第1話(4/5)

 入学式、そして教科書の配布が終わると、今日は解散となった。


「透、帰ろーぜー」

「悪い。俺練習あるから」

 そう言って肩に掛けていたエナメルバッグを見せる。


「あー、野球部か。入学初日から練習あるんだ」

「入学初日どころか春休みから」

「まじか」

「どの運動部もそんな感じらしいぞ。むしろうちは緩い方」

「ほぇー」

「んじゃ急ぐから。じゃあな!」

 駆け行く透を見送って、一人帰ることにする。


 しかし部活かー。中学までは一応ソフトテニス部だったけど、今のところ続ける気はない。

 せっかくだから何かしらの部には入ろうと思っているんだけど……。やるなら文化部かな。部活紹介の一覧表は配られているし、今晩目を通して考えよう。


 正門を抜けると、少し離れたところに覚えたての姿を発見した。柚木さんだ。

 しかし発見したからといって声を掛けるわけでもない。気にせず帰路を辿る。


 どこかで別れるだろうと思っていたが、坂を下り、大通りを横切り、俺の家がある山に登り始めてもまだ柚木さんは目の前にいた。

 ……なんかストーカーみたいだ。いや、同じ学校に通っている生徒と通学路が被るなんてよくある話のはずなんだけど。


 家がこの辺ということは、やっぱりあの時会ったのは彼女じゃないのか? けど全否定されたし。

 俺は改めて彼女とのやり取りを思い返す。


「…………あ」

 ちょっと待てよ。


 俺は彼女に「今朝池にいた?」という質問をした。

 そうすると“池の前にいたのか?”という解釈をするのが自然だろう。

 しかし彼女は当然のように、「入学式の朝に泳ぐはずがない」と“池の中にいたのか?”という意味に取った。


 それに気付くと、俄然好奇心が湧いてくる。


「いやいやいや」

 かぶりを振って、意識を改める。


 彼女からは関わるなと言われているわけだし、誰しも隠したい秘密はあるだろう。過度な詮索は良くない。


 とはいえこの道は俺の通学路だ。配慮して距離を取るのも、なんでそこまでしなきゃいけないんだという気になるので、俺はただ無心で歩くことにした。

 程なくして、とある場所に辿り着く。


 そう、あの池だ。


 俺はまずい予感がしていた。首を突っ込まずとも、知らされてしまいそうな、そんな予感。


 柚木さんは池の前に立つと、きょろきょろと辺りを見回す。俺も歩みを止めたけど、別に隠れたつもりはない。しかし運良く、いや運悪く、俺が彼女の視界に捉えられることはなかった。

 いっそここで声を掛けるべきか。


 そう考えた時には、遅かった。

 彼女は着衣のまま、鞄も持ったまま、ゆっくりと池の中へ進んでいった。


 このまま見ないフリをしていればよかった。しかし、その非現実的な光景に直面した俺は、


「……マジか」

 そう声を漏らしてしまった。


 それが聞こえたのだろう。柚木さんは、びっくぅ! と、後ろ姿でもその驚き具合が分かるほどに肩をびくつかせ、そして固まった。

 腰から下が池に浸かったままゆっくりと、非常にゆっくりと振り向く。


「ど、どうしてあなたがここにいるんですか。私には関わらないでくださいって言いましたよね。関わるどころかストーカーですか?」

 動揺したまま、早口でそう問いかける。


「いや、ここ俺の通学路だし」

「そんな見え透いた嘘言わないでください。道なんてないじゃないですか」

「あの辺りに抜け道があるんだよ。そこ通ると家まで早いんだ」

 指差しながら答えると、彼女は黙りこくった。どうやら道を知っていたらしい。


「えっと……一体何してるの……?」

 俺は岸辺まで出ると、そう訊ねた。


「……ちょ、ちょっと水遊びを」

「まだ寒くない?」

「だ、大丈夫です。服着てるので」

「そういう問題?」

「は、はい」

「……じゃ、じゃあまぁ、やっぱり今朝のは柚木さんだったんだ」

「うぅ……」

 その唸りが肯定を示していた。


「幻覚だとか頭おかしいとか言われたんだけど」

「……すいませんでした制服のまま池に入る私の方が幻覚見る以上に変な人ですよねごめんなさいこの件につきましては全面的に私が悪いですごめんなさい謝ったのでどうぞお引き取り下さいさぁさぁどうぞどうぞ」


「いやいやいやいやちょっと待った」

 なんか無理やりに帰されそうになったので、強引に話を続ける。


「……な、何か?」

「水遊びって……。大事なものを落としてそれを探してるとか、そういう感じかと思ったのに」

「え、あ、実はそれです。うっかり大事なもの落としたんです」

「……取って付けてるなぁ」

「というわけで私に構わず、どうぞ行ってください」

「…………」

「……で、ですのでどうぞ」

 さっきまでの強引な態度とは一転して、柚木さんは弱々しく、懇願するように言ってくる。


 怪しい。

 何かを隠しているのは明らかだろう。

 正直、すごく気になる。気になるけど……。


「……分かったよ。じゃ、また明日学校で」

 彼女のそんな姿を見ていると、これ以上追及する気にはなれなかった。


「えっ?」


 柚木さんは呆気に取られた顔で俺を見つめていた。彼女も自分の嘘がこうもあっさり通用するとは思っていなかったのかもしれない。


「まぁ正直、なんかあるんだろうなとは思うけど、誰だって秘密にしたいことの一つや二つあるだろうしさ。とりあえず今朝会ったのが柚木さんだって分かっただけでも、ちょっとスッキリしたし」

「え、あ、はい……」

「じゃあね」

 そう言って林の抜け道の方へと身体を向けた時、ぽちゃん、という音がした。見ると、柚木さんがしゃがみ、鼻の上まで水に埋めている。


「(思ったより信用に値する人かもしれないですね……。お母さんも、学校に一人事情を知るものを作った方がいいかもと言っていましたし……よし)」


 ぶくぶくと泡が上がっている。何か呟いているようだった。


「驚かないでくださいね」

 彼女は顔を上げてそう言うと立ち上がり、小さな水音を立たせながらこちらの方に歩いてくる。


 そして俺の目の前に立った時、


「…………え?」


 俺は自分の目を疑った。


 濡れていないのだ。

 一切濡れていない。


 彼女の身体は、ついさっきまで池の中にいたとは到底思えないほどに、すっかり乾いていたのだ。

 制服は濡れて透けるどころか当たり前のように風になびいているし、顔や髪も半分水に埋めていたというのに水滴の一つもない。


 お願いを無視して驚愕する俺を見つめて、彼女は言った。




「――私の秘密をお話しします」

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