第6話(3/9)

「うがぁー……」

 午後の授業、夕食を挟んで再度一時間の授業を終え、疲れ果てた俺は部屋に戻る前に一度ロビーにあったソファに腰を落とし天井を見上げる。


 疲れた理由は普段より授業時間が長いからだけじゃない。その内容も、新規のことを学ぶ“授業”というより問題演習がほとんどだったからだ。

 普段のような受身の授業なら、無心で板書したりそもそも話を半分聞き流したりで休めるけど、演習ばかりだと常に頭を働かせることになる。

 たぶん教科書を持ってくるのは荷物になるからだろうけど、これが明日も明後日も続くことを考えると気が滅入る。


 そんなわけで授業中に余計なことを考える時間はなく、結局悠里の入浴問題の解決策は見つからないままだった。


「どーしましょー……」

 隣に座って同じように天を仰ぐ悠里が呻くようにそう言った。


 その時は刻一刻と迫っている。俺達五組の入浴時間は八時半。あと二十分といったところだ。


「見事に死んでるねぇ」

 見上げたままの天から声が降ってきた。香椎さんだ。隣には当然のように木苺さんと……えっと、そうだ、小林さんがいた。


「まぁいっぱい勉強したもんね。頭回転させ過ぎて遠心力で偏ってるよ今」

 小林さんは黒髪眼鏡で見た目は真面目な優等生っぽいのに、少し不思議なことを言う。


「疲れを取るにはお風呂が一番さ!」

 木苺さんのその口調は、疲れを感じさせないものだった。しかし彼女は、その疲れの要因がそのお風呂であることを知らない。


「で、どうしたの? もうすぐ私達のクラスの時間だよ? 行かないの?」

「あー、うん、そうだね」

「で、ですね……」

 二人して歯切れの悪い返答をするので、三人は首を傾げていた。


 妙な沈黙が続いたところで、耐え兼ねた悠里がポツリと言った。

「じ、実は春樹さんが女子風呂に入りたいと言い出しまして……」


「はぁ!?」

 突拍子もない発言に、俺は思わず素っ頓狂な声をあげる。


「え、マッキー本気?」

「春樹くんもなかなか大胆だねぇ。覗きを通り過ぎて混浴宣言だなんて。その男らしさは買うけど、先生に怒られると思うよ?」

「いや怒られるじゃ済まないと思う……」

 木苺さんと香椎さんは恐らく何かの冗談だと受け取ってくれてるみたいでにやにやと笑っていたけど、小林さんだけは本気で冷ややかな目線をくれていた。


「(何言ってんだよ悠里!)」

「(だ、だって……)」

 俺は悠里の首根っこを掴んで、小声で怒鳴る。


「(というかそれ、言ったら意味ないだろ。いやするつもりもないけど!)」

「(おっと、それもそうでしたね)」

 てへ、とわざとらしく舌を出す悠里を見ていると、怒る気にもなれなくて俺は深くため息をついて言った。


「……皆、今のは悠里の変な冗談だから」

「で、ですです」

「じゃあなんで?」

「えっと、それは……」

 撤回をしておきながら代替案を用意しなかった悠里は、再度口ごもる。


 すると、その様子を見ていた小林さんが言った。

「あ、もしかして柚木さんって、みんなでお風呂が苦手なタイプ?」


「え?」

「あー分かる。分かるよゆずゆずその気持ち」

 と、木苺さんが自身の胸に手を当て、しみじみと頷く。


「(……な、なんか今、何も言ってないのにあらぬ同情を受けた気がします!)」

「(まぁとりあえずここは話に乗っとけ)」

 そう耳打ちして、悠里は小林さんの言葉に同意を示す。


「そ、そうですね……。あまり好きじゃないです……」

「なるほどねぇ。それでゆずゆずが嫌がってたわけか」

「そういう時には裏技があるんだって」

「裏技ですか?」

「何それ」

 なんだか良い方向に転がりそうな気がして、俺も身を乗り出して話を訊く。


「あー……矢蒔君の前ではちょっと……」

「え」

 除け者にされて、小林さんは悠里を連れ出して内緒話をしていた。後ろで付いて聞いていた木苺さんと香椎さんが、なるほどー、とリアクションするのが聞こえた。


 程なくして悠里がやって来る。


「春樹さん! シャワー室使わせてもらえるみたいです!」

「へぇ。何があったか知らないけど、よかったじゃん」

 気付かぬ素振りで答えるけど、俺がハブられたことでなんとなく察しは付いていた。たぶん、中学生の時に女子がプールを休む口実にしていたあれだ。


「はい! それじゃあ行ってきます!」

 問題が解決したからというより水を浴びれることが嬉しい様子で、悠里はロビーを駆けて行った。その後ろを、途中まで一緒に行こー! と言って木苺さんが、さらにその後ろをのんびりと小林さんがついて行く。香椎さんはなぜかここに留まっていた。


「ざーんねん。悠里ちゃんとお風呂入りたかったなー」

「……友達と風呂入って楽しいの?」

「え、まぁ、うん。逆に楽しくないの?」

「いや、楽しいとかは全く。悠里みたいに嫌ってわけでもないけど。……ってか女子特有の感覚だろそれ」

 男で他のやつと風呂に入りたいというのは聞いたことがない。


「え、じゃあ春樹くんは私とお風呂入りたくないの? 友達だけど?」

「…………!?」

 あまりに唐突で大胆な発言に、俺は言葉も出ず、ただただ目を見開いて香椎さんを見つめる。彼女はそんな俺の様を楽しそうに笑って見ていた。


「良いリアクションするねぇ」

「……からかわないでください」

 何か意図があるのか、それともただのからかいなのか、考えても答えの出ようのない考えが頭をぐるぐると回る。


「それで答えは?」

「……ノーコメントで」

「ふぅん。……まぁ私はともかく、やっぱ男の子って女の子の裸が見たいものなの?」

「……まぁ、そうなんじゃね。俺はともかく」

「そっか」

 小さくそう言って、香椎さんも悠里達の方へ歩いて行った。


「…………俺も風呂行こう」


 さっさとこの変な汗を流そう。

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