第7話(4/8)
「はぁー……」
俺は溜まった毒気を出すように溜息を吐き出す。けれど陰鬱とした気分は変わらなかった。
畑の水やり。これまでだったら俺の当番の日でも大抵悠里もやって来て、俺が水をやり終えるのを待っていたのに、当然今日は一人で帰ってしまっている。
蛇口を捻り、ジョウロへと水の線が出来る。
分からなかった。
悠里の気持ちも、自分の気持ちも。
なんで俺はこんなに落ち込んでいるんだろう。
むしろこのまま疎遠になれば、協力も有耶無耶になり命を脅かされることもなくなるもしれない。
なのにどうして。
しばらく考え、悠里のためと思ってやっていたことが、悠里にとって“余計なこと”でしかなかったからと結論付ける。
啖呵を切って、かつて俺を救ったヒーローのようになろうとして……。
けれど、それはただの独りよがりだった。
胸の奥が陰鬱とした空気に浸されているのを感じる。
「水、溢れていますよ?」
後ろから声を掛けられてハッとする。見るとジョウロは既に許容量に達していて、水面から大きな飛沫を上げていた。俺は慌てて蛇口を締める。
「考え事ですか?」
そう訊ねたのは、烏羽部長だった。烏の濡れ羽色の髪が一筋の線を引いている。今日の姿は制服で、普段はジャージで抑えられている可憐さが舞っている。その雰囲気は、髪色と対照的な白色だった。
「え、っと、まぁ……はい、ちょっと……」
俺は曖昧に答え、ジョウロを持つ。持ち上げるのは困難で少し水を捨てると、逃げるように畑へ向かう。
しかし当然だけど部長も畑へとついてくる。
「め、珍しいですね。こんな時間に部長が来るの」
初めて会った時に、毎日眺めに来ている、と言っていたのは誇張ではなく本当のことで、実際に部長は毎日畑に来ている。
しかし、じゃあ水やりの日は毎回会うのかといえばそれは違って、受験生の部長はしばらく勉強をしてから来ているみたいだ。だからこうして出会うのは珍しいことだった。
「この後雨が来そうだったので、先に見ておこうかと思いまして。あ、だから水やりも少しでいいですよ」
確かに空を見ると灰色の雲が漂っていた。天気予報は見てなかったから知らないけど、一雨来てもおかしくない様子だ。
分かりました、と俺は答え、薄く水を掛けていく。まず最初に俺と悠里のきゅうり。次に木苺さんのプチトマト。そして烏羽部長の育てている茄子やピーマン、スイカやサツマイモなど、多種多様の作物だ。俺も全部は分かっていない。
それらを愛おしそう眺めていた烏羽部長は、ひどく柔らかい口調で言った。
「柚木さんと何かあったんですか?」
「なんでそれを……あっ」
その返しが答えになってしまった。
話すべきか迷ったけれど、無垢な瞳で微笑む烏羽部長に見つめられると、言わざるを得ない気分になってくる。まるで修道女に告解するように、陰鬱とした毒気を吐き出したくなってくる。
俺はジョウロを地面に置いた。部長の横に揃ってしゃがむ。葉に乗った水滴が輝いていた。
それから俺は、合宿三日目から悠里がよそよそしかったこと、それを指摘したら俺には関係ないと言われたこと、付随して今まで尽力してきたことも余計だと言われたこと、俺には悠里の気持ちなんて分からないと言われたこと、河童のことは除いて今抱えているものを全て吐き出した。
上手くまとめられず無駄に長くなってしまった俺の話を、部長は優しい相槌を交えつつ、真摯に聞いてくれた。
それだけで少し、胸の澱が薄くなったのが分かった。
ただ俺はどうしたいんだ? 悠里と仲直りしたいのか? いやでも、仲直りしたとしてそこに何がある。俺のすることは悠里にとって余計でしかなかった。俺はヒーローにはなれなかった。たぶん待っているのは慣れ合いだ。
……俺はきっと、納得したいんだ。
悠里に嫌われたのも、善意が独りよがりだったのも、まぁいい。
ただ、それらを心から辛いと思えるだけの納得がしたいんだ。理由が分からないままだと、心置きなく落ち込めないから。
だけど納得するには、
「いくら考えても、悠里の気持ちが全然分からないんですよ……」
やっぱり悠里の言う通り、河童という生き物はどれだけ見た目が似ていても、見えないどこかに根本から違うところがあるのか。
部長は何も答えず、しばらく考えるように目を瞑っていた。
そしてゆっくりと目を開いて言う。
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