第三話 踊る探偵
「じゃあ一時間コース、二人分お願いします~」
「はい、一時間コースお二人様ですね。ドリンクの方はいかがなさいますか?」
「えーっと、私はカフェオレでお願いします~」
「うーん、私は……ホットコーヒーで」
可愛らしい猫の意匠が凝らされたエプロンを着た店員さんが注文を受けて厨房へと帰っていった。周りは三毛や黒、茶トラ等多種多様な猫達がうろうろしており、お姉ちゃんは猫じゃらしで三毛猫とじゃれあっている。どちらが遊んでもらっているのか分からないくらいの熱中度だ。
「ね、ね、茜ちゃん凄いよこの子たち、すっごく人懐っこい! 猫カフェの猫ちゃんって飼い猫がいる人には嫉妬しちゃって撫でさせてくれないって聞いたから不安だったけど、すっごく人懐っこい! わー、もふもふだ~!」
「……確かに、この子は毛がスズと比べて随分長めだね」
私の足元にすり寄ってきた茶トラ猫を抱き上げて、ゆっくりと背中を撫でてあげると気持ちよさそうにあくびをした。いつも野生に生きていたスズと比べて随分まったりした子だ。……あのドラ猫より数段可愛い。私の文字通りの猫かわいがり精神が燃え上がるのを感じた。
「君……そんな牙を抜かれた状態で生きてていいのか! 私が活をいれてやる!」
どうもフワフワ生きていそうな、そんな事を思い起させる無防備な背中をわっしゃわっしゃと撫でまわしてやった。背中から伝わってくる体温が人間よりも全然暖かかった。
猫カフェに来るのは初めてだったが、こんなに猫との距離が近いのは予想外だった。そもそも私の中で猫といえば、痩せた警戒心むき出しの
「牙はあるもんね~。お~よしよし」
お姉ちゃんはムツ〇ロウさんの如くわしゃわしゃ猫の腹を撫でまわしている。こっちの子はスコティッシュフォールドといったか、毛が長くて真っ白で、真ん丸な目でこちらを見つめるその子はぬいぐるみのように可愛らしい。……スズには悪いが、彼奴の20倍は可愛らしい顔をしている。
「ふわぁ~! か、可愛い!」
思わず人目を憚らず興奮の声を漏らしてしまった。猫吸い勢の私としてはこういうもふもふの子の方が猫成分の補給にはもってこいだった。さらに言うと匂いが強ければ強い程良い。
「茜ちゃんも撫でたい?」
「な、撫でるっ! いや、嗅ぎたい!」
言うが早いか、お姉ちゃんの腕に大人しく抱かれているその子を受け取ろうと手を伸ばす。――が
「な……なんでっ!?」
その子はにゃんとか何とか鳴くと、スルリと私たちの手を離れて部屋のアスレチックに戻ってしまった。
「あらら……茜ちゃん、鼻息荒かったから怖がられちゃったのかもしれないね」
「くそう、くそう! お姉ちゃんは良くて私がダメってなんだ! 胸か! やっぱりお前もおっぱい大きい方がいいのか!」
崩れ落ちる私を慰めるかの様に、私の上に猫が一匹ぴょんと飛び乗ってきた。スズみたいに真っ黒な黒猫だ。
「ううう、もはや私を慰めてくれるのはお前しかいない! おいで、私の胸に!」
私の言葉を無視してその猫はにゃんと鳴いた。あ、これ私足場に使われてるだけですね。ありがとうございます、私の業界ではご褒美です。
「こちら、ドリンクになります」
そんなこんなでたっぷり猫成分を吸収していると、さっきの店員さんがドリンクを運んできてくれた。……猫が可愛すぎて忘れていたが、そもそも私たちは専門家の意見を聞こうと思ってここに来たのだった。ちょうどいい機会だし、ここで店員さんに何か知っていれば教えてもらおうかな。
「あ……あの! ここらで野良猫の集まる場所とかって、あったりします?」
うーん、話しかけ方とか言い淀む所とか、我が事ながら本当にコミュ障だ。情けなくて涙が出そう。こんな事なら最初からお姉ちゃんに頼めば良かった。
そんな後悔を言ってしまった後にしたが、優しい店員さんはそんな私の不審な態度を警戒するでもなく、首を捻って考えてくれた。
「え……と、野良猫のたまり場、ですか? うーん、野良猫はあまり詳しくなくて……何かお困り事でも?」
「あっ、えっと、その、何ていうか家で飼ってた猫が行方不明なんですよね。それで野良猫のたまり場に迷い込んだりしてないかな~、と」
「行方不明、ですか? 保健所や警察に連絡などは」
「それがしたんですけど、手掛かりが特に無くて……。おじいちゃん猫だからそんなに遠くには行ってないハズなんですけど……」
「おじいちゃん猫なんですね。それで家の近くで発見されてないとなると……」
店員さんはそこまで言ったところでハッとした様に首を振ると、そのまま口を
「あの、私たちは気にしないので良ければ何か教えていただきたいんです」
お姉ちゃんも不穏な空気を感じ取った様で、店員さんの目を見つめてそう言った。こういう時のお姉ちゃんの意志の強さはすごい。店員さんもそれを感じ取ったのか、戸惑いながらもゆっくりと話し始めてくれた。
「いえ、その……そうと言い切れる訳じゃないんですが、ご老齢の猫って、体力の低下を外敵から隠すために飼い主さんのもとを去る事があるんです」
「体力の低下って……!」
お姉ちゃんが息を呑んだ。言葉は濁してあるが、要は寿命が近付いて来てるって事だろう。確かにスズは何歳か分からないくらいの年齢だ。お姉ちゃんと私は猫又なんじゃないかなんてふざけていたが、そんな事あるハズ無く着実にスズの体力は減っていたに違いない。確かに、最近元気が無いと思ってはいたがまさかそこまでだったとは。
野良猫が多く生息しているらしいこの街で、自然死した猫の死体を見かける事は殆ど無い。勿論車に轢かれて死ぬ猫もいるらしいが――そういう死骸はすぐに街の清掃員さんが粗大ゴミとして持って行ってしまう。私たちはそんな生活の中で猫は死なないと、そう勝手に思い込んでいたんだ。
「そ、それじゃあスズは……」
お姉ちゃんの顔がどんどん青くなっていく。まずい、思いもよらなかった事になったせいでどんどん平静さを失ってしまっている。多分私だって、ちょっと焦った様に店員さんの目に映ってはいるんだろうけど。
こんな状況なのにどこか冷静な自分もいる。多分隣に自分よりも慌てた人がいると逆に落ち着くのと同じだろう。それか、もしかしたら未だにスズの老化を現実的に受け止め切れていないのかもしれない。
「ま、まだそうと決まった訳じゃないんで! 猫ちゃんって気まぐれだから、結構遠くまで探検に行ったりするそうですし……!」
必死にフォローしてくれる店員さんがちょっと不憫だったので元気出したフリをしてお姉ちゃんを引っ張って店を出た。まだ一時間滞在していたワケではないので少し勿体なく感じたが、お姉ちゃんはそれどころでは無さそうだった。
「ど、どうしよう茜ちゃん、スズが、スズが……!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてお姉ちゃん! 大体まだ全然スズ探してないのにそう結論付けるのは早すぎだって!」
何とか落ち着かせようとしたが、全く私の話を聞いていない様でずっとおろおろしている。呼吸が荒い。浅い呼吸を何度も繰り返していた。この症状は――過呼吸だろう。こんなに取り乱したお姉ちゃんは初めて見た。いつもならむしろ取り乱す私を落ち着かせてくれるのに……。
……いや、昔から緊張した時には弱い人だったのかもしれない。私にその姿を見せていなかっただけで、これが本当のお姉ちゃんの姿である可能性だってある。
どんどん顔が青くなっていく。昔から過呼吸の対策には紙袋を被せろなんて言われているが、そんなものが都合よく手元にある訳が無い。というより素人がそんな事やっても窒息させてしまうかもしれない。
「あぁ、えーっとこういう時は一旦落ち着かせなきゃいけないからえーとその、えとどうしよ!」
劇場版でなかなか目的の道具が出ないド〇えもんってこんな気持ちなのだろうか。何も思い浮かばないから焦る。焦るから何も思い浮かばない。正しく発想のデフレスパイラルだ。
……いや、何も上手く言えていないな。どうやら私も少しは焦っているらしい。
――落ち着いて思い出せ斉藤茜。こういう時、いつもお姉ちゃんはどうやって私を落ち着かせていたっけ。
……ダメだ、思い浮かばん! 大体私だって多少混乱してるって言うのに、他人を冷静にさせる事なんて出来るワケ無いだろ!
「だああもう、ちょっと落ち着いてってば!」
もう考えるのは面倒臭い、問答無用だ! 何も考えず、咄嗟にお姉ちゃんの身体を抱きしめた。まるでハリウッド映画のワンシーンみたいだ、なんて考えが頭の片隅をよぎる。
花の様ないい匂いと、柔らかい感覚が身体を包んだ。心底私が女で良かった。きっと私が男だったら今頃通報されてお縄についている頃だろう。
「あ、茜ちゃん!? な、何を……!?」
「……これでちゃんと落ち着いた?」
お姉ちゃんは無言で二、三度頷いた。
どうやら少しだけ落ち着きを取り戻した様で、今度はお姉ちゃんが私の身体をぎゅっと抱き返してきた。ちょっとだけ恥ずかしそうに頬を染めているが、こうなってしまっては
「あ、アハハ……茜ちゃん、あったかいね……」
「もう、あったかいじゃないよ……。一人で変な想像して、勝手に倒れられたらたまったものじゃないよ。大体まだ警察にも保健所にも連絡してないんだから、諦めるには早いんだって」
「ご、ごめんね……ちょっと頭が真っ白になっちゃって……」
お姉ちゃんが気恥しそうに私の腰に回していた手を離した。完全に落ち着いたらしく、先ほどの真っ青な顔はどこへやら今度は顔を赤らめてどことなく色っぽさを放っている。対象が妹じゃなければ男女問わずイチコロだろう。
「スズは……その、大事な家族だったから。最後に顔も見れずに死んでしまうのかなって考えたらすごく……怖かったの」
「うん、うん。……でもさ、スズだって、弱った姿を見せたくないのかもしれないよ。だって、大事な家族なんだから。弱った姿なんて見てもらいたくないかもしれないし」
「うん、でも……っ、でも、家族だから、弱った姿だって見せてほしいもの……!」
お姉ちゃんの言う事も良く分かる。私だって、最後にスズを吸ったのは三日目の事だ。適当に吸うだけ吸って別れたのが今生の別れだなんて、寂しすぎる。どうせ最期になるんなら、ちゃんと吸ってからお別れをしたい。
……でも、どうしようもない。私たちみたいな素人が街中探したってスズはきっと見つからないだろう。探偵とか、保健所とかの協力を仰ぐ事しか今の私たちには出来ないのだ。
ポツ、と冷たい水が頭に乗っかった。
「……あ、雪が……」
「……うん」
空からちらちらと雪が降ってきた。この分だと明日にはもっともっと雪が降り積もるだろう。キラキラと夕陽を反射して、宙を舞う雪が真っ赤に燃える様に輝いている。
「……綺麗……だね」
思わず口説き文句みたいな事を言ってしまった。雪が降っているのに夕焼けが見える光景なんて、これまで見た事が無かった。クリスマスという特別な日に相応しい、そんな幻想的な風景が眼前に広がっている。
「うん、うん。……でも、寒いね。濡れちゃう前に帰ろっか」
こんな綺麗な景色を前にしているのに、相変わらずお姉ちゃんはしょんぼりしたままだ。家を出る時はあんなにワクワクしていたのも相まってなんだか不憫でならない。……仕方がない、最終兵器を使うしか無さそうだ。
「……あの、お姉ちゃん。これ、あげる」
本当は家に帰ってから渡そうと思っていたけど、このまま帰った所できっと渡せる様なタイミングは来ないだろう。それなら多少タイミングが悪くても今渡した方がマシだ。
「これは……?」
「クリスマスプレゼント。全然ハッピーじゃなさそうだけど、メリークリスマスって事で」
私がリュックから取り出した綺麗にラッピングされたソレを、まるで宝石でも扱うかの如くお姉ちゃんは両手で丁寧に受け取った。
「……これ、開けてみてもいい?」
……なんだか気恥しい。咳払いをしながら無言で頷くと、お姉ちゃんはラッピングを解いた。
「わっ、これ……! ハンドバッグ!」
お姉ちゃんは私が三年前ぐらいにあげた安物のハンドバッグを今でも使っている。新しいヤツを買えばいいのに、まるで呪いの装備でも装備したみたいにずっと使っているのだから驚きだ。
「その、ソレ、古くなっちゃったから。……お姉ちゃん物持ち良いし、壊れない限りずっとソレ、使う気でしょ? 私が新しいのあげるから、そっちを使ってよ」
「……っ! う、嬉しい! 嬉しいよ茜ちゃああああん!」
暫くボーっとしていた様だったが、感極まったのか泣きながらお姉ちゃんは私の手を握り、犬みたいに私の周りをくるくる回った。これだけ喜んでもらえれば本望だ。……友達に趣味が悪いと言われる私のプレゼントをここまで喜んでくれるのはお姉ちゃんしかいないだろう。そんな事言われるのは誠に不服なのだが。
「うんうん、それじゃあお姉ちゃんからもコレ、プレゼント! 開けてみて!」
お姉ちゃんも鞄から何やらラッピングされたブツを取り出した。今さら遠慮も要らないだろうと早速ラッピングを解いて中身を取り出すと、直方体の箱が中から現れた。表面には銀文字で何かのメーカーらしき筆記体の英語が書かれている。
「……これは?」
「お化粧セット。茜ちゃん、こ~んなに可愛いのにお化粧しないから、一緒にお化粧教えてあげる!」
そう言うと、お姉ちゃんは私に向けてウインクをした。
……本当に魅力的なお姉ちゃんだ。何度も言わせてもらうが、私が妹じゃなければ男女問わず恋に落ちていた事だろう。
「もう、私なんて可愛くないってーの……」
言いながら今度こそ本当に恥ずかしくなった。血がのぼって赤くなった頬を隠したくてそっぽを向くが、お姉ちゃんはニヤニヤしながらその正面へ正面へと回り込んでくる。夕焼けが赤みを隠してくれている様に祈るしかない。
「えへへ、照れちゃってる茜ちゃんも可愛い~!」
「み、見るな!」
私の怒声は響く事なくふわふわの雪に吸収されて消えた。
結局、今日の黒猫ホームズたちの調査は徒労に終わった。スズはこの雪の中、どこかで震えているのだろうか。神様でもサンタさんでも誰でもいい。どうか、私たちのぬくもりが少しでも彼に届きます様に――
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