第21話 お兄とリコと澄香と天志

 澄香が中学一年……そっか、そうだよな。中一からしたら高二も二十五も見え方としては一括りというか、区別もつきにくいのかもしれないな……。

 だが、二十五からしたら高一と中一の間には一つの壁がある。いや高一の前にも高い壁はあるのだが、でも二十五の俺が未成年に恋をしてしまった場合、とにかくその三年差は致命的なのだ。

 あー、だってほぼ倍だもんなー。倍だよ、倍。バイバイってか。アハハハ。超つまんねぇ。


「お兄――お兄! 気を確かに! しっかりして! 意識がバイバイしているわよ!?」

「あ、あれ……? リコ……。す、澄香は……?」


 澄香がいない。俺は月明りだけに照らされた体育倉庫の中で、床にへたり込んでいた。リコがそんな俺の両肩をつかんで揺さぶってくれている。視界がほぼリコの小さな顔で埋め尽くされている。

 ああ、リコだ。すごい。すごい現実感。とてつもない日常感。

 この二日間見てたはずのキラキラとした世界が、胸の高鳴りが、嘘みたいに消え失せていた。そうか、そういうことか。


「全部……全部、夢だったんだな……澄香なんて女の子はいなかったんだ……」

「早く起きて! 澄香さんはこの外にいるから! 天志くんを呼びに行っただけだから!」

「天使……? そうか、迎えが来たのか。あれもこれも、死の間際に見える幻だったんだな……」

「歯を食いしばって、お兄」

「え、あぶっ!」


 歯を食いしばる前にリコにビンタされた。痛い。痛いだけで特に目が覚めたりとかしなかった。ほっぺも痛ければ心も痛い。あと全然関係ないけど最近腰も痛い。年だなぁ。もうヤダ。全部ヤダ。お兄死ぬ。


「お待たせいたしました……。お兄さん、リコ先輩。また改めて私とこの男からお二人にお話が――って、何で抱き合ってるんですか二人とも!? やっぱりそういう関係なんじゃないですか!?」

「違うのよ、澄香さん。わたしがビンタしたら何故かお兄が嗚咽を漏らしながら倒れこんできて……本当にわたしは何もしていないのに」

「いやビンタしてるんじゃないですか!? リコ先輩がビンタしたからそうなったんでしょう!? とにかく今すぐ離れてください!」

「そ、そうね、わたしは何もしていないけれど、確かにこの状況を天志くんに見せてしまっては変な誤解をさせてしまうかもしれないわね……ち、違うのよ、天志くんっ、これは最近お兄が腰に抱えていた爆弾が爆発してしまっただけであって……っ」


 胸に埋まっていた俺の顔を、リコが突き離してくる。

 ボーっとした頭で辺りを見回すと、倉庫の中に澄香が(あと大町くんも)いた。

 澄香。すみか。SUMIKA。うーん、甘美な響き……澄香……澄香!? 澄香だ!


 澄香の姿を視認した瞬間、にわかに脳が覚醒し始める。ということはリコからのビンタは完全に殴られ損だったわけだが、そんなこと考えてる場合じゃねぇ。


 さっと立ち上がって澄香に走り寄る。あれ? 何か地面が傾いてる……? と思ったが澄香の背が低くて錯覚してしまっただけだった。

 あー、そうそう。澄香の前で立ち上がったりする度にこの感覚になるんだよなー。未だに慣れねーな。澄香って俺と同じ高校生の割にはかなり小さいもんな。


「いやー澄香、誤解しないでくれよ? リコとは相撲とってただけだから。リコのやつ昔から顔ばっか攻めてくる卑怯者で、」

「ごめんなさい、お兄さん! 騙してしまって……っ! その……、言い訳になってしまうかもしれませんが、事情を聞いていただけないでしょうか……! この気持ちだけは嘘ではないと信じていただけるように……それに……今度こそ本当の私を、十三歳の、ありのままの私を知ってもらいたいんです! そうすれば、四つぐらいの年の差なんて私達なら乗り越えられると、お兄さんにも思っていただけるはずなんです!」


 錯覚が吹き飛んだ。地面なんて全く傾いてない。当たり前だ。この子は中一なんだから。中一ならこのくらいの背の子もそこまで珍しくない。目の前にある実体と脳の認識が一致しただけだ。

 現実を、直視しただけだ。

 十三歳。中一。俺が恋い焦がれたのは中学一年生の女の子。子ども。絶対に恋をしちゃいけない相手。


 でも……でもリコは、どんな禁断の愛だろうと応援すると言ってくれたんだ! そうだよな、リコ? リコ、中一の女の子相手でも……リコ……


 思いっきり目をそらされた。ダメだったらしい。めっちゃ気まずそうな顔してやがる。


 まぁ、そりゃそうか。こんなのは明らかに澄香のためにならんし、俺自身も辛い思いをするだけだろう。リコもそれが分ってるから無責任に応援はできないんだ。

 もしリコという支えがあったら、俺はきっとどんなに最悪な結果が待ち受けていると分かっていたとしても、突っ走ってしまっていただろう。何より澄香のことを諦めたくねーし。でも、リコという根拠がなくなった時点で、俺は潔く白旗を上げるしかねぇんだ。

 これ以上、大好きだった女の子に頭を下げさせたりするわけにもいかねぇしな。謝るのはこっちだ。


「澄香、聞いてくれ。そ、その、じっ、実は……っ、おっ、おおおおおおれ、おれおれお」

「オレオ……? すみません、お兄さん。私に対して言いたいことがあるのは分かっています。でも少し待ってください! どうか、私の話を聞いてから結論を出してほしいんです……!」


 全然潔く謝れなかった。めっちゃビビっちゃった。

 まぁでも俺達の年齢に関してはリコのこともあるわけだし俺の都合だけで話せねぇしな……なぜか大町くんもいるわけだし……。

 そうだ、自分の恋が終わったなら、今まで以上にリコの応援に力を注げるじゃねーか。前向きに考えよう。


「澄香……うぅ……っ、澄香……っ」

「え!? な、何で急に泣き出したんですか、お兄さん!? あ、まさか私達に騙されていたのがショックで……すみません! 今全てを包み隠さず話しますから!」


 澄香を慌てさせてしまった。すまん、ただただ失恋が辛かっただけなのに。


 涙目のリコが優しく背中をさすってくれる。やめてくれ、余計泣いちゃうから。そんでもっと泣いちゃったらお前抱きしめてくるだろ? いいって、俺なんて誰かに優しくしてもらえるような人間じゃねぇんだから。それに、大町くんが見てるんだ。変な誤解されちまうぞ?


「あの、だからイチャイチャしないでくだ――いえ、今の私に口を出す権利なんてありませんでしたね。まずは全てを話して、正式にお兄さんの彼女にしていただいてからです……! お兄さん、リコ先輩、実は……」


 澄香が一歩前に出て、真っすぐに俺達に目を向けて、大きく息を吸う。

 ああ、他にも隠してたことがあるってやつか。まぁ普通にヤエと実は知り合いだったって話だろう。あいつが適役の女子高生を見つけられなくて、知り合いの中学生に高校生のフリさせてたってとこか。ホント無能Dだ……。あと本当は芸能事務所に所属してるタレントだったとかか? まぁ澄香ほど可愛ければな。それによく考えれば、全くの素人中学生を番組には使いづらいだろうし。


 まぁとにかく今さら何を聞いても驚きなどしない。どんな嘘だろうと澄香は悪くねぇ。


「実は私と大町天志は兄妹なんです!」

「「えー……」」


 普通に驚いた。リコが背中をつねってくる。痛い。夢じゃない。自分の皮膚を使え。


「え、じゃあ苗字とかも変えてるってことだよな……? 美麻と大町って……」

「いえ、苗字は本当なんです。両親が離婚していまして。だから、こいつとも一緒になんて住んでいないですし、会ったのも今回が久しぶりでした。先ほどは便宜上兄妹と称しましたけど、こいつは私の兄なんかじゃありません! 親が同じだというだけです!」

「はぁ……反抗期だなぁ。まぁ澄香がそう思うなら僕はどうだっていいけどね」

「澄香って呼ぶな! 特にお兄さんの前では!」


 おお……何か仲悪いっぽいな……。親御さんが別れる時にいろいろ揉めたりとかあったのかな?

 いずれにしろ、「他人」でしかない俺に口出しできることではないんだが……。


「だいたいあなたは何なんですか、さっきから涼しい顔して黙ってばかりで! 私のように年齢は偽ってないにせよ、あなただってリコ先輩達を騙していたことに変わりはないんですよ!? 好きなんでしょう、リコ先輩のことが! だったらあとはあなたの口から話してください!」

「はいはい、分かった分かった。あー、紫子ちゃん。ごめん、僕、君にいろいろ嘘ついてた」


 大町くんが頭を掻きながらいかにも面倒くさそうに歩み寄ってくる。


 まぁ、どうやら彼は本当に高校生のようだし、隠してたことって言っても、あとはヤエと知り合いだったとかそんな辺りのことだろう。

 てか、あれ? 大町……大町ってヤエの親戚の……そうだそうだ、あー、じゃあもしかして昔夏休みとかにヤエん家に来てた親戚の子どもらの中にこの二人もいたのか? 普通に俺らが遊んでやってた可能性とかあるな……。澄香とか完全に赤ちゃんだったろうけど。ハハ、ほんとダメやん。好きになっちゃうとか。


「あ! え、天志くんってもしかして昔夏休みとかにヤエの家に来ていたあの……」

「あー、やっと気付いたんだ。まぁ僕は君達のことなんて全く覚えてないけど。てかそもそもそんなこと秘密にする必要ないと思ったんだけどね。自分との繋がりを知られてると僕が仕掛け人であることまで勘付かれちゃうからって、綾恵ちゃんが」

「え……? 仕掛け、人って……」


 あの柔らかく誠実そうな雰囲気が消え失せた大町くんの佇まいに、リコが後ずさりさせられる。

 仕掛け人? そんな言葉、恋愛リアリティショーで出てくんのはおかしいだろ。どうしたんだ、大町くん……?

 何だ……? 何なんだ、これ……? 何か嫌な予感が……


「紫子ちゃん。僕が君に言った『好き』って言葉、あれ嘘だから」

「「「え……?」」」


 リコが、俺が、澄香が、全く温度の感じられない大町くんの声音に、ぽかんと口を開けてフリーズさせられてしまう。


「綾恵ちゃんに頼まれてさ、海老沼紫子を惚れさせろって。だから仕方なく演技でね。いやーチョロかったよ。あんな簡単に落とせるなんて」

「天志……くん……?」

「ああ、でも『可愛い』とか『綺麗』っていうのは嘘じゃないよ。可愛いし綺麗なんじゃない? 紫子ちゃんは。まぁ手は荒れてるけど。でも『好き』ではないね。好きってのは全部嘘。好きになるわけないじゃん、高校生相手に本気になっちゃうアラサーとか。マジで気持ち悪いって」

「――――」

「アハハ、何その顔。おもしろ。てかさ、勘違いおばさんとか好きどころかむしろ一番嫌――」

「黙れよクソガキ」


 気付いた時には大町くんの胸ぐらをつかんでいた。

 とにかくこいつを黙らせなきゃならねぇ。こいつを、殴らなきゃなんねぇ。


「お兄やめて! わたしのことなんていいから!」

「リコ、お前は布団戻って寝てろ。もうなんも聞くな。なんも見んな」

「落ち着いてお兄! 騙そうとしていたのはわたし達だって同じでしょう!」

「…………っ」


 絞り出すようなリコの声にハッとさせられて、大町くんから手を離す。

 こいつを殴り飛ばしてぇ。リコを裏切ったことが許せねぇ。

 でも確かに俺には大町くんを責める資格なんてない。

 それは、俺が年齢を偽っていたからではなく、誰よりもリコを傷つけてきたのは俺だからで。


「ちょっと……どういう、こと、ですか……? ――説明しろ、クソ兄貴! 仕掛け人? 演技? え、というかリコ先輩がアラサーって……? 何なんですか一体!? いや、そもそも! おかしいじゃないですか! 百億歩譲って、綾恵さんとあなたが恋愛リアリティショーを盛り上げるためにヤラセしたという動機だけは理解しましょう! でも私とお兄さんの関係が進展していたのですから、それで充分ではないですか! なぜ必要以上にリコ先輩を欺くようなことを……!」

「すみません、ちょっと皆さん集まってください……」


 気まずそうに覗き込んできた久吾の声によって、修羅場はひとまず中断させられた。

 おそらくもっと酷い地獄が俺達を待ち受けてるんだろうが。

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