第3話(8/8)
居たたまれなくなった悠里は手早く苗を植え終える。
程なくして烏羽部長が戻ってきた。手には大きなジョウロと、ペンを持っている。
「お待たせしました。……うん、綺麗に出来てますね」
畑を見渡した部長はそう言うと、ポケットから何か白いものを取り出して、一枚ずつ俺達に寄越してきた。
「何ですかこれ?」
T字型のそれが何の役割を持っているかはなんとなく察しが付いたけど、流れとして訊いてみた。
「プレートです。そこに皆さんの名前と作物の名前、それと今日の日付を記入して、刺しておくんです」
「なるほど」
「はい、柚木さん。ペンは一本しかないので回して使ってくださいね」
部長の最寄にいた悠里がペンを受け取って必要事項を記入する。小さなプレートなもので不格好になった文字を眺め、顔をしかめていた。
「読めればいいだろ」
「きゅうりの味が変わるかもしれません」
「そんなオカルトはない。早くペンを渡せ」
俺がそう言うと、悠里は不承不承ペンを寄越し、マルチシートにプレートを突き立てた。
「あ、柚木さん。ちょっとお願い事してもいいですか?」
手持ち無沙汰になった悠里に部長がそう言った。
「な、なんでしょう」
「弓道場の入り口の横に水道がありますので、お水を汲んできて頂けますか?」
そう言って部長は悠里にジョウロを手渡す。
もちろん部員として断る理由はないので、分かりました、と言って悠里は水道へと向かった。
……嫌な予感がするなぁ。
「手洗いたいんで俺も水道行ってきますねー」
なのでプレートを立て終えると、理由を付けて悠里の元へ向かった。
大きく弓道場を回って、校舎が見える表の方に出る。
「あ、春樹さん……おおっとっとっちょ」
なみなみと水が汲まれたジョウロを両手で持って、危なっかしくやじろべえのように歩いてくる悠里と遭遇した。左右に揺れ動くたび、水が跳ね上がっている。
「なんでそんないっぱい入れたんだよ」
「だって、どれくらいいるか分からなかったんですもん……」
まぁ確かにそうか。でも畑とそう距離があるわけでもないから、必要ならまた汲みに行けばいいだけなのに。
「ほら、貸せよ」
「……だ、大丈夫です。このくらい持てます」
「いや、危ないだろ。色んな意味で」
「気を付けてるから大じょっひゃっ!!」
「おい!」
石を踏んでしまったのか、悠里が大きくよろめいた。幸い転んで水をぶちまけることはなかったが、水は大きく跳ね上がり、悠里の制服を盛大に濡ら……さなかった。水はそのまま滑るように地面へと滴る。
「ほーら言わんこっちゃない」
「むぅ……」
悠里は大人しくジョウロを地面に置いた。
「足は大丈夫か? 捻ってない?」
「え、あ……大丈夫です、はい」
「そ」
俺はジョウロを拾い上げる。うお。結構重いな。
「……もう少し色々気を付けます」
叱られた子供のように、悠里は小さく呟いた。今の場面を木苺さんや烏羽部長に見られたらマズかったことは重々理解しているのだろう。
「あ、おかえりー!」
畑に戻ると、木苺さんがなぜか助けを求める人のように両手を振って俺達を出迎えてくれた。悠里に代わってジョウロを持つ俺を見て、
「ジェントルマンだねぇ」
といたずらっ子の笑みを浮かべる。
「それじゃあ多めに水をあげて、今日の作業は終了です」
部長に言われ、俺はそのまま、植え付けたばかりの苗にジョウロを傾けた。青々とした葉を細かな水の粒子が包む。さらさらと耳心地の良い音が聞こえる。……なんか良い感覚だなこれ。
「私も! 私もやります!」
それも束の間、すぐさま悠里にジョウロを奪われた。
「おー……」
悠里も同様に楽しげな笑みを浮かべる。しかし苗の上を二、三度往復させたところで手が止まった。
木苺さんの方を向いて、おずおずとジョウロを差し出す。
「……ゆ、ゆゆさんもしますか?」
「え……。うん、やる! ありがと!」
木苺さんははにかむでジョウロを受け取ると、勢いよく水をやり始めた。
「美味しくできるといいな」
恥ずかしげに、それでいて満足げな顔をする悠里の隣に立ち、声を掛ける。
「……そうですね」
元気に育ちますように。
土に染みいく水の跡を眺めながら、そう願った。
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