第18話 お兄とリコ

「隠し続けるのも限界ね……」

「まぁ……あいつらがどこまで知ってんのかは分かんねぇけど……」


 まぁあの感じからすっとほぼ全部知ってんだろうけどな……。


 月明かりだけに照らされた体育倉庫の中に気まずい空気が充満する。体操マットで楽な姿勢でも取れば少しはリラックスできるのかもしれないが、俺とリコは立ったまま言葉を交わし続けるしかない。


「華乃と久吾にもちゃんと話さなきゃいけないわよね……」

「いや、リコが嫌なんなら別に説明する必要もねぇと思うけど……」

「でもちゃんとしておきたいの……このままじゃ気持ち悪いもの……お互い知らないふり、知られていないふりをしながら一生過ごしていくなんて嫌よ、生まれた時から見てきたあの子達とそんな……」

「そっか……まぁお前がそう思うんなら……でも話しづらいんなら俺から話すからな、お前は無理とかすんなよ」


 リコのその気持ちは分かる。ただ、お前がそうやって背負い込まなきゃいけねぇことをこれ以上増やしたくねぇよ……。


「……お兄……ごめんね……本当に……元はといえばわたしが……」

「やめろ、謝んなって。悪いのは全部俺なんだから……悪ぃ……ホント悪ぃ……」

「そんな……お兄が気にすることなんて何もないじゃない……わたしが悪いのに……」

「いや俺だろ、どう考えたって。それなのに何もしてやれなかったし……頼むから謝らないでくれ……」


 一年に一、二回のことだが、この件に触れることになると毎度お互いに謝罪を繰り返すばかりになってしまう。リコが謝る必要なんて全くないのに。ていうか結局それも、謝らせてしまう俺の方が悪いのだが……。

 とにかくこの話題には出口がなく、重い空気と重い気分だけを残して話の進展から逃げ出してしまうというのが常なのだ。


 でも今回ばかりはそういうわけにはいかない。確認しなきゃいけないこともある。


「華乃達に既に知られているとなると……ヤエが俺達を脅すネタもなくなったってことだよな。つまり……」

「わたし達がこの番組に参加しなきゃいけない理由もなくなったというわけね……」

「ああ。……ただ……」


 強制してくるものがなくなったとしても、もはや抜けるわけにはいかない。てかやめたくない。

 俺は澄香との共同生活を、リコは大町くんとの共同生活を、こんな形で終わらせたくはないのだ。


「結局……隠し事なんていつかはバレてしまうのよね……」


 独り言のようなリコの呟き。

 ああ、そうだ。俺もお前と同じように思う。今回のことで学んだ。もう同じことを繰り返したくはねぇ。それにこれは、あのこととは違って、確かに俺にもリコにも責任のある嘘だ。


「澄香達に俺らの年齢のこと話さなきゃなんねぇな」

「ええ……」


 もう大切な人に嘘なんてつきたくねぇ。澄香を騙し続けたくねぇ。

 でも……、


「あああ……もう絶対嫌われるよな……てかめっちゃ気持ち悪いよな普通に……二十五歳が高校生のふりして高校生と恋愛してたとか……ああ、澄香にトラウマを植えつけちまう……!」

「大丈夫よ、澄香さんならきっと受け入れてくれるわ。嘘をつき続ける方がよっぽど悲しませてしまうだろうし」

「でもよ……」


 ああ、リコ、すまん。お前だって不安なはずなのに……。てか自分自身にも向けて言ってるっぽいな。


「正直な人が好きだって、澄香さん最初の自己紹介の時に言っていたじゃない。うん、大事なのはそこよ! 大事なのは人柄! 九歳差なんて今時珍しくないわよ! 一桁差までならギリセーフよ!」

「いや差がどうってことより、向こうが高一だからな……犯罪だからな……」

「高一が何よ! 四捨五入すれば二十歳じゃない! アラトゥエよ、アラトゥエ!」

「お、おう」

 年齢って四捨五入していいんだっけ。てか九歳差も四捨五入したら二桁差になっちまうし。しかも、

「その理論でいくと俺ら三十……アラサーだけど、いいのかお前? めっちゃ拒否ってなかったっけ」

「いいのよ! わたしはアラサーよ! でも天志くんも二十歳だからセーフなの! 結婚できるの!」

「そ、そうか」


 まぁ結婚はできないし論理的にも倫理的にも破綻してる気がするが、でもリコがそこまで言ってくれてるんだ。それは俺にとって何よりも信頼すべきものだ。

 リコはアホだから、普通に間違ったことを胸を張って言いまくる。今回も間違っているかもしれない。結果的に後悔することになるかもしれない。でもそこは関係ない。リコが俺のために言ってくれてるんだから俺はそれを信じるべきなんだ。


「分かった。俺は澄香に年齢のことを正直に話す。お前も頑張れよ」

「ええ! 頑張りましょう! 二人の未来のために!」


 暗闇の中でどちらからともなくグータッチする。普通に痛かった。リコが力加減を間違えてきやがった。やらなきゃよかったこんなこと。まぁでもグータッチなんて二十五年間いっしょにいて一度もしたことないのにタイミングぴったりだったのはさすが俺達だよな。


「ただな、リコ……」

「ええ、ヤエのことね……そこだけはどうしても……」


 二人揃って深いため息をついてしまう。


 俺達が年齢を暴露するということは、この番組も潰れてしまうということだ。『田舎で恋しちゃお♪』は高校生による恋愛リアリティショーなのだ。出演者にアラサーが混じっていたとなれば、当然企画は成り立たない。また一から撮り直し……とはいかないだろう。予算も馬鹿にならないし、納期だってあるはずだし、そもそも新たに幼なじみ四人組を見つけてこなくちゃならねぇ。高いハードルがいくつもある。お蔵入りは避けられないだろう。

 そうなれば……。


「ヤエのキャリアに傷が付いちまうな……あいつ、あんなに頑張ってんのに……」

「ええ、強引なところも少し、ってかめちゃくちゃあったけれど、それだけ熱心だったってことだものね……それに、わたしとお兄を信頼してくれていたということでもあるわ。わたし達に裏切られたとなれば、かなりのショックを受けてしまうでしょうね……」

「うっ……それはきついな……あいつが悲しんでんのはちょっと……どうする? めちゃくちゃ不誠実になっちまうけど、とりあえずあと二日……番組だけは高校生のふりして最後までやり切って、澄香達には全てが終わってから正直に話して告白ってのは……」

「でも番組中に絶対告白してくれという指示だったわ……確かにカップル成立なしなんて番組として盛り上がらないし、ここまでわたしと天志くん、お兄と澄香さんの伏線をこんなに張りまくっているのに最後まで何もなしなんて無理よ。視聴者から苦情が殺到するレベルだわ。どちらにしてもヤエを裏切って企画を潰すことになってしまうわ……」

「確かに……じゃあ、やっぱり……いやいやいや! ダメだダメだダメだ! 年齢隠したまま告白なんて最低だぞ! 嘘ついてオーケーもらって、付き合い始めてから本当のこと話すなんてありえねぇ!」


 振られるのは当たり前だし、それ以上に、澄香を傷つけちまう……っ。


「雁字搦めね……ああ、何で年齢なんかのことでこんなに……っ!」


 ヤバい……マジで糸口すら見つからねぇ……。


 まさに万策が尽きて、リコと頭を抱えてしまいそうになったその時――、


「あ、あのー、お兄さん……」

「……っ!? すっ、澄香!? ど、どどどどうした!? 起こしちまったか!?」


 戸をそっと開けて、澄香がコソコソと倉庫に入ってきた。え、嘘、マジかよ、こんな時に……! リコも口をパクパクとさせて目を泳がせまくっている。


「は、はい。お兄さんとリコさんが布団を抜け出していく時に……すみません、いけないとは思ったのですけれど、どうしても気になってしまって、それで……」

「そ、そうかっ、え? もしかして、あれか? 俺とリコの仲がどうとかいうやつか? いや違うぞ、俺達はただここで昔話をしてただけであって」

「そうよ、澄香さん。わたしもお兄も眠れなくてここでノスタルジーに浸っていただけなの!」

「いえ、あの、実はですね……実はドアの前で入るべきかどうかしばらく悩んでいまして、最後の方だけ少し聞こえてしまったんです……お兄さんが大きな声を出していたので……」

「「え」」

「そ、その……『年齢隠したまま告白なんて最低』、とか……言って、ましたよね……?」


 あ、ダメだもう。やっちまった。ああ、これじゃもうできることなんて一つじゃねーか。


 全部知られてしまう前に、せめて俺の方から正直に話さねーと。


 すまん、ヤエ。お前を裏切っちまう。最悪……ホント最悪だけど、最後の手段として澄香にも番組が終わるまで何も知らない演技をしてもらうって手もある……っ、澄香にそんなリスク負わせちまうなんてマジで最低だけど、でももうこれしかねぇ!


「すまん、澄香! 実は年齢のことでお前に話さなきゃいけねぇことがある!」


 頭を下げて目をギュッと瞑って声を絞り出す。ああ、ダメだ、澄香の顔が見られねぇ。きっとめちゃくちゃ困惑してんだろうな。てかもうこの時点でだいたい話の内容も察せられちまってるかもしんねぇ。


「は、はい……もう、分かっています……」


 ほらな。そりゃそうだ、ガキっぽいとはいえ、高一からしたら俺なんて紛れもなくおっさんだし。今までだって心の隅でどこか違和感を覚えていたはずだ。そこに「年齢を隠して」なんてワードが出てきたら全部気付いちまって当然だ。


 恐る恐る顔を上げる。

 夜だったことが不幸中の幸いだったな……澄香がどんな顔してんのか、まともには――


「すみませんでした! 全部気付いてたんですね、私が本当の年齢を隠していたって!」

「「…………え」」


 澄香が頭を下げて叫んだ言葉に、俺もリコもキョトンとさせられてしまう。

 え、え、え……? 本当の年齢を隠してた……? 澄香が……? 俺じゃなくて、澄香が……?


「すみません! 本当にすみません! てか気付かれてしまって当然ですよね、私が高校一年生のふりをするだなんて……っ! 綾恵さん、酷いです、私にこんなことやらせるなんて……っ」


 嘘……だろ……? 澄香が、高一じゃない……? しかも綾恵さんって……ヤエと元々知り合いだったってことか……?


 ――そうか、そういうことだったのか……!


 確かにそうだ。確かに背は低くて見た目は幼いけど、思い返してみれば、どこか大人びているところがあった。子供っぽいところもあったが、それは演技をしていたからと考えれば……逆に過剰に幼さを表現してしまっていたということか……!


 やばい、鳥肌が立ってきた……頭の中で点と点が一気に結ばれていく……この二日間、確かにいろいろ不自然というか出来すぎているところがあった。筋書きも台本も何もないリアリティショーとしては、上手く行き過ぎているというか……だがそれも、演者がディレクターの指示通りに動いていたと考えれば合点がいく。

 それも、一部の演者だけではなく、全ての演者が、だったなら。


 つまり澄香も大町くんも、ヤエが仕込んだ偽物!


 そりゃそうだ、いくらあのヤエだって、アラサーの俺達と高校生を恋愛させるような狂った状況を作るわけがねぇ! いくら何でもサイコパスすぎる!

 俺とリコがやらされているのと全く同じことを、澄香と大町くんもやらされていると考えるのが道理!

 向こうも、俺達が本物の高校生だと思ったまま、高校生のふりをしている!


 つまり……つまり澄香は……!


「でも、お兄さんを好きな気持ちだけは本当です! そこだけは信じてください! だから、大好きなお兄さんに嘘なんて出来るだけつきたくなくて……嘘つきにはなりたくなくて……実は私、自分が高校生とは一言も言っていなくて……こんなの何の言い訳にもならないって分かっていますけれど……本当にすみません! せめて、私の口から全て言わせてください! 実は私……っ」


 そうか、確かに「一年生」とは言っていたが、「高校生一年生」とは言っていなかったかもしれない。

 ということは、澄香は――そうだ、それならアラサーの俺達とも、高三の久吾や華乃とも恋愛できる――!

 間違いない、つまり澄香は――1年生は1年生でも――大学1年――


「実は私、中学生なんです! 中学一年、今月十三歳になりました! 美麻澄香です! よろしくお願いします! 大好きです、お兄さん! 少し歳は離れていますが愛があれば関係ありません! 澄香と付き合ってください!!」

「「えー……」」


 じゅう……さん……? 十三……? あ、四捨五入! 人類史上最高の発明! 四捨五入すれば……すれば……十歳やん……。


 あ、帰って梨育てなきゃ。

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