第14話 華乃と天志

「あ、そういやついさっき大町くんも起きてきましたよ。今度は華乃の番っすからね。偉そうなことばっか言って、あなたこそちゃんと大町くんを落としてくれるんですよね?」


 あ、そうか、そういやそうだった……あたしもやるんだった……。

 まぁでもこれは大事な仕事だ。大町くんをあたしに惚れさせて、リコを失恋させて――そうすればいずれリコの目も覚めるだろう。リコが説得してくれればお兄だって……なぜかそれはちょっとムカつく気もするけど……。

 まぁいい。やってやろうじゃん。てか余裕っしょ。高一男子なんてちょっと色気を見せてやれば簡単に陥落するんだから。性欲に脳みそを支配された猿みたいな生き物だってことぐらい、あたしはよく知っている。


「あ、華乃さんに久吾くん。おはよ。いやぁ、二人とも早起きなんだね。僕なんてあんなに爆睡してたはずなのに今でもちょっと眠いよ」


 家庭科室に入ると、大町くんが目を擦りながら微笑みかけてきた。ちなみにその隣では澄香ちゃんが鼻歌を歌いながらサバを焼いていた。ウザ男を蹴散らしてご機嫌なようだ。

 あたしはこんな失敗はしない。めんどいけど、まぁさっさと済ましてしまおう。


「まぁ今日もポカポカした良い天気だしねー。でもさすがにちょっと暑くなってきたかなー」

 あたしは体操着の胸元をつまんで風を送り込むようにパタパタとしながら、

「ね、大町くん? あたし、汗かいちゃった。こんなんじゃさ、さすがに君も、目、覚めちゃわない?」


 上目遣いで大町くんの顔を覗き込む。

 挑発的なポーズと挑発的な微笑み。あたしの白い胸元を見せつければ思春期のオスガキなんて一瞬で――


「華乃さん……そういうのはよくないと思うよ僕は。からかっているだけなんだろうけど、もっと自分の体を大事にしなくちゃ。そもそもここは学校だし。それに、久吾くんにも悪い気がするしね。だからほら、ちゃんと服着よう?」


 は? 何で二つも年下のガキにあたしが説教されてんの? 何でそんなバカを諭すような感じなの? 何でそんな本気で(頭を)心配するような眼差しを向けられなきゃなんないの?


「ふっ――ふはっ、なはははははっ! 君も、目、覚めちゃわない――って、なんすかそれっ、なはっ、なはははははははっ! 君……君……っ、君なんて言ったことないでしょ、あなたっ、なはははははっ! ヤエっちゃん、今の動画オレにもくださいっ、くっ、くくくっ、ダメだ死ぬ……っ、なははははははははっ!」

「いや久ちゃん、その必要はないぞ。絶対ノーカットで番組に使うから。ぐふふっ」


 そしてテメェらは何普通に笑ってんだアホ久吾にアホD。元々あんたらの指示に従ってこんなことやってるようなもんなんだかんね!?


「何……を、やっているの、華乃……?」


 わなわなと震えるような声に振り返ると、そこには、


「リコ……! え、何でこんなに早く……っ、て、お兄まで……!?」


 入り口でリコが目を見開いて立ちすくんでいた。その後ろからお兄もドン引き顔を覗かせている。


「いや緊張でちゃんと寝付けなかったからな……てか俺とリコのスマホのアラーム解除されてたのってやっぱお前らの仕業か……」

「い、いやそれはあたしじゃなくて久吾が勝手に……」

「華乃……あなた、わたしの天使きゅんを誘惑して……許さない……許さない許さない許さない……!」

「ちょっ、怖い怖い怖い! 誰かリコを止めてっ!」


 ゆらゆらとふらつきながら、ゆっくりと距離を詰めてくるリコ。その目は虚ろで、その手に包丁でも握っていたら完全にこれから人を殺めようとしている狂人の姿だ。そしてここは家庭科室だからその辺にいくらでも包丁がある。つまりこのままだと死ぬ。


「おいおい落ち着けリコ。気持ちは分かるが少し大げさだ。華乃は年下に惚れたりするタイプじゃねーし、どうせいつもの悪ふざけだろ。それに、お前だってそんな姿を大町くんに見せたくねーだろ?」

「お兄……そうね、確かに。どうかしていたわ。華乃のなんかをまともに相手にしている暇ないものね、わたしも……彼も……」


 後ろから抱きかかえられるようにお兄に引き止められ、やっとリコがクールダウン――したと思ったら今度は大町くんをチラチラしながらポッと頬を染める。大町くんにニコッと爽やかに微笑み返されてさらに真っ赤になっている。きも。何だよ彼って。きも。


「ふーん、お兄さんとリコさん、やっぱり仲良しですね。朝からそんなにくっついて」


 澄香ちゃんが大根を切りながら頬を膨らませる。うーん、昨日からちょっと思ってたけど何かあざといよね、この子……。


「いやいや違うんだ澄香。変な勘違いしないでくれっ」

「そうよ、澄香さん。お兄とわたしは応援し合っている関係であって、スポ根的な絆で繋がっているだけよ。ほら、お兄、手伝ってきなさい」


 リコに促されて、お兄が澄香ちゃんの隣で大根をおろし始める。


「まぁ別に構わないですけどねっ。あたしもさっき久吾先輩に口説かれちゃいましたしっ」

「久吾……お前……っ」

「違うんですって! ちょっ、お兄怖いっす怖いっす! マジで一旦大根おろし器を置いてください! オレおろされたくないっす!」


 プイッとそっぽを向く澄香ちゃんと、目を血走らせながら久吾に迫るお兄。あー男を転がすこの感じ……意識的かどうかは分かんないけど、これに気持ちよくなってたりしそうだな……小悪魔っていうか悪女っていうか……ちょっとこの子、裏の顔はありそうだ。


「ふ、ふふふっ! 冗談ですよ、お兄さんっ。お兄さんのこと信じてますし、私も他の男子になんて興味ありません! 不安にならないでください! あ、でも……嫉妬してもらえるのは嬉しいです……性格、悪いですよね……? ごめんなさい。本当は澄香、悪い子なんです。お兄さんのことになると、悪い澄香が出てしまいます……」

「お、お、おおおおうっ、いや全然そういう澄香も可愛いと思うし俺は澄香のことなら何だって受け入れられるしてかそうやって目をウルウルさせながら見上げられると心臓が……っ」


 超赤面で超早口になりながら超高速でゴシゴシと大根をおろしていくお兄。きも! きもきもきもきも! もう限界なんだけど!


「うっわ、きもっ。お兄、それちんぽシコってる時の手の速さじゃん。欲情したけどちんぽシコれないから大根に欲求ぶつけてんじゃん。きっも。その大根おろし、あたしらが食べんの? うっわ、きっも。謎の粘り気ついてそう」

「そ、そんなんじゃねーよ! こんなに強く擦んねーし!」

「うっわ、きもー。必死で否定するとこが図星っぽい。きもっ、きもっ、きもっ! てかマジでシコった後ちゃんと洗った手なの、これ。ねぇ」


 お兄をなじりながら、その手を指でツンツン弄ってやる。お兄に近づいて、というより、お兄を引き寄せて。この子の近くにいさせるとお兄のキモさが倍増してしまうから。


「だからそんなんじゃ――」

「やめてください! 華乃先輩、どうしてお兄さんにそんなこと言うんですか!?」


 反論しようとしてきたお兄を遮って、澄香ちゃんが声を荒らげてくる。えー……。


「な、なに? いま澄香ちゃんカンケーないんだけどっ。お兄とあたしの話なんだけどっ」

「関係なくありません! 好きな人が酷いことを言われているのを黙って見ているわけにはいかないです! 華乃先輩、お兄さんのお姉さんなのにどうしてお兄さんを虐めるんですか! 私、許せないです! お兄さんから離れてください!」

「なっ、なっ、な――っ」


 なに……何なのこいつ!? 何でこんなガキにお兄との関係を口出しされなきゃなんないの!? てかお姉さんじゃないし! リコや久吾からならまだしも、そんなことも知らないような赤の他人にとやかく言われる筋合いない!


「あんたねぇ……! お兄とあたしに――」

「す、澄香……好きな人って……っ、お、俺のことだよな……?」

「あ……っ、いえ…………は、はい、そうです……」


 詰め寄ろうとするあたしを無視してキモいやり取りを繰り広げる二人。は? は? は? は? はぁ!?


「そ、そうか……あ、うっ、お、俺も澄香のこと……っ、すっ、澄香のこと……っ、すすす澄香のことが……っ」

「ふふっ、もうっ。可愛いです、お兄さん♪ 大丈夫ですよ、分かっていますから。それに、大事なことは二人きりの時に言ってほしいです……っ」

「澄香……」

「お兄さん……」

「ああああぁああああああぁぁああああああああぁっ!! キモいキモいキモいキモいキモいキモいぃぃいいいぃっ!!」

「華乃……落ち着いてください……」

「落ち着けるかぁっ!!」


 キモいキモいキモい、何なのこれ! 何なのこの女! こんな女いるわけないっしょ!? 全てが嘘くさい! 作り物めいてる! 庇護欲をくすぐろうとしてるの丸出しな表情とか猫なで声とか! 語尾に音符付ける女なんて存在するわけがない! こいつは分厚い皮を被りまくってる!


「いやだからマジでオレもう被ってないんですって……子どもの時とは違うんすよ……ちゃんと剥けますし……」

「あんたは黙ってて! 勝手に人の心読んだ挙句、キモい勘違いすんな!」


 クソっ、クソっ、クソっ! 暴いてやる……このクソ女の本性を暴いてやる……! そうだ、それだ。そもそもそうすればこんな面倒くさいこと初めっからしないで済んだんだ。

 このあばずれクソガキの化けの皮を引っぺがして、お兄の前に突き出してやる! そうすりゃキモお兄の目も覚めるっしょ!

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