雑踏の中のぼくら
人が無数に行き交う。立ち尽くす私たちなど無視して、いや、見えていないものとして、進んでいく。彼女は大声で笑う。そんな彼女の声なんて聞こえないかのように、彼らは歩いているし、一度だって振り返ることはしない。彼女の擬態は完璧であった。
「あの子、いつもいるね」
対して、私の擬態は完璧ではなかった。通行人の何人かは、ちらりちらりと私に目線を向けている。雑踏の中、私だけ認識されているようで、なんだかいやな気持ちになった。彼女が、ぎゅっと手を握ってくる。
にこりと笑って、走り出す。不思議と人に当たることはなくて、どこにも存在していないかのような、幽霊のような、空気のような、そんなものになったかのように私たちは進んでいける。彼女と一緒なら。
「あなたはほんとうに下手だ」
「わかってる」
「でもそれが愛しいよ」
慈愛に、欲に、羨望にまみれた表情で私を見る。そんな顔をさせてしまうのは、きっと私だけ。私だけのもの。私だけの。
彼女は歌いながら私の手を引く。周りの人たちも気づかない、美しく透き通っていく声は、届かない。私だけが知っている。私の中にだけ響いていた。
「今日はどこに行こうか」
「海にでも行く?」
「はは、ぼくらにぴったりだね」
二人で歌いながら、雑踏を通り抜けて、人混みを抜けて、さみしい乗り物に乗って、がたんごとんと揺られていく。だんだんと人もいなくなって、私たちだけになっていくのだ。
目の前には、どこまでも青く透き通った水が見えている。
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