第2話(5/5)
昼食以降、ずっと柚木さんを注視していたけれど、特に問題はなかった。
というか、そもそも何もなかったのだ。授業は無難、そして休憩時間は終始机に突っ伏していたし、科学の授業の時に同じテーブルになった女子に話し掛けられていたけど、全て「はい」か「いいえ」でしか答えず、声を掛けた方も非常に困惑していた。
俺が初めて学校で話し掛けた時もそうだったけど、強固な壁を作っているみたいだった。
この様子だと体育や行事はともかく、普段は問題なさそうだ。
ホームルームが終わり、放課後を迎える。
入学式から二週間は部活の見学と体験入部期間だ。だから今もクラスメートの中には、部活紹介の一覧表を手にして、やれ今日は合唱部に行ってみようだの料理研に行ってみようだの、盛り上がっている者もいた。
「ゆ……うり、帰ろうか」
しかし俺は部活見学よりも先に悠里と俺の関係の詳しい設定を決めたかったので、悠里を誘って帰ることにする。つい柚木さんと呼びそうになったので、心の中でも悠里と呼ぶことにした。こしょばい。
「悠里?」
しかし返答がない。視線の先は部活見学の話で盛り上がるクラスメートに向かっており、俺の声は届いていないようだった。仕方ないので目の前で手を振ってもう一度誘う。
「あ、そうですね。帰ります」
ということで連れ立って教室を出た。しばらくはまだ周囲に人がいるので、河童の話はもちろん、迂闊に話は出来ないので無言で歩く。大通りを横切ったところでようやく話し掛けた。
「さっきのあれだけど」
「はい?」
「もしかして部活入りたいとか?」
「は? 何の話ですか?」
「ほら、クラスの女子達が部活どこにしようって話してたの、じっと見てたから」
「盗み見してたんですか」
「人聞きが悪い」
なんでもかんでも曲解し過ぎだ。
「……違います。部活に入るなんて、リスクが大きいですし」
違う、ということは何かしらの理由はあったわけか。
「友達欲しいとか?」
「ち、ちがっ……」
図星らしい。基本的に淡々として不愛想な彼女だが、慌てた時だけは分かりやすい。
「別に自然なことでしょ。新生活始まって友達欲しいだなんて」
俺はそこまで親和欲求が強い方じゃないと自分では思っているけど、それでも一人よりは二人がいい。それが、誰かといたいからなのか、独りと思われるのが嫌だからなのか、それは分からないけど。
「そう、ですか……」
悠里は何かを噛み締めるように、続ける。
「でも、友達を作ったって、それも私の素性がバレやすくなるだけですから」
「…………」
確かにそうだろう。俺以外誰とも関わらなければ、何事もなく卒業できる可能性はぐっと高くなるはずだ。
でも、だったら、彼女は一体なんのためにここにいるのだろうか。
そもそも悠里……というより河童はなんの目的があって人間界の高校にやって来たのか。
そう訊ねると、
「それはたぶん、人間の世界のことを身をもって学び、人間の生活に溶け込むためです。だから昔からこの歳になったら人間の高校に進学するようになっているんです」
と答えた。
……それって、なんか悲しいな。
別に悠里をはじめとした河童達の生き方にどうこう言うつもりはないし、言える立場じゃない。
ただ、人間の一人として、人間の世界というものがただ我慢する場所と思われるは、少し切なかった。俺も高校生のガキで、まだ知らないことばかりだろう。
……けど、我慢はすることはあっても、それ以上に楽しい場所だって、そうであって欲しいと願っている。
だから悠里にとってこの世界が、ただひっそり息を潜め息を詰まらせるものじゃなかったらいいなって、そう思った。特に高校生なんて、青色とか薔薇色とかに彩られる期間なんだし。
……これは傲慢だろうか。お節介だろうか。河童という種族の問題で、俺が手を出すべきことじゃないのだろうか。
けど、素性がバレることを抜きにした時に悠里が、友達が欲しいと、この三年間ただ無為に時間が過ぎるのを待つのは嫌だと、そう願っているのは明らかだった。
そして今、それに手を貸せるのは俺だけだ。
「…………」
ふと、どうして俺はこんなことを思ったのか考えた。
そもそも彼女のフォローをするのは脅されているからであって、俺に何かのメリットがあるわけじゃない。必要最低限、彼女が河童だとバレないよう手伝うだけで十分なはずだ。そしてまだ出会って二日の関係だ。
なのにどうして……。
「(ああ……)」
その答えはすぐに見つかった。
似ているんだ。
昔の俺に。
いじめられて、塞ぎ込んでいたあの頃の俺に。
だからあの時、俺が救われ、笑えるようになったように、何かしてやりたいと思ったんだ。
「そういうことなら……」
俺は周囲に人がいないことを確認して、宣言する。
「――おい、河童。俺が人間の世界を教えてやるよ」
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