第7話(6/8)

 何投目だろうか。


 ぽちゃりという音とともに、波紋が広がる。


 俺は池の前に座り、手頃な大きさの石を池の中に投げ込んでいた。石を投げるのが悠里を呼ぶ時の合図だったから。


 しかし、いつもだったら三回も投げればひょっこり顔を覗き込ませるというのに、高校球児よろしく連投させられていた。一体いつまで投げればいいのか。一体いつまで俺は投げるつもりなのか。もうそろそろ丁度いいサイズの石も尽きそうだった。日も落ちて、暗くなりつつある。


 さすがに今日はもう帰るべきか……。


 そう思った時、ぷくぷくと気泡が上がってくるのが見えた。程なくして、


「……他人の家に石投げないでください。犯罪ですよ」

 薄暗い中でも分かるほどの仏頂面が水面に乗った。


「犯罪じゃない。やってたのは埋立てだ」

「十分タチ悪いじゃないですか」

「まぁまぁ。とりあえずそんな水の中にいたら風邪引くだろ。上がれって」

「嫌です。言ったでしょう。春樹さんには関係ない話だって」

 しっし、と手を払う。水滴が跳ねた。


「ああ、だから今からするのは、悠里の話じゃなくて俺の話」

「……春樹さんの話?」

「そう、俺の小学生の時の話」

「……興味ないです」

「まぁそう言うなって。別に面白くもない話だけど、つまんなくもないと思うから。な?」

 俺の熱意が伝わったのか、ここで聞かなきゃ明日も同じことをされると諦めたのか、悠里は不承不承に池から上がると、なるべく簡潔にお願いします、と言って俺の隣に座った。

 その間は人三人分くらい。これが今の俺達の距離だった。


「俺、小六の時、イジメられてほとんど学校行ってなかったんだ」

「え……?」

 あまり思い出したくないことだけど、俺にとっては大事な記憶だった。


「当時やってた女の子向けアニメにハマってさ。学校から帰ったらちょうどやってて、親も仕事でいないしでとりあえず流してたらいつの間にか見入っちゃってて……。『リリスのヒミツ』ってやつなんだけど知らない?」

「……池の中じゃテレビなんて観れないので」

「あ、それもそうか。でまぁある日、クラスの女子達がそのアニメの話してたんだよ。

 俺も特に考えず、話に入って。女子達は普通に話に乗ってくれて盛り上がったんだけどさ、それ見てた男子達は『お前女のアニメ観てんのかよ。きっも』って。それから徐々に、暴力とかはなかったけど、ハブられたり何かにつけて馬鹿にされたり……。

 そんでこの世界ってのは色んなものを我慢して生きてくもんだと思うようになった。何のために生きているのか分からないまま、退屈な世界を、ただここに生まれたからここに生き続ける。そう思った」

 何か思うところがあったのか、悠里が唾を飲むのが分かった。


 そう、それはきっとあの日の悠里と同じだから。


「それで卒業まで引きこもるようになったんだよ」

「……なんか、今の春樹さんからは想像できませんね」

 初めて悠里の方から話し掛けてきた気がする。ちょっと気が楽になって、俺もそう思う、と笑った。


「けど、中学もこんな感じなのかなぁって思ってた時に、今じゃDVD何べんも観るくらいに大好きなアニメに出会ったんだ。……で、その主人公が言ってた。『世界は楽しいもので満ちている。まだちょっと気付けてないだけだ。ほんの少し視線を変えてやるだけでいい』って。

 そこから、時間もあったし、少しだけど活動的になった俺を見て親も協力してくれて、色んな趣味を始めたんだ。料理とか、写真とか、絵とか、ヨーヨーとか、マジックとか……。だから園芸部に入ったのだって、悠里のことがあったのはもちろんだけど、純粋に手を付けたことないジャンルだったからやってみたかったんだよ。

 まぁそんなわけで、思いつく限りやってみたから全然楽しくないのもあったけど、それでも世の中つまんないことばっかじゃないって思ったんだ」


 悠里は何も言わず、池の水面を見つめていた。


「そして高校に入って、悠里に出会った」

 色んなことに手を出して、色んな刺激を受けていたけど、悠里との出会いはその比じゃなかった。なんせまさに未知との遭遇だ。


「悠里を見て、塞ぎ込んでいた頃の自分を思い出したんだ。……それで、同情した。上から目線にも手を貸そうと思った。それが結局独りよがりだったのは反省してる。――――けど!」

 俺は悠里の肩を掴み、こちらを向かせる。ビクリと震えるのが伝わった。


「悠里を助けていたのは、決して嫌々じゃない!」

 悠里の目が震えていた。小さく開いた口からは、ひゅう、と息が漏れていた。


「合宿の夜も、こないだも、ちゃんと言えなくてごめん……。

 俺にとって悠里がどういう存在なのかってのはよく分からないし、たぶん一言じゃ説明できないけど……。俺は脅されてるとか、そういうのは関係なく、俺は俺の意思で、俺がしたいから、相手が悠里だったからそうしてた! これだけは胸を張って言える!」

 吐き出すように、息をつく間もなく俺は言った。


 ……伝えるだけのことは伝えた。

 これで何も変わらなければそれまでだ。


 俺はじっと悠里の言葉を待った。


 小さく開いた薄桃色の唇が、一度きつく閉じられた。永遠のような一瞬を挟んで、再び開く。




「…………きらい」

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