最終話(2/3)

「や、やっほ……」

「盗み聞きとは頂けませんねぇ」

「気付いてたの……」

「うん。悠里ちゃんの覚悟決まるの待ってた時に」

「……ごめん。悠里に頼まれて」

 俺は立ち上がって頭を下げる。


「ふふっ。いいよ別に」

 本当に気にしていない様子で香椎さんは手をひらひらと振る。


 香椎さんはそのままベランダの方にやって来て、手すりに手を掛ける。春の柔らかな西日が彼女を照らしていた。眩しそうに目を細め、香椎さんは言う。


「さっきさ、私も誰にも言えない秘密があるって言ったよね」

「あぁ、うん……」

「特別に春樹くんには教えてあげる」

「え、なんで俺? 悠里じゃなくて?」

「うん。悠里ちゃんには言えない。春樹くんだから言えること」

 ひどく真面目な表情を俺に向ける。思わず唾を飲み込んだ。


 もしかして、と頭をよぎるのは合宿の夜に水内に茶化されたこと。まさかあるのか、そんなことが。シチュエーションだけは完璧だ。放課後、照らす夕日、トランペットの甘い音色。


「もしかしたら気付いてるかもしれないんだけどさ」

「うん……」


「私、好きなんだよね。…………女の子のこと」


「……………へ?」

 それはあまりに間の抜けた声だったと思う。


「あれ? ちゃんと伝わってないかな? えっと、だからその、レズっていうか百合っていうか、昔から女の子が恋愛対象なんだよ。あ、私の心が男とかそういうわけじゃなくてね。女として女の子が好きなんだ」

「はぁ……」

「なんかリアクション薄いなぁ」

「それは驚き過ぎて驚きを置き去りにしたというかなんというか……」

「…………もしかして引いた?」

 香椎さんが怖々とそう言った。


「あ、いや、そういうわけじゃなくて! ……ただなんでそれを俺にって思って」

「うーん……まぁ秘密だけど、やっぱり誰かに知ってもらいたかったのかも。ちょうどいいきっかけだったってのもあるし。あとは……」

 香椎さんはそこで言葉を区切った。そして不敵な笑みを浮かべる。


「あとは……?」

「あとは、宣戦布告」

「はい?」


「私、悠里ちゃん、出会った時からずっと気になってるんだよね。とっても可愛い」

「……まじっすか」

「まじっす」

「……河童と知ってもなお?」

「なお」


 え、ってことは待てよ。なんかもう今までの色んなことはそういうことってことか? ゴミ拾いのボランティアに香椎さんが参加したのもそう。肝試しの時に割り込むように悠里と手を繋いだのもそう。色んな思い出が掘り起こされると同時に、もしかして俺のことを……なんて勘違いしていた自分が痛々しく思えてきた。手すりに手を掛けたままうずくまる。


「やっぱりすごい恥ずかしいね」

 けれどそう言う声は、どこか晴れ晴れとしたものだった。


「実は家族も知らないんだよ。もちろんゆゆも知らない。春樹くんが初めてなんだ」

「それは光栄です……」

「誰にも言っちゃダメだからね」

「分かってるよ」

 軽い口振りだったけど、すごい勇気を持って話してくれたんだろう。


「……あー、それじゃあ、俺からも一つ」

 雰囲気に当てられてきたせいか、そんなことを口走っていた。


 俺は起き上がって、外を眺める。山が見えた。俺や悠里が住んでいる山だ。富士山どころかこないだの勉強合宿の研修施設があった山よりもぐっと小さい。


「家族はまぁ知ってるんだけど、悠里も透も知らない秘密」

「なぁに?」

 俺は一つ深呼吸をしたのちに言う。


「……実は俺、すっごいアニメオタクなんだよね」


 そう。悠里には言わなかったけれど、元からアニメは年相応に見てはいたけど、あのアニメに救われて以来、すっかりアニメや漫画といったオタク文化に染まってしまい、今じゃすっかりオタクと呼ばれる存在になっていた。


 けれどイジメられたきっかけがきっかけだったから、それを好きであるということでどう思われるかを想定し、結果アニメが好きということはひた隠しにして生きていた。


 けれど悠里や香椎さんを見ていたら、本当に好きなものは正直に好きだと言える人間になりたくなったのだ。好きなのものに対して誠実でなかったら、それは好きなものに失礼だろう。


 まずはその第一歩として、香椎さんに打ち明けてみたのに……。


「何それ弱い」

「えー……」

 女子なんて特に毛嫌いする人もいるから、結構勇気振り絞ったのに。


「部屋とかあれだよ? フィギュアとかポスターとかびっしりだよ?」

「今どきオタクなんてよくいるし。それだけで嫌われるなんて自意識過剰だよ。少なくとも私は変わらない」

 香椎さんは本当になんてことないといった様子で、そう答えた。


「それを言うならそっちだって。今どき同性愛なんて大したことじゃないだろ。少なくとも俺はどうこう思わない」

 そうは言うけど、互いに知っている。確かにそれで態度を変える人もいるってことを。


 けど、目の前の人間がこうして受け入れてくれたという事実は、この上なく嬉しくて、安心した。二人して笑みがこぼれていく。


「あー、スッキリした」

 香椎さんは両手を組んで伸びをする。


「俺はなんか不完全燃焼」

 一大決心をして言ったはずだったのに、弱いって……。


「えー、何、もしかしてキモいとか言われたかったの? 春樹くん変態?」

「かもね」

「また一つ春樹くんの秘密を知ってしまった」

 と言って、二人してくすくすと笑い合う。


「それじゃあ春樹くん。私、負けないから」

「なんのこと」

「悠里ちゃんのことに決まってんじゃん」

 にんまりと口角を上げて、香椎さんが俺を見つめる。


「別に俺はそんなんじゃ……」

「本当に?」

 その瞳は夕日が映り込み、燃えているように見えた。

 俺は頭を掻きむしって答える。




「……それはさすがに、まだ内緒ってことで」

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