第8話 田舎で恋しちゃお♪

「で、どうだったの、お兄。ちゃんと断ることができたのかしら?」

「あ、えと、いやその」

「はぁ……リコ……お兄に期待なんてしてどうすんの。お兄のことだもん、どうせビビッて逃げてきたに決まってんでしょ」

「いや華乃、逃げてきたってか、俺はその」

「いやいやさすがのお兄だって九つも下の高校生相手にビビったりしないっすよー。むしろ女性経験が少ないお兄のことですからね、逆に酷すぎる振り方してめっちゃ傷つけてきちゃったんじゃないっすか? うん、オレはそれに賭けてもいいっすよ、入学祝いにお兄から貰った腕時計」

「いやー久吾、俺はそういうので女の子を傷つけたりするのは良くないと思うんだよなぁ、だからその、」

「じゃああたしは逃げてきた方に賭けよーっと。誕生日にお兄から貰った財布」

「いらないっすよ……賭けにならないじゃないっすか……普通にその財布の中身の五十円でいいですよ」


 あー、どうしよう……マジでどうやってこいつらに話せばいいんだ……。


 またしても体育倉庫でくつろぐ俺達四人+ヤエ。まぁ正確に言うと俺は全くくつろげていないのだが……。


 あの後、俺は魂が抜けてしまったかのように脱力してしまい、ここで一人(+ヤエ)、ボーっとしていた。その後、大町くんへの学校案内を終えた三人が帰ってきて、今は休憩時間といった感じだ。ちなみに澄香と大町くんはインタビュー動画の撮影中らしい。


「どうしたのよ、お兄。いくら何でも挙動不審が過ぎるわよ? そして何でヤエはさっきからそんなにニヤニヤしているのよ?」

「ぐふふ、何でってリコちゃん、人がニヤニヤするのは愉快なことがあったからに決まっているではないか! なぁ、お兄?」


 くそ、ぐふふって何だよ、そんな笑い方あるかよ。

 まぁ……でもしょうがない……いつまでも黙っているわけにはいかない……。というか澄香と一緒にいる姿を見られる前に話しておいた方が、俺もこいつらもダメージは少なく済むだろう……あくまで少なく、というだけだが。


「あのな、みんな。落ち着いて聞いてくれよ……? 実はな、実は俺……」





「は……? 嘘……でしょ……?」

「お兄……ちょっとその冗談はさすがに笑えないっす」


 たった数分前にここで何が起こったのか、俺が告白し終えると、華乃と久吾は目を見開き、口をぽっかりと開けて数十秒間沈黙した後、露骨に現実から目をそらした。この現実を受け入れることを拒んできた。


「いや、その……な? ……全部、ホントだ……」

「は……ハハ……お兄……」


 目を充血させて乾いた笑いを漏らす妹を、直視することができない。

 ああ、すまん、華乃。でもちゃんと説明するから……ちゃんと俺の気持ちを聞いてくれれば納得してもらえるはずだから……っ!


「お兄……」

 跳び箱に背中でもたれかかり、神妙な顔で話を聞いてくれていたリコが、初めて口を開く。

「澄香さんもあなたのことが好きで、あなたも彼女のことを好きになってしまった……ということは、じゃあ、付き合うことになってしまったわけね?」

「いや。緊張で逃げ出してきちゃったから。胸がドキドキキュンキュンして、このまま隣で澄香の温もりを感じていたら心臓が爆発しちゃうと思ってな。一旦ここから走り去って、しばらくしてから戻ってきたらもう澄香がインタビューの方連れていかれちまってたんだ。そんでその後すぐお前らが来たって感じ」

「あ、そう……」


 リコが目頭を押さえて俯く。頭痛かな?


「ハハハ……ハハ……お兄が、高校一年生の女子を……ハハハ……」

「うん、華乃。落ち着いて聞いてくれよ? 俺のこの気持ちはあくまでプラトニックなものであって、」

「うわぁぁぁぁああぁぁっ!!」


 華乃が頭を抱えて叫びながら崩れ落ちる。えー……。いやでもっ! 俺達は兄妹なんだ! しっかり説明すれば華乃も応援してくれるはず! 一番の理解者になってくれるはず!


「いや華乃、聞いてくれ、」

「近寄んな、この犯罪者っ!! ロリコン!!」

「えー……」

「キモいキモいきもいきもいきもい!!」


 敵意丸出しの表情で俺の手を弾き、華乃は床でのたうち回り始めた。えー……。やめろって、パンツ見えるぞ。


「きもい! きもきもきもきもきもっ! きもい! きもいきもいきもいきもい! きもーーーーーーーーーっ!! きもいっ!! あたしよりも年下の女に発情するとかっ! きもいきもいきもいっ! 妹より年下とかありえないっしょ!? きもきもきもきもっ! きもいぃぃぃぃぃぃっ!! きもいっ! きもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもい!! はぁ、はぁ、はぁ……………………やっぱきもいっ!! きもいきもいきもきもきもきもっ、きもきもきもきもきもきもきもきもきもい!! きもい……っ!! きもいきもいきもいきもい! きもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいっ!! きもいっっっ!!」

「は、発情はしてねーし! 純愛だし!」

「きもい! それはそれでキモすぎるから! だいたいおかしいじゃん! 妹より年下なんだよ!? お兄、あたしの高校の同級生とか後輩も恋愛対象に入ってるってことでしょ!? きもいきもいきもい!」

「でも今のお前は俺のお姉ちゃんだから……俺より年上だから……」

「都合よく弟面すんな! きもい!」

「て、てか違ーし! 高校生とか恋愛対象に入るわけねーけど、澄香だけは特別なんだよ! 澄香は精神的には大人だし……」

「澄香って呼ぶなぁぁぁぁ」

「何でだよ、澄香は澄香だろっ。そんなこと華乃に指図される筋合いねーし! あ、てかお前こそ澄香とか口に出してんじゃねーよ! 澄香って呼び名は俺だけのもんなんだぞ!」

「死ね」


 酷い……酷すぎる……どうやったら実の弟(兄)に向かってそんな冷たい視線を投げつけられるんだ……。


「オレもちょっと……あまりのショックで腰抜けちゃったんですけど……さすがにないっすよ、お兄……今後の付き合い方考えます……ちょっと一旦死んできた方がいいかもですよ……?」

「久吾……っ、お前まで……っ、ひでぇ……ひでぇよ……! 俺が青春したいって思っちゃいけねーのかよ!?」

「歳考えてよ! おっさんでしょ、あんた!」「あ、おっさんが青春とか言うのやめてもらっていいっすか? 鳥肌立っちゃうんで」

「おっさんじゃねぇ! 俺は澄香に王子様って言ってもらったんだぞ!?」

「だから澄香って呼ぶなぁぁぁぁ」「は? ロリコン王国の王子っすか?」


 いや分かってた、分かってたけどよ、お前らがどんな反応をしてくるかなんて……お前らが俺をどう思ってるかなんて……!


「そんでテメェはなにカメラ回してんだよ、クソディレクター!! こんなシーン使えるわけねーだろ!?」

「いやこれは個人的な趣味だ。面白すぎる。君が罵倒されまくっている姿でフランスパン四本はいけると思う」


 俺が華乃と久吾からゴミクズ扱いを受けているところをニヤニヤしながらずっと撮影し続けていたヤエ。何気に一番酷い仕打ちだと思う。


 いや本当に知ってたんだ。分かってたはずなんだ。こいつらにとって俺がどんな存在であるかなんて。小さい頃から俺が一方的にこいつらを掛け替えのない存在だと思っていただけで、こいつらにとって俺は虫けらも同然。

 分かっていた。分かっていたけど、それでも少しだけ、期待してしまったんだ。俺が初めて本気の恋をしたのだから、呆れながらも背中を押してくれるはずだと。


 だからやっぱり痛い。心が痛い。サヨナラエラーをした高校球児のごとく、四つん這いでうなだれるしかない。俺は今高校生なのでよく似合っていると思う。てへ。


「はぁ…………お兄、とりあえず顔を上げなさい」


 深いため息をついて、こめかみを押さえながらも、その手を差し伸べてくれたのは、


「リコ……」

「はぁ……あのね、お兄……うん……何て言えばいいのか、難しいのだけれど……うん、うん……やっぱり難しいわね……ただ、わたしは……」


 言葉を選びながら、探しながら、リコは俺に手を差し伸べ続けてくれている。

 ああ、リコ。ホントにすまん。でも、もういい。見捨てないでくれただけで充分だ。あんなことがあったお前が、あんな風にさせてしまった俺なんかの人生のために、頭を悩ませる必要なんてない。申し訳なさすぎる。俺にその手をとる資格なんてねぇんだ。


「そういやリコ、あんたもお兄にどうこう言う前にさぁ……」


 華乃がジトっとした視線をリコに送る。ん? どうしたんだ?


「ああ、そういやそれもですよね……さっきの案内中、大町くんもリコっちゃんに結構好意ある感じだったじゃないですか」

「「え」」


 虚をつかれてしまったのは、俺だけではなくリコもだ。へ、へー、そんなことが……。ちなみにヤエは一人でガッツポーズをしている。そのままその拳で自分の顔面殴ればいいのに。


「まさか大町くんがわたしのことを……まぁ確かに青春したいとは言っていたけれど……いえ、さすがにあり得ないでしょう。高校一年生の男の子がわたしなんかのことを――」

「あのー、ごめん、一応何回かノックはしたんだけど……いいかな?」


 リコの言葉を遮って、倉庫に入ってきたのはもちろん、


「大町くん……どうしたの? インタビューの収録は終わったのかしら?」

「ああ、うん。美麻さんはまだやってるみたいだけど。それでさ、あの、ちょっとリコ先輩と二人で話したいんだけど……いいかな?」

「…………分かったわ。少し外で待っていて。すぐに行くから」


 リコは表情に疲労感を滲ませながら、大町くんを外に出してドアを閉める。

 あー……これ、マジか……こんなあからさまにアプローチを仕掛けてくるとは……大町くん、リコに惚れちゃったか……。


「はぁ……面倒ね……。青春だとか、王子様だとか、馬鹿らしいわ……って思ってしまうのはわたしが二十五歳だからなのよね。あの子は、あの子達にとっては、現実的で切実な問題なんでしょう、きっと」


 リコはドアに手をかけ、こちらを振り向きもせず語り続ける。


「ただ、わたし達が夢を見ていられる時間はとっくに過ぎてしまっている。そうよね、お兄」

「…………」


 俺は、何も答えられない。


「……結局は澄香さんとあなた自身が決めることだから、踏み込んだことはわたしには言えない。言う権利なんてない。でも、とりあえず、私の振る舞いを見て、それからもう一度冷静に考え直してみて。その上で出した結論ならわたしは何も言わない。肯定も否定もしないし、応援も妨害もしない。ただ、変わると思う、あなたの気持ちは。わたしの行動を目にすれば。大人に慕情を抱いてしまった子どもに対して、社会の成員としてどう責務を果たすべきなのか、分かってくれると思う」


 その落ち着いた口調は、まるで子どもを諭す大人みたいで。いや、実際そうなんだろう。今のリコは大人のあるべき姿を子どもに教えようとする、成熟した一人の大人なんだ。


 二十五年間見続けてきたリコの細い背中が、なぜか初めて大きく見えた。





「天志くぅぅぅぅん!! 好きぃぃぃぃぃぃ!!」

「「「えー……」」」


 わずか四分だった。リコが散々かっこつけてこの体育倉庫を出てから、顔を真っ赤にして声にならない叫びを上げながらまたここに飛び込んでくるまでに、久吾のカップうどんが出来上がらなかった。


「なに!? 何なのよ、あの王子様!? かっこいいよぉぉぉおぉぉぉっ!! 天志きゅんとキラキラな恋愛したいよぉぉぉぉおぉぉ!!」


 四つん這いで床をバンバン叩きながら高一男子への愛を叫ぶ成熟した一人の大人の女性――海老沼紫子、二十五歳。


 田舎で恋しちゃったらしい。

 えー……。

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