第9話 お兄とリコ
「きもい……っ、きもいきもいきもいっ! リコがきもい! なに高校生にガチ惚れしてんの!? リコがあたしより年下に発情してるとかキモすぎてキモい! リコもお兄もきもすぎ! このポン闇コンビ!」
「リコっちゃん……成人女性が男の子に手を出すのも犯罪ですからね……? たまにそういう事件もあるみたいですよ……。オレ、たとえ幼なじみだろうと犯罪行為見つけたら即行で通報できるんで。その時は他人のふりするんで」
「発情はしていないわよ! 犯罪でもない! 純愛だから! 天志きゅんを穢すようなこと言わないで! 天志きゅんは天使なんだから!」
「きゅんって言うな」「王子様じゃなかったんですか」
「天志きゅんは天使の国の王子様なの! いっぱい褒めてくれたんだから! 可愛いよって、綺麗だよって、紫子ちゃんは凄く素敵な女の子だよって言ってくれたんだから!」
「紫子って誰? 久吾知ってる?」「さぁ……そんな清楚そうな女性はオレの周りにいないんで」
華乃と久吾に軽蔑の眼差しを浴びせ続けられる紫子ちゃんことリコ。そんな学生服姿の二十五歳の姿を、ハァハァと息を荒くしながらカメラに収める二十六歳・女性ディレクター。絶対に自分用の動画である。
「リコ……お前……」
「――お兄……っ、お兄なら分かって……くれる……のかしら……?」
リコがすがるような目で俺を見上げてくる。でもそこにはどこか遠慮めいた、半ば諦めのような色も含まれている。いや、ただの気のせいかもしれない。実際俺以外にはそんな色なんて感じ取れないだろう。でも、たぶんさっきの俺も同じような目をしていた。そしてリコにそんな目をさせてしまっているのは全部俺のせいだ。だから、
「分かる。俺には分かる」
「お兄……」
だから、俺は膝をついてリコの手を両手で包み、
「お前と同じように、俺はお前の気持ちを肯定も否定もできない。だから妨害はしない。でも、応援はする。必要ないと言われても勝手に応援する」
「お兄……っ」
リコが目を見開いて俺を見つめてくる。
「お兄……さっきはごめんね……素直に応援してあげられなくて……っ」
「いや、いい。謝るな。分かってるから全部」
別に俺だけがいい格好しようとか、そんなつもりじゃない。俺より先にリコが高校生に惚れていたら、俺もリコと全く同じ言動をとっただろう。見捨てることも応援することもできずに曖昧な態度をとるしかなかっただろう。そしてもしも俺がリコの後に高校生に惚れていたとしたら、リコは今の俺と全く同じようにしてくれたはずだ。俺のことをまっすぐ応援してくれたはずだ。
「わたし決めたわ……お兄と澄香さんの仲を応援する。この先の人生、あなたがどんな禁断の恋愛をしようとしたしても、私だけは絶対にあなたを見捨てない。ううん、全力でサポートする!」
「リコ……っ」
「誓うわ。何があっても、世界中があなたを攻撃するような禁断の愛でも、わたしだけは永遠にお兄の味方よ!」
「リコっ、俺もだ! 俺だけは絶対にお前の味方だ!」
綺麗な肌をしているリコはしかし、手だけは少し荒れていて、澄香のすべすべの手や、高校生の頃のリコの手とは違っていて、でもそれは俺と一緒にたくさんの梨を作ってきた証でもあって――こうやって両手を握り合っていると二人だけの絆を感じられる。
なんて……なんて心強いんだ!
「いやいや何二人で盛り上がってんの!? ダメに決まってんでしょーが!」
「うるさいわね、華乃。わたしとお兄の少年ジャンプ的な熱い友情に水を差さないで」
「リコっちゃん、お兄……絆じゃ条令には勝てませんよ……?」
「うるせー久吾。たとえ勝てなくても俺達は戦い続ける。リコがいれば何も怖くねー」
リコと目を合わせて二人同時に力強く頷く。外野が何を言ってこようが関係ねー。もはや反論する気にすらならない。たった一人の理解者さえいてくれれば、どんな罵詈雑言も耳に入ってこなくなるのだ。
「だいたいホント頭おかしいっしょ、二人とも……いい大人があんなガキどもに惚れちゃうとか……あんなのの何がいいの?」
「ホントっすよ。子ども相手に、とかだけじゃなくて、ついさっき会ったばかりの人間にそんなに夢中になっちゃうのも相当ヤバいですけどね……」
「うるっっっさいわね! あなた達が悪いんでしょう!? 昔からあなた達がちっともわたしとお兄を褒めてくれないから! 華乃や久吾やヤエに傷つけられてきた心を天志くんは癒してくれるの!」
「そうだ、全部お前らが悪い! 俺達がいくら尽くしても何も返してくれないから! ちっとも甘やかしてくれないから! 澄香は俺のオアシスなんだよ!」
「えー……バチギレしてんじゃないっすか……」
「二人ともヤエちゃんみたいなんだけど」
「華乃あなたそれは言葉の暴力よ!? 明らかに人権侵害だわ!」「ヘイトスピーチやめろ! 訴えてやる!」
「リコちゃん、お兄。それは私に対する人権侵害だ」
そう、こいつら三人は俺とリコをずっとコケにしてきた。俺達の優しさを当然のものだと見なしてつけあがり続けてきた。俺達の大切さをちっとも分かっちゃくれなかった。
そしてこれから先もずっと分かってはくれないだろう。俺達二人を都合のいい時だけ利用して、それ以外ではゴミクズ扱いし続けるだろう。さんざん甘い汁だけを吸われて、カラカラに干乾びた俺達は、あとはもうポイっと捨てられるだけだ。
それでも俺とリコは今まで、こいつらを見限ろうとは思わなかった。こいつらからの扱いが特別酷いものだとは気づかなかったからだ。こいつらが俺達の存在を当たり前のものだと思っていたように、俺達もこいつらからの仕打ちを当たり前のものだと思い込んでいた。自分が酷い仕打ちを受けているのは自分のせいだと思っていた。俺なんかが優しくされるわけがないと思っていた。毎日毎日自然の厳しさを肌で感じながら、俺達に優しい世界なんてこの世にはないと勝手に信じ込んでいた。
でも違った。外の世界にはこんなに素敵な人がいた。
甘い世界なんてどこにもないことは分かっている。どこに行ったってほとんど全ての人間は華乃や久吾やヤエのように俺達を扱うのだろう。
でも全員じゃない。だって俺達はゴミクズなんかじゃねぇから。分かってくれる人はそれを分かってくれる。俺達という人間の魅力をちゃんと見てくれる。
それを澄香は教えてくれた! 大町くんがリコに教えてくれたんだ!
俺達は胸を張って生きていていいんだ!
だからそんな人生の恩人に、俺達は自信を持って、この愛を伝えるんだ!
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