第16話 華乃と澄香

「素直になった方が幸せですよーっ、プププ♪ あ、それはそうと、一つ疑問なのですが……」

「あ? 何だクソガキ」

「そういう呼び方は胸の内でだけにしてくださいよ……あのですね、華乃先輩。そもそもあなたがブラコンではなく、単に私のことが嫌いでお兄さんと付き合わせたくないというだけなら、お兄さんとあの女の仲を後押しすればいいだけなんですよ。そうしないってことはやっぱりあなたはブラコンなんです。ただ、その点に関しては、あたしにとってもありがたいのです。華乃先輩がブラコンで助かりました。あたし達は争っている場合じゃない。あたしと華乃先輩が一番敵視するべきなのはあの女でしょう!?」

「はぁ? 何言ってんの、あんた。あの女って? てかブラコンじゃないし」

「決まっているでしょう! 海老沼紫子! リコ先輩です! 初日からあの人が一番怪しいと思ってたんです! 超危険人物です! お兄さんとのあの距離感はおかしいじゃないですか! なぜもっとあの女とお兄さんの仲を妨害しないのですか!?」

「……………………」

「な、何黙ってるんですか……? あ、あの、お兄さんとお付き合いする上でですね、どう考えてもリコ先輩は邪魔になると……」


 必死な形相で訴えてきたと思えば、なぜか急に怯えたように遠慮がちになる澄香ちゃん。そんな意味不明なクソガキに返す言葉がなかなか出てこなかった――あまりにも面倒くさすぎて。こんなアホな会話に付き合っていられなくて。


「はぁ…………ないない。ないからマジで、リコとお兄がどうこうなるとか。それは世界で一番ない。バカバカしすぎて呆気にとられてただけ」


 実際、「お兄とリコをくっつけることで、澄香ちゃん達から引き離す」なんて発想は久吾だって全くできなかったわけだし。


「…………本当ですか? じゃあ何でそんなに怒っているんですか?」

「はぁ? あんたが煽ってきてるからに決まってんでしょ、さっきからずっと」

「そうではなくて。先ほどまでより、私に対してより――リコ先輩の名前を出してからの方が、ずっとずっと華乃先輩の目は怖いです……」

「――――」


 は? 何それ? 別に怒ってないし。それじゃあたしがリコを意識してるみたいじゃん。お兄が高校生と付き合おうとしてること以上に、リコとどうにかなることを嫌悪してるみたいじゃん。

 ムカつく。なんかムカつく。そもそもの話として、あの二人がどうこうなるとか絶対にありえないのに、何であたしがそんなキモいこと言われなきゃなんないの? ほんと、ムカつく。


「……てかマジで怒ってないから。アホいこと言わないで」

「そうですか……あの、なら提案なのですが……ここは一旦手を組んで、まずはリコ先輩を潰すというのはどうでしょうか? ブラコンの華乃先輩にとっても敵は二人より一人の方が……」

「だからリコとか関係ないって言ってんでしょ! てかブラコンじゃ――…………」

「す、すみません! って、どうしたんですか華乃先輩、急に黙り込んで。リコ先輩を沈める何かいい案でも思い浮かびましたか?」


 ――そうだ……そうじゃん。

 うん、思いついた。これでいいじゃん。てかこれしかない。そもそも「澄香ちゃんが実はお兄の顔目当てでしかなかった」とか伝えただけじゃ、恋に盲目状態のお兄にどこまで効果があるかなんて定かじゃないんだし。でもこの方法なら……うん……うん。いいじゃん。今までなに回りくどいことしてたんだろ。これが一番手っ取り早いっしょ。


「ブラコン……ね。うん、そだね。あたし、ブラコンかもね。うん、ブラコンでいいや」

「は? え? ど、どうしたんですか華乃先輩、急に……何かさっきとは違う種類の怖さなんですけれど……瞳孔が……」

「はいはい、分かったから。ほら、もう話は終わり。戻っていいよ」

「え? え? いや私の方の話は何も解決していないのですけれど……」

「リコのことならだいじょぶだから。あたしに任せときな」


 戸惑う澄香ちゃんを無理やり外へと追い出す。

 あとはあたし自身の覚悟を決めるだけ。

 倉庫の中にいるのはあたし一人。気持ちを作るのにはちょうどいい環境だ。


 さっきまで澄香ちゃんが座っていた体操マットに腰を下ろす。


 ――今あたしが足を伸ばしているのは「あの時」のマットなのだろうか。

 分からない。見た目が全く同じマットなんてこの倉庫で何枚も何枚も雑多に積み上げられているのだから。それでも、あたしが座っているこの位置は「あの時」の場所だ。


 なんか不思議な気分だ。十年前のあたしはあの跳び箱の中で――


「ん?」


 跳び箱の中に、何かある。というか、いる。てか何ならガタッと音がした。てかもう普通に――


「ヤエちゃん……何してんの……?」

「すまない、華乃ちゃん。開けてくれないかい? ただでさえ狭くて身動きがとれないのに、今しがた足をつってしまってな。このままだと跳び箱の中で飢え死ぬ」

「はぁ……」


 放っておこうかとも思ったが、仕方なく跳び箱の最上段をパカッと開けてやる。だってこのまま死なれると、こいつが今まさに手に構えているビデオカメラの中の映像を警察とかに見られちゃうし。


「いやぁ、助かったよ、華乃ちゃん。おかげでまたもや最高の画をキャメラに収めることができたぞ! あっ、やめてっ、足を触らないで! 痛くて死んじゃうから!」


 跳び箱の中に座ってビクンビクンと痙攣するヤエちゃん。それでもカメラだけは手放さずにこちらに向けてるところがウザい。その執念の一割でも世界平和のために使ってはもらえないだろうか。


「はぁ……あたしと澄香ちゃんのやり取りをずっと盗撮してたってわけ?」

「うむ。いや君のことだからすぐに気付くと思ったのだが。跳び箱の隙間から覗くという発想は幼き頃の君達から得たものだしな」

「――っ! …………じゃあ知ってたんだ、ヤエちゃん……お兄達が隠してること、あたしと久吾に全部バレてるって……」

「いや知らなかったが。やはりそうだったんだな」

「くっ……こんな単純な手に……!」

「安心していいぞ。お兄やリコちゃんには言わんさ。そんなことをしてはつまらないからな」

「はぁ……まぁ別にいいや、そんなことどうでも」


 ヤエちゃんが何を知ってようが、あたしのやるべきことは何も変わらない。あたしはただただ、自分の兄が犯罪者にならないよう、高校生のガキから引き離すことに全力を尽くすだけ。


「あ、やっぱここにいましたね、華乃。晩ご飯できましたよ――って、何でヤエっちゃんを跳び箱に押し詰めてんでんですか……? いくらヤエっちゃん相手とはいえそういう特殊な拷問は……」

「あたしが押し込んでんじゃないから」


 ノックもなく(まぁそもそもただの倉庫だからそれが普通なんだけど)入ってきた久吾が変な勘違いをして勝手にドン引いてきた。


「てか何か怯えた顔した美麻さんともすれ違ったんですけど、何かありました?」

「さぁ。オレ様先輩に突然壁ドンでもされると思って怖かったんじゃない?」

「あ、やばい。このネタで八年ぐらいイジられ続ける気がする……てか、そっか。あれですよね。どうせあなたがここに呼び出して脅したりしたんでしょう? ダメですよ華乃、勝手な単独行動は控えてください」

「は? そんなことしないから。てかする必要ないじゃん、そんなこと。何であんたはアホなくせに昔っからあたしに指図したがんの? あたしが思い通りの行動取んないと不満がんの? オレ様系彼氏なの?」

「え、何でそんな不機嫌なんですか……? リコっちゃんと何かありましたか……?」

「は? 何でそこでリコが出てくんの。てか全然不機嫌じゃないし。鼻歌とか歌っちゃうし」

「いやその目で鼻歌は仕事に快感見出してるタイプの殺し屋のそれなので絶対にやめてください。はぁ……まぁ正直、ある程度強引な手段に出るってこと自体は悪くない、っていうか、もうそういう方向しかないと思うんですけどね。力技以外じゃもうお兄やリコっちゃんが転校生達と付き合ってしまうことを阻むのは不可能っていうか……」


 眉間を抑えて再度ため息をつく久吾。ダメだこいつ。ホント使えない。頼りにならない。ホントあほ。

 お兄が他の女と付き合わないようにするのなんて簡単じゃん。もっともっと単純でストレートな方法があるっしょ。


「とにかくですね、華乃――」

「てかさぁ、あたしがお兄を落とせばいいだけじゃん」

「…………は?」

「お兄を誘惑してあたしに夢中にさせてやんの。そうすりゃガキになんて興味なくなるっしょ」

「は……は? は? いやちょっと……あ待って、頭痛くなってきちゃいました……」

「今まであんたが考えてきた作戦のちょっとしたアレンジっしょ。てかむしろこっちが真っ当な方法じゃん。今までやってきた作戦が無駄に捻くれてんの。シンプルに行こ。あたしがお兄を落とすから、あんたはリコを落としなよ。じゃ、そゆことで」

「いや……っ――いやいやいやいやいや! 百億歩譲ってオレがリコっちゃんをってのはいいとして、華乃がお兄をってのは……ちょっ、待ってください! マジで一旦落ち着いてくださいって! 何があったか知りませんけどヤケになっちゃダメっすよ!」

「待つのは君だ、久ちゃん! 華乃ちゃんを追いかける前にまずは私を助けてくれ! ここから引っ張り出してくれ! 完全に嵌ってしまったみたいなんだ! 痛いのは嫌だから編集室からローションを持ってきてくれてもいいぞ!」

「何で高校生の恋愛リアリティショーでローション用意してんですか。何に使うつもりだったんですか」

「相撲」


 アホなやり取りを繰り広げるアホ二人を放って体育倉庫を出る。アホの相手なんてしてらんない。あたしはお兄を落とすことに集中しなきゃなんないんだから。


 ヤケになんかなってない。リコに対してムキになんてなってるわけがない。全部自分の家族から変態が出ないようにするだけのため。全部自分のため。リコもお兄も関係ない。

 簡単だ。あのクソガキみたいにお兄を持ち上げて自尊心を満たしてやるとか、そんな小手先の方法なんていらない。そんなのはあたし達のコミュニケーションじゃない。そもそも「優しくされたから惚れた」とかいう久吾の説も怪しい。てかお兄だって、あたし達が本気でお兄達を嫌ってるなんて思っていないはずだし。あたし達のホントの気持ちなんて言わなくてもちゃんと分かってくれてるに決まってる。


 だから、褒めるのではなく、意地悪で落とす。今までのあたしで落とす。


 だいじょぶっしょ。だってお兄ってシスコンだもん。

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