第7話 田舎で恋しちゃお♪

「えーと、ここが音楽室だな。うわ、懐かしっ。昔、夜に皆で忍び込んで肝試ししてよ、俺とリコでこのピアノの下に隠れてたんだよ。で、後から三人が入ってきた時に飛び出して驚かそうとしたら俺もリコも頭ぶつけて倒れこんでな、そんな俺達の姿を見てヤエが叫びながら腰抜かしてさ。横たわる俺達三人を見下ろしていた華乃と久吾のめちゃくちゃ冷たい目が忘れられん」

「うふふ、私に案内しているはずなのに、お兄さんが楽しんでいるじゃないですか」

「あ、すまん。あまりの懐かしさについな……」


 ちなみに美麻さんがイメージしているのはおそらく中学生四人と高校生のヤエの姿なのだろうが、実際はヤエが中三、俺とリコが中二で、華乃と久吾が小一の夏のエピソードである。情けな。


 体育倉庫を出て美麻さんに学校案内を始めてから四十分。

 俺は、正直めちゃくちゃ楽しんでいた。

 よく晴れた空の下、隣り合って校庭などを散歩し、普通教室を巡り、職員室や保健室も見て回って、今は特別教室をご案内中。


 この四十分間で普段の三日分ぐらい言葉を発してしまったと思う。こんなにも饒舌になってしまっているのは、懐かしいから――というのは八割嘘で、本当は美麻さんの反応がめちゃくちゃ良いからだ。

 目を見開いて驚いてくれたり、心底楽しそうに笑ってくれたり、ふんふんと頷きながら感心してくれたり、興味深そうに質問してくれたり、ノリノリでツッコミを入れてくれたり、逆にこちらから美麻さんについて質問すれば、パァッと顔を輝かせて俺と同じくらい饒舌に自分の話をしてくれたり――その全てがわざとらしくなく、奥ゆかしくて礼儀正しくも、率直な感情を表してくれているのが伝わってきて、ついつい気分を乗せられてしまうのだ。

 そりゃ俺だって止まらなくなっちまうよ……普段こんなこと絶対ないんだから。今まで俺の話をこんなに楽しそうに聞いてくれる人なんていなかったんだから。

 あいつらなんて俺の話に興味を持ってくれることなんて全くねーし、せいぜいスマホや爪を弄ったりしながらテキトーな相槌をうってくるだけだ。特に華乃と久吾。俺はいつも一方的に話してるだけ。こっちから二人の学校生活の話とかを聞いても面倒くさそうにいなされるし。くそ、俺が何か失敗した時とかには四人で死ぬほど大爆笑するくせに。


「おい、ちょっと待て、お兄。その話はフェイクだ。私はビビッて腰を抜かしたのではなく、お兄とリコちゃんの顔が面白すぎて笑い転げてしまっただけだ。本当だぞ。ヤエそんなにビビりじゃないもん」

「ディレクターが話入ってきてんじゃねーよ」


 しかも今はカメラマン兼任だろ。

 ヤエはガンマイク付きのビデオカメラを構えながら、一人で俺達についてきていた。もちろん撮影のためである。大町くんの案内は他三人でやることになり、そちらにはヤエ以外の撮影班が同行しているようだ。

 それもこれも全て、俺に「その気」がないことを美麻さんに伝えるためである。有り体に言えば、きっぱり振るためである。

 まさかマジで俺が高校生に惚れられちまうとはな……。


「いいんですよ、もっともっとお兄さんの思い出話聞かせてください! お兄さんのこともっと知りたいんです!」


 美麻さんがキラキラとした目で声を弾ませる。

 はぁ……こりゃあ確かにマジで俺に惚れてるよな……。何で俺なんかに……とにかくリコの言う通り、これ以上おかしな勘違いする前にちゃんと目を覚まさせてあげるべきだ。ましてやこんな姿を撮影されてしまっているわけだし。世界に向けて発信されてしまうわけだし。こんないい子にこれ以上黒歴史を作らせてしまうわけにはいかない。

 よし、振ろう。今すぐ振ろう。今ここではっきりと俺の意思を伝えよう。


「あー、って言ってもな、もうあらかた回っちまったし……これ以上話してやれることもねーかな。すまんけど……美麻さんの期待には応えられそうにねーっていうか? まぁ、もう戻ろうぜ。久吾とかもいるしあいつの話とかも聞いてみれば?」


 このヘタレ。なに遠回しにぐちぐち言ってんだよ。日本人かよ。日本人だった。まぁこの子も日本人だし、俺の意図してるところもくみ取ってくれるだろう。


「えー。まだまだ二人でお話ししたいですっ」


 えー……結構鈍感なとこあんのかな、この子……。


「うーん……でももう案内するとこなんてねーしなぁ……」

「じゃあ、お兄さんの一番の思い出の場所はどこですか? そこに行って二人でゆっくりしましょう! そこで今度は私のことも知っていただきたいです!」

「一番って言ってもな……これまで見てきたとこだと……」

「うふふ、でも本当は私、気付いてしまったかもしれません。お兄さんにとっての一番忘れられない場所。当ててみましょうか? 唯一まだ私が連れて行っていただけていない所ですよね?」

「え?」

「体育館の倉庫ですよね。さっきまで皆さんがいた。どうですか? 正解でしょうか?」


 首を傾けて、悪戯な――それなのにどこまでもお淑やかな微笑みを浮かべながら、俺の顔を覗き込んでくる美麻さん。

 ああ、全然鈍感なんかじゃねーじゃねーか。この子、めっちゃ鋭い。





「いやー別に隠してたとかじゃなくて一応さっき美麻さんもここまで来たわけだし改めて紹介する必要もねーかなーと思っただけであって」

「うふふ、別に疑ってなんかいないですよっ。わがままを聞いていただけて嬉しいです!」


 再び体育倉庫に戻ってきてしまった俺。今度は俺と美麻さんしかいねーけど。あ、あとヤエ。ウザい。黙ってても口元がニヤニヤしていてウザい。

 まぁ、ここにはダミーカメラしか仕掛けられていないわけだし仕方ないのだが……マットに並んで座る俺と美麻さんの正面で興奮気味にビデオカメラを構えているのはウザい。それお前の鼻息の音入らんの?


「それにしても美麻さん、よく分かったな……」

「うふふ、皆さんとても居心地良さそうにしていましたので。小中学生時代の皆さんのたまり場のような所だったのではないかと思った次第です! あ、でもお兄さんとリコさんにはどこか緊張感のようなものも感じたのですが」


 ……鋭い……マジで鋭すぎるぞ、この子……。


「ま、まぁ確かにそんな感じだな……カメラがあるせいで俺とリコは若干落ち着かなかったとこはあるんだが……」

「へー、そうなんですか。私的には、昔ここでお兄さんとリコさんの間で何か気まずいことでもあったんじゃないかなぁと予想していたのですが」

「ふっ、ないない。てかガキの頃からずっと一緒にいっとな、どんな状況でも気まずいとかいう感覚なくなるもんだぞ」

「はぁ。そういうものですか」

「うんうん」

「じゃあリコさんとはそういう関係ではないんですね? お互い全く恋愛感情はないと」

「ないない」

「よかったぁ……ならお兄さんは今完全にフリーってことですよね! それなら……私とのことを考えてほしいんです」


 ああ、そりゃそういう話に持ってかれちまうか……。まずいな、やっぱちゃんとはっきり断らねーと。きっぱり「迷惑だ」「嫌いだ」と突き放すぐらいの方が、余計な未練も断ち切れるだろうし、美麻さんのためになる。


「うーん、でも俺と美麻さんは今日会ったばかりだしなぁ……あんまりそうやって物事を急ぎ足で考えるのはよくないと思うんだけどなぁ……」


 マジでヘタレだな、こいつ。


「今日すぐにとは言いません。この四日間で私のことを知ってもらって、それから答えを出していただければと思っています。もちろん四日間でも短いと思われるかもしれませんが、私も自分のことを知っていただけるよう精いっぱい努力致しますので!」


 真っ直ぐと俺を見つめ、必死な顔で訴えてくる美麻さん。耳まで真っ赤にして、熱に浮かされているようだ。実際そうなんだろう。これは病みたいなものだ。若者だけが発症する奇怪で厄介な病魔。だから、大人の俺がちゃんと治療してやらなければならない。めちゃくちゃな荒療治になっちまうかもしれないけど。


「美麻さん……君が見てるのはたぶん、ただの幻想だ。それは単なる憧れというか、君がまだ社会を知らないからこそ酔えているものに過ぎない。少し冷静になるべきだ」


 できるだけ感情を出さないように、淡々と告げる。ただ単に事実を指摘しているだけという態度を崩してはいけない。

 美麻さんは目を潤ませ眉を八の字にして、震える声で、


「……それって、いけないことなのでしょうか……?」

「それはそれで尊いもので大切にしてほしい感性ではあるんだが……一歩間違えれば重症になっちまうものでもある。勢いに任せてするようなことじゃない」

「そんな……勢いなんかじゃないです……私はただ……。青春したいと思うことが危険なことなんですか……?」


 ほら、やっぱりそうだ。この子は恋に恋しているだけであって、俺に恋しているわけじゃない。だからやっぱり付き合ったりなんてできない――って、あれ?

 俺は、この子が高校生だから、この子を傷つけないために、振ろうとしてたんだよな? 何で自分が傷つかないために振るみたいな思考になってんだ?

 何やってんだ俺……俺までおかしくなってどうする……。まぁ、いい。そんな情緒の問題は後で反省すりゃあいい。とにかく今は美麻さんをきっぱり拒絶するという結果を残すことだけに集中しよう。


「とにかくダメだ。君の気持ちには応えられない」

「――っ、どうしてですか!? まだ分からないではないですか!? お兄さんだって、私と一つしか年齢は違いません! 私の気持ちがただの勢いだと言うのなら、そんな私の気持ちを拒むお兄さんの気持ちだって勢いによるものではないんですか!? 四日間だけでも考えてみてください! 私、お兄さんに振り向いていただけるよう頑張りますから!」

「はぁ……あのな、そもそも何でそんなに俺なんかのことを……見た目だってこんなだしよ。俺なんかよりかっこいい男、美麻さんの周りにだって溢れてるだろ」

「え……? お兄さん、その……あまり謙遜し過ぎると却って嫌みのようになってしまうこともありますよ……?」

「え?」


 目を丸くした後、本気で心配そうな表情で諭すように言ってくる美麻さん。え、何だその反応。「そんなことないですよ、私はルックスなんて気にしませんし」ぐらいで返ってくると思ってたのに。


「あ、いえ、もちろん私は見た目なんて求めませんよっ。ただ、客観的な事実として、お兄さんの顔はとても整っていますし、身体も引き締まっていて、背も高くて足も長くて……女性から人気を集める見た目であることは明白ではないですか」

「え? え?」

「私は顔の作りや体型などは全く気にしませんけれど、ただ……今日、自己紹介の際、私だけのために向けてくれた笑顔がとても素敵で……この笑顔をおじいちゃんおばあちゃんになって一緒にお墓に入るまでずっと独り占めして眺めていられたのならどんなに幸せだろうかって……きゃっ、何言ってるんでしょう、私……っ、で、でもっ、とにかくお兄さんは私にとって……その……王子様みたいな人なんですっ」

「え? え? え? え?」


 な、何を言ってるんだ、この子マジで……おかしい……俺が誰かにこんな風に言ってもらえらるなんてあり得ない……誰かに褒めてもらえるなんてあり得ねぇんだ……!


「お、王子様って、美麻さん……やっぱ夢見てるだけなんじゃねーか……いい加減、目を覚まさねーと……」

「いやいやいや、え? お兄さんこそ鏡見たことあります?」


 もしかしてこの子目が悪いんだろうか。


「ま、まぁ、見た目の好みは人それぞれあるだろうけど、俺、中身も最悪だからな? ヘタレで優柔不断だし頭も要領も悪ぃし自分のことしか考えてねーし」

「違います。お兄さんは思慮深いんです。きっと正直で人を騙したり出来ないから失敗してしまうこともあるのでしょう。でも、それでいいんです。ずる賢い人なんかよりよっぽど格好いいです。お兄さんはとても優しい方です」


 おい。おいおいおい。何だ、何だこの気持ちは。何でこんなに身体が熱いんだ? 何でこんなに胸が暖かいんだ? まさか、病気……? 大変だ、病院……病院に行かなくちゃ……。あ、でも俺が入院なんてしたらどうすんだ? 今年の梨が……そうだよ、俺が誇れるものなんて、俺が人に認めてもらえるものなんて、褒めてもらえるものなんて、梨しかねーんだから! 入院なんてしてる場合じゃねぇ!


「梨……梨を作らなきゃ……早く帰って梨を……」

「え? ど、どうしたんですか、お兄さん、そんなにオロオロして。なし?」

「あ、いや……て、てか俺は全然優しい人間なんかじゃねーから! マジでそんなん言われたことねーし……」

「そうなんですか。でも現実の話として、私は優しくしてもらいました。お兄さんにとっては何気なく声を掛けたりしただけなのかもしれませんが、私は溢れるほどの優しさを頂きました。それは私が感じたことなのですから、間違いのない事実です。お兄さんがいくら謙遜したって否定出来ることでありません。だから、そうですね。じゃあ、お兄さんは私にだけ優しいということになりますね。お兄さんの優しさを独り占め出来ているということですよね! 嬉しいです! 今日気付いたのですが、私って凄くやきもち焼きな人間みたいなんです。だから自分だけを見てくれる人と一緒にいたいんです。うふふ、一途なお兄さん、とても魅力的ですよ?」

「み、美麻さん……っ」

澄香すみかって、呼んでください」

「――――」


 美麻さん――いや澄香が、俺に身体を寄せて、とろんとした目で見上げてくる。鼻先同士がくっついてしまいそうな距離。桃のようなバニラのような甘い甘い匂い。どこまでも透き通っているはずの声が、耳に入ってきた瞬間にカスタードクリームのようにトロトロに変化して、俺の脳を犯してくる。クラクラする。このままその大きな瞳に吸い込まれてしまいそうだ。


「澄、香……」

「んっ――うふふ、変な声が出てしまいました……名前を呼んでいただけたのがあまりにも嬉しくて……私、決めました。これから先の人生、お兄さん以外の男性に絶対に澄香って呼ばせません。だって、お兄さんにも私のことちゃんと独り占めしてほしいですからっ!」

「澄香……っ」


 そこまで……っ、本当なんだな……これは、現実なんだよな……? 本当に俺みたいな、梨以外に価値のないような男なんかのことを……?


「お兄さん、お願いします。私にはお兄さんが必要なんです。お兄さんがいなきゃダメなんです。もうお兄さんに出会ってしまった以上、お兄さん無しでは生きていけません。だから、絶対に責任取ってくださいね?」

「――――っ」


 あ……あ……あ……――あっ! ダっ、ダメだ! ダメだダメだダメだ! なにやってんだ俺!? あっぶねー……危うく陥落するところだった……ダメだろ! この子は高校生なんだぞ!? 振らなきゃ……振らなきゃ! ああ、でも……ああああぁぁぁぁああぁぁあ、負けんな俺!! よし、いける! 振れ! いま振れ!!


「澄香、やっぱり俺――」

「好きです、お兄さん。私は、お兄さんのことが――大好きですっ!!」

「あ」


 あ、もうどうでもいいや。どうにでもなれ。


 鈴木丈、二五歳の春――田舎で恋しちゃいました♪

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