海の中で
「冷たいね」
「まだ春先だし、当たり前でしょ」
「当たり前なんてないでしょう。ほら、あなたも来なよ」
「やだ、寒いじゃん、ちょっ」
ぐいっと引っ張られて、一緒に海の中へと引きずりこまれる。当たり前なんてないと言った彼女の通り、海の中は大して冷たくなかった。さっきまでは、体の芯から凍えてしまいそうなほどに冷たい水が足に当たっていたのに。ああ、おかしいな。
彼女が青に溶けて、消える。
いつものことなのに、置いて行かれるようで悲しくなる。海の中で、私は彼女を追って、かろうじて形を保っている手を掴む。それさえも揺らいで、離れていく。彼女は私を追わない。私は追うのに。離れていかないでよ。
「ぼくらはなんにでもなれるよ。あなたもなりたい?」
「なりたい、なりたいよ!」
「そうはみえないなあ」
彼女の声だけが、青に響く。私は彼女の隣にいたいからそう叫ぶけど、当の本人はからからと笑って、否定する。
どうしてこの思いが通じない?
私の思いが足りないの?
ああ、彼女が遠退いていくようだ。ゆらゆらとつかみどころ
がないように、漂って、離れてくの。離れないで、そばにいてよ。なんで、なんで、私から離れていこうとするのかな。
「待って!」
「あなたはなんにでもなれるよ。それはそう、間違いない。だけど、さ。」
「どうして」
「こっち側には到底なれやしないから。」
「いやだ」
彼女のぼんやりとした声を聞きたくない。確信を持った声を、咎めるような声を、己を戒めるような声を、悲壮感があるような、そんな声を、聞きたくない。
海の中で離れたくないと叫ぶ。彼女にも、なにかもに届くように。腹の底から、思いの底から、心から、叫んだ。届いて。届いてよ。
私は絶対それになりたい。そばにいたい。
「だめだよ」
彼女は私の思いを、願いを、否定する。どうしても彼女は折れてくれない。
「あなたはなんにでもなれる。それは本当だ。こっちじゃないだけで。ここにいるには、すこし、…………いいや。」
彼女の声が無慈悲に届く。私の思いなんて一ミリだって届きやしないのに。
「ぼくはあなたと一緒にいたかった、あなたとなんにでもなりたかった。好きだった。あなたはひとりだったから。でも思ってるのは、あなただけだったみたいだから。」
声が青に溶けてく。静かに溶けてく。
「ごめんね、一緒にいたかったよ」
なら、と続くはずの声は出せないまま、目を奪われるような青い蒼に、覆われる。
ああ、意識が遠退いていく。彼女をつかめないまま、離れてく。離れたくなんてないのに。彼女だって同じ気持ちだと言ってくれたのに、私たちは離れないといけないのか。悪い冗談だろ。ねえ。
ああ、やっぱり一緒にはなれないね。
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