の脈絡もなく、何の感情もこもってもいないような声で、曜日でも確かめるかのようにあっさりと、俺の妹は仰向けで爪をいじりながら言った。

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