第11話 華乃と久吾

「……ねぇ、久吾。何が目的なの、これ」

「声でかいっすよ、華乃。何でオレの周りの人間は声をひそめられないんですか?」


 は? なにそれ。何であたしがお兄やリコやヤエちゃんと同類みたいになってんの?

 呆れたようにため息をついている久吾を睨みつけてやる。窓から差し込む月明りしかない体育館だが、この距離なら表情も伝わるだろう。


 時刻は夜十時半。

 あたしはうつ伏せになって布団から顔を出し、正面であたしと同じように顔を覗かせている久吾に事の真意を問いただしていた。


 現在、あたしたち番組出演者六人は体育館の床に布団を敷いて就寝中。

 布団の並びは三人ずつの二列。前列が左から大町くん・リコ・久吾。前列と頭を向け合って後列が左から澄香ちゃん・お兄・あたし。

 この広い体育館において、布団をくっつけるように密集させる必要性があるのかどうかは甚だ疑問だけど、まぁディレクターの指示だから仕方ない。番組成功のボーナスは欲しいし……。でも、


「いや、だって! さすがにこの並びはおかしいでしょ!」


 お兄と澄香ちゃんが隣同士とか、リコと大町くんが隣同士とか、絶対ダメじゃん! 何であんたもっと抵抗してくんなかったの!? お兄とリコがもじもじしながら布団敷いてるのめっちゃキモかったじゃん!


「華乃ちょっと」

「は? ちょ――」


 突然両脇に腕を回され、久吾の布団の中へと引きずり込まれてしまう。下半身は自分の布団、上半身は久吾の布団の中に潜り込んでいる形。なんだこれ。


「久吾あんたなに急に発情してんの? 普通に無理だから。困るから。悪いけど勝手に自分でシコって」

「気持ち悪いこと言わないでください。あともっとヒソヒソ声で。ほら、オレの顔すぐここにあるんで」


 布団の中に光が灯る。久吾がスマホで照らしたようだ。すぐ目の前に無駄に整った色黒の顔が浮かび上がっている。


「いやでもあんたおっぱい触ったじゃん。今ここに引っ張り込むとき」

「え、気づかなかった……それはすみません。でも子どもの時とかにあなたがオレの股間触ってきた回数の方が圧倒的に多いですから、おあいこにしてください」

「は? あんたのちんぽとあたしの胸の価値が同等とでも?」

「いや分かりました、後でちゃんと償うんで取り合えずこの件は置いときましょう。今はこんなことで言い争ってる場合じゃないでしょう? とにかく今はお兄とリコっちゃんのことですよ! あのポン闇コンビを早く何とかしないと大変なことになります!」

「いやだからあたしはずっとそう言ってんじゃん! なのにあんたが……何でお兄の隣を澄香ちゃんにしちゃったの!? あいつら一人だけだともじもじウジウジしてるだけのくせに、お互いサポートし合ってこんなポジション取っちゃったじゃん!」

「女子中学生みたいでしたね……」

「とにかくあんたも事の重大さを分かってるんなら話は早い、ってか話なんてする前にもう行動でしょ! さっさとあの変態二人をガキ二人から離さなきゃ!」

「まぁまぁ待ってください待ってください。そんなんじゃ根本的な解決にならないでしょう」

「はぁ!?」

「無理やり引き離したりするのは逆効果ですよ。今あの人達は自分に酔ってますからね。年齢差という障害に燃え上がってるところに燃料投下してどうすんですか」

「それは……そうかもだけど……でもだってっ! じゃあどうすんの!?」

「いいですか華乃。よく考えてみてください。あの人達がホントに九つも下の子どもに恋してしまうと思いますか?」

「あんたの口から恋とか聞きたくなかったんだけど。てかだってしてんじゃん実際。ガチ恋もガチ恋じゃん」

「違います。あれは恋じゃありません。あの人達は美麻さんや大町くんに優しくされたり褒められたりして承認欲求が満たされちゃってるだけなんです。それを恋と勘違いしちゃってるだけです。脳が溶けちゃってるんです」

「はぁ? なにそれ。思春期じゃないんだから」

「思春期なんですよ! 高校生なんです!」

「あ、設定ではね。何でそんなテンション高いのあんた」

「設定の話じゃないです! 実際に高校生みたいなもんなんです! 思春期真っ只中なんです! お兄とリコっちゃんのこの異変を垣間見て改めて考えてみたんですよ。そして理解しました。あの人達はいま人生で初めて人間の暖かさに触れて感情が芽生えてしまったモンスターみたいな状態なんです。言ってみれば0歳児と同じです」

「えー……高校生どころか赤ちゃんにまで戻ってってんの……?」

「これがどういうことか分かりますか? お兄とリコっちゃんがこんなことになったのはは全部オレ達の責任なんですよ!?」

「は?」

「オレ達が一切褒めてあげなかったから、あの二人は自己肯定感が低いままここまで育ってしまったんです!」

「えー……ねぇ、だから何でそんなにテンション高いの?」

「罪悪感からですよ! でもですよ、華乃。逆に考えれば、引き戻すのも簡単なはずなんです。チョロいはずなんです! 強制的に対象から引き離すんじゃなくて、お兄自身・リコっちゃん自身を更生させてあげるんですよ!」

「はぁ? なに、どゆこと?」

「オレ達が美麻さん達と同じようにお兄とリコっちゃんを褒めまくるんです! 甘やかすんです! 自分達に優しいのは美麻さん達だけじゃないと、本当に居心地のいい場所はこんなに近くにあったんだと気付かせてあげるんですよ! そうすれば美麻さん達に対する倒錯した思いも一気に冷めるわけです!」

「あ、そう……肩つかむのやめて」


 必死な形相で訴えてくる久吾。うざい。こういうすぐ熱くなるとこあんだよね、こいつ……。

 でもその主張には確かに一理あるのかもしれない。そもそも物理的に引き離すのなんて限界があるわけだし。澄香ちゃん達への気持ちを失わせる必要があるというのは間違いない。

 しかもそれはたぶん、難しい話じゃない。お兄とリコのチョロさはあたしらが一番よく知ってる。テキトーにおだてとけば勝手に自尊心を満たして目を覚ましてくれるだろう。


「というわけでさっそく、はい。お兄を連れてきてください。まずはお兄から褒めちぎってやりましょう」

「はぁ……はいはい……」


 それに……たまにはお兄への感謝やねぎらいの言葉ぐらいかけてやってもいいだろうし。


「お兄、ちょっと」


 隣の布団で眠るお兄の背中をつかんで、自分の布団へと強引に引きずり込む。あたしとお兄の首から下があたしの布団に、首から上が久吾の布団に潜っているフォーメーションだ。あたしとお兄が布団の中で久吾と向き合っている。ほんとマジ何だこれ。


「痛い痛い痛い、ちょ、え、なにお前ら。何で俺急に引っ張ってこられたの? てかお前らさっきから二人で布団潜ってモゾモゾ何やってんだよ。え、お前らそういうエロいことする関係だったの?」

「違いますよ……何でオレが華乃なんかと……てか顔だけ向き合った体勢でどんなエロいことできんですか? お兄じゃないんですからそんな変態チックなことしません」

「てかお兄こそ澄香ちゃんの隣なんかに寝てさぁ、しかも澄香ちゃんの方ずっと向いてるし。え、まさか隣に眠る高校生をオカズにシコってたの? うっわー……きもすぎ……犯罪者……死ね」

「してねぇよ、そんなこと! 俺はそんな目で澄香のこと見てねぇって言ってんだろ! 何で華乃はそういう発想を……はぁ……まぁいいや。もうお前らに理解してもらいてぇとも思わねーし。お前らなんかにはどう思われたっていい」

「あっ、いや違くて」


 やばい。お兄が拗ねてしまった。ついつい厳しい言葉をかけてしまう……。久吾が「何やってんですか……」みたいな呆れ顔を浮かべてるのがウザい。あんたも同じようなもんだったでしょ。


「はぁ……バカにしてぇだけなら俺は戻るぞ。いい加減寝てぇんだよ」


 いやどうせ澄香ちゃんの隣で緊張のあまり脳みそギンギンになって眠れなかったんでしょ、この変態きもロリコン――という言葉をぐっと飲み込み、あたしはできる限り優しい声音で、


「待って。ねぇお兄、お兄ってさ……」

「んだよ。用があんならさっさとしろよ」

「や、その……お兄ってさ、家族っ、思ぃでっ、ね? あのっ、いつも……っ」

「は? 何言ってんのお前? 家族が何?」

「……っ、お、お兄はほらっ、あたしにも……あれ……だし……っ、ほら、あれ、責任感とかっ、あれだし……っ」

「はぁ? もっとはっきり喋ってくんねーか? ボソボソしてて何言ってんのか全然わかんねーんだが。てか何でそんな顔赤いんだ? 熱でもあんじゃ――」

「うううっっっさい!! 死ねキモロリコン! 顔近づけんな、死ね!」

「ぁうぶっ!」


 気付いた時にはお兄をビンタしていた。全力で腕を振りぬいていた。でもだってしょうがないじゃん! なんかめっちゃ恥ずいんだもん、これ!


「はぁ、はぁ、はぁ……あ、い、いやお兄、これはその……」

「くそっ、あーあ結局これかよ。またこうやって意味もなく俺を痛めつけて……お前らのストレス発散のためだけに俺やリコを使うなよ。ホントもう相手してらんねぇ。今後一切話しかけてくんな。じゃあな」

「あ……」


 刺々しい言葉と悲哀に満ちた表情。それだけを残してお兄は自分の布団へと戻ってしまった。

 やっちゃった……。


「何をやってんですか華乃……」

「うっさい! そんなアホを見るような目で見るな! あんたがやってみろ!」


 久吾のやつ、簡単に言いやがって。これはそんなに簡単なことじゃないのだ。お兄に優しくしようとすると心臓がバクバクして言葉が出なくなってしまうのだ。


「やってみろって……てきとーに持ち上げとけばいいだけでしょうに……まぁ見ててくださいよ。……リコっちゃん、ちょっといいっすか」


 久吾が布団から顔を出し、隣で寝ているリコの肩をポンポンと叩く。


「……何よ」


 こちらに寝返りを打ったリコはジトッとした目であたし達の顔を見てきた。声音も不機嫌丸出しだ。どうせ大町くんの背中をずっと眺めてエロい妄想に耽っていたのを邪魔されて怒っているのだろう。キモい。


「あのですね、リコっちゃん。リコっちゃんって、その……あの……えと、むっ、昔からいつもオレ達に……っ」

「は? 何をゴニョゴニョ言っているの? 全然聞き取れないのだけれど」

「~~~~っ! そのっ、あのっ! オ、オレはっ! オレはリコっちゃんやお兄のことなんて全然尊敬なんてしてませんし全然感謝とかしてないんですからね!!」

「「ええー……」」


 顔を真っ赤にして吠える久吾に、リコもあたしも呆然とするしかない。ちなみに今は布団から顔を出した状態なので普通に体育館中に声が響き渡った。えー……。


「るっせぇなぁ……何なんだよお前ら一体」「ど、どうしたんですか、久吾先輩……怖い夢でも見ましたか……?」


 お兄に続いて澄香ちゃんまでビクッとして体を起こしてきてしまった。ちなみに大町くんは未だにスヤスヤ寝息を立てている。意外と図太い。


「いえ、何でもないわ。またいつものように久吾がわたしを馬鹿にしてきただけ。相手にする必要もないわ」


 リコが面倒くさそうに二人を制して床に戻す。


「はぁ……久吾、華乃。本当に幻滅したわ、あなた達には。わたしとお兄を貶すことしか楽しみがないのね。まぁ勝手にすればいいわ。ただ、わたし達の恋路の邪魔はしないで。わたし達はもうあなた達とは別の世界で生きていくわ。あなた達だっていつまでも子どもじゃないのだから、いい加減、自分の恋愛と向き合いなさい? さっきからずっと二人で布団に潜ってモゾモゾとして、夜這いをかけるのならちゃんと関係をはっきりさせてからにしなさいね?」

「う、うるさいです! リコっちゃんなんかにお姉さん面で注意されたくないです! だいたいあなたオレより年下でしょう! バーカ、バーカ!」


 久吾がわーわー喚きながらすっぽりと布団の中に逃げ隠れてしまう。リコもため息をついて再度床についてしまった。ホント何だこいつら。


「…………」

「…………」

「……………………久吾。ねぇ、ツンデレあほ久吾」

「ツンデレ言わないでください! 何ですか!? 夜這いですか!?」

「違うし声デカいからあんた」


 久吾の布団に頭を突っ込み、とりあえずスマホで明かりを灯す。第一次作戦は失敗。次のプランを立てなければならない。

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