第17話 お兄と華乃

 やべぇ、やべぇよ……隣に澄香が寝てる……っ、このままじゃ、俺……っ!


 番組二日目の夜。今日もヤエの指示に従って様々なイベントをこなし(さすがにローション相撲は拒否ったが)、俺達は体育館で床に就いていた。布団の並びは昨夜と同じ。右隣に華乃が、そして左隣には澄香が寝ている。

 やばい。冷静に考えてもヤバいし感情的になったらもっとヤバい。消灯からだいぶ時間もたったはずだが未だに目も脳もギンギンだ。


 仰向け状態から恐る恐る体を九十度回転させてみると、目の前には天女の後頭部が……てか月明りしかないからハッキリとは見えないのだが、澄香がこちらに背中を向けて寝ている。

 澄香も俺の方を向くのは恥ずかしいんだろうな……やっぱり澄香もまだ寝付けてないのかな……俺の隣で緊張してくれてるってのは嬉しいけど、でも成長期なんだし寝不足は控えてほしい……って、こんなこと考えるとか親じゃねーんだから。俺は澄香の一つ上の高校の先輩なんだから、おせっかいなおっさんみてぇなこと考えてねーでもっと若々しく――


「ギンギンになってんのはこっちでしょ、変態ロリコンエロお兄」

「華乃……っ、お前いい加減に――って、おい!?」


 俺の布団に潜り込んできた華乃に、布団の中へと引きずり込まれてしまう。


「お前……っ、何なんだよ! 何がしてぇんだ、何でそこまでして俺にちょっかい出してくんだよ!?」


 真っ暗闇の中、正面にいるであろう華乃に問い詰めると、


「矯正するために決まってんでしょ。ロリコンお兄を大人の女――お姉ちゃんの魅力で更生させたげる」

「ええー……何言ってんだこいつ……」


 布団の中でドヤ顔が浮かび上がっていた。スマホの明かりで照らされた俺の実妹(姉)のご尊顔だった。ええー……。


「お兄、声でかい。布団の外に聞こえちゃうよ?」

「聞かれてまずい会話なんてするつもりねぇ」

「ふーん、いいんだ。あたしにいじめられちゃってる声、澄香ちゃんに聞かれちゃっても」

「な……っ! お前、何を……! ちょっ、離れろっ」


 いきなり抱きついてきた華乃が俺の耳元でこしょこしょと耳打ちしてくる。生温かい吐息と艶めかしい声音。そしてその発言内容。全てが俺の理解能力を超えている。

 こいつは俺が知っている華乃じゃない。華乃はこんなことしない。

 いや、もしかしたら俺の知らないところではこういうこともするのかもしれない。もうこいつも高校三年生だ。恋人や好きな人にはこんな姿を見せていたっておかしくない。兄だからって何でも知ってるなんてのは傲慢なのだろう。家族のような近しい間柄の人間には見せたくない一面なんて誰だって持っているはずだ。

 だからこそ、この華乃の様子はおかしい。一番見せてはいけない相手に、隠すべき一面をさらけ出している……!


「クスッ……お兄きもー。動揺しすぎだし。童貞なの?」

「どっ、童貞じゃねーしっ!」

「うん、知ってる」

「え、あ、おう……」


 まぁ、そりゃアラサーの兄貴が童貞だとか本気では思ってねーよな普通に。


「でも精神的には童貞だからねー。そんな童貞お兄はお姉ちゃんが遊んであげる♪」

「ごめん、吐きそう……音符を付けないで。胸を押し付けてこないで。なぁ、マジで何かあったのか? 何かあってヤケになってんだろお前。明らかにおかしいって」

「おかしくないよ。いつもこんな感じじゃん、あたしら」

「そんないつもは知らん!」

「じゃあ、『いつも』じゃないなら『昔は』。前は、元々は、いつもあたしを一番見てくれてた。いつでも構ってくれてた。あの頃は寂しくなったら、あたしはお兄にちょっかいを出せばいいだけだった。なのにあたしを相手してくれなくなってさ。他の子ばかり見て」


 俺の胸に顔をうずめて、いじけるように言ってくる華乃。

「他の子」とは澄香のことを指しているのだろうか。澄香と出会ったのは昨日のことだから、「昔」というのは変な気もするが……まぁ、でもそっか。俺が高校生の澄香に手を出さないように身体を張ってくれてるんだな……いやでもそれで実の妹がこんなことしてきたらもっとダメじゃねーか……。


「ねぇお兄、ずっとあたしだけを見てよ。ずっと一緒にいようよ。他の人なんていない世界でさ」

「お前ちょっと本気でおかしいぞ!? ブラコンじゃねーんだからさ……」


 兄妹で禁断の関係になってるみてーだろ、そんなんじゃ……。冗談でも俺がそんなことしてる姿をあいつに見せるわけには……。


「ふーん、こんな時でもリコのこと気にしてんだ? 愛しの澄香ちゃんじゃなくて」

「え……」

「だいじょぶだよ、リコは。言ってたじゃん、どんな禁断の愛でも応援してくれるって」

「――――っ、い、いや、それは違うだろ。それはそういうんじゃなくて……さすがに兄妹での話は別だろっ」

「でも言ってた。世界中が敵になってもリコだけはお兄の味方でいてくれるって。ね? あたしとお兄がどんな関係になってもリコだけは味方でいてくれるんだよ? そんでリコさえ味方でいてくれれば、お兄はそれで十分なんだよね?」

「お、お前、それは屁理屈だろっ、その、リコと俺は生まれた時からずっと一緒にいたから、そのいろいろとな……お互い味方でいてやりたいって、それだけの話で……」


 超至近距離で真っ直ぐと見つめてくる華乃の言葉にテンパってしまい、訳のわからない言い訳をダラダラと垂れ流すことしかできなくなってしまう。


 なぁ、華乃。おちょくってるだけなんだよな? いつもみたいに俺を馬鹿にして楽しんでんだろ? まさか本気でそんなこと――


「――ふっ、フフフ、バカじゃん。何取り乱してんの? ネタに決まってんでしょ。ブラコンじゃないんだから」

「…………ホント勘弁しくれよ……からかうにしたってタチ悪ぃぞ……」

「ふふ、だってお兄の反応面白いんだもん」

「あ、そうっすか……」

「うん、そうなの」

「…………………………………………」

「…………………………………………」


 な、何だこの時間……。

 俺の胸に顔を預け、コアラのように俺にしがみついたまま、華乃はスースーと穏やかに呼吸だけを続けている。俺も何となく手持ち無沙汰で、いつの間にかその薄い背中を優しく撫でてやっていた。

 え、何これ。こいつこのまま眠る気なの? てかこの感じ、何か懐かしくて暖かくて心が落ち着いて、これじゃ俺まで寝落ちしちまうよ……。


「……ねぇ、お兄」

「ん?」


 よかった、まだ寝てなかった。


「いつまでリコにとらわれてんの?」

「――え?」

「もうお兄は何も気にしなくていい。そもそも悪いのは全部リコ。もうお兄はリコの呪縛が解かれて自由に生きていいの」

「お、お前……まさか……っ」

「ま、自由って言っても高校生に手ぇ出すのはダメだけどね。ポン闇から卒業するのにまたポン闇に入ってくとかポン闇過ぎだし。お兄は優しくて家族思いでカッコいいんだから。もっと自信を持っていいんだよ?」

「華乃……全部知ってたんだな……一体いつから……」

「……ほら、やっぱ違うじゃん、褒められたからとか……久吾のアホ」

「え? あ、おい」

「寝る」


 ボソボソと呟いた後、華乃は俺を突き離してさっさと自分の布団へ戻ってしまった。えー……何それ、自分からひっついてきといて……。

 いや今はそんな場合じゃない。まさか華乃が俺とリコのことを知っていたとは……。て、ことは久吾もか? まぁそう考えんのが妥当だよな……。

 はぁ……どうしよう……まぁ、とりあえず、


「リコ、リコ」

「何よ、やめなさいよ、いま海岸清掃のボランティアをして爽やかな汗をかいている夢を見ていたというのに」

「嘘つけ、お前海行ったことねーだろ。そんなアクティブな仲間なんていねーだろ。農作業以外で外なんて一歩も出たがんねーだろ。てか思いっきり起きてたよな。盗み聞きしてたよな」

「てへ」


 さっきまでリコが俺の布団まで聞き耳を立てにきていたのと同じように、俺も首を伸ばしてリコに耳打ちをする。予想通り、はっきりとした口調でぼんやりとした答えが返ってきた。目だけはギンギンに起きてやがる。脳は相変わらず溶けてっけど。まぁ動揺してんのもあるか、俺と同じで。


「…………行くぞ」

「ええ」


 目配せもなく(てか暗くてよく見えんし)、俺達は二人でこそっと布団から抜け出した。

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