第1話(3/5)

 自己紹介を終えても、少女の情報は名前しか分からなかった。なんせ「柚木悠里(ゆずきゆうり)です。よろしくお願いします」だけで早々と済ませてしまったからだ。

 俺含む他の皆は、今後の友達作りを少しでも円滑に進めるためにパーソナルな情報も付与していたというのに。大した自信か興味がないか。たぶん後者。


 そして今は、入学式に向かうべく狭い廊下で“つ”の字になって出席番号順に並んでいた。

 騒ぐな、と言われているけど、皆コソコソと近くの人と話している。これはチャンスだと思い、振り返った俺はおずおずと声を掛けてみた。


「……何ですか?」

 冷ややかな声で柚木さんは答える。自己紹介の印象通り、コミュニケーションには積極的でないようだ。


「いや、もしかしたらなんだけど、今朝池にいたりしなかった?」

 ぴくり、とわずかに彼女の眉が動いた気がした。


「人違いでは? 入学式の朝に池で泳ぐわけないでしょう」

「ま、まぁ普通そうだよねー……」

「もしくは幻覚とか」

「幻覚って」

 うーん……どうも腑に落ちないけど、やっぱり何かの勘違いなんだろうか。


「あなた」

「ん、何?」

「今後私とは関わらないでください」

 なんかとんでもない申し出をされた。


「な、なんで」

「……えっとあれです。初対面の人間にそんなおかしなことを訊く非常識な、ましてやそんな奇怪な幻覚を見るような頭のおかしい方とは関わりたくないですから」

 酷い言われようだった。前者はともかく、勝手に幻覚見たってことにされて頭おかしい人認定されたし。


 しかしここで、ちょっとそんなこと言わないでよ~、と言えるような雰囲気でもなく、俺は苦々しい笑みを浮かべて、前に直った。

 色々と釈然としないところはあるけれど、柚木さんが否定する限り考えても仕方がないことか。

 そう意識を切り替えた時、ツンツンと左肩をつつかれた。


「枯葉かな? 付いてるよ?」

 声の方を向くと、クラスメートの女子が枯葉の破片を摘まんでひらひらと振っていた。どうやら俺の肩に付いてたのを取ってくれたらしい。


「あ、ありがとう」

 ふいに話し掛けられたことと、彼女の容姿が優れていたことに面食らい、やや声が上擦った。

 整った顔に適度に化粧が施され、真っ直ぐと胸元まで下ろされた髪は校則違反にならない程度に明るく染まっている。

 スタイルは高くも低くも、大きくも小さくもなく、可愛さと美しさが丁度良く混じっている。

 女子高生が図鑑に載るなら、彼女を採用すべきだと思った。


 しかも、取った枯葉はポイ捨てせず、丁寧にポケットティッシュに包んでいた。そうなれば俺が捨てておくのが筋だろうと思って、丸まったティッシュを受け取る。


「こんな時期に枯葉付けるって、どんな通学路してるの?」

 そう言って笑う彼女に、俺は端的に「林かき分けた」と答えると、さらに笑った。

 とはいえ一応は静かにしていろという状況なので、堪えるように口元に手を当てている。


「君面白いね。……確か……や、やーやー、やー……矢蒔君だ!」

 両手の人差し指を俺に突き立て、そう言った。


「よく覚えてるね。えっと……佐藤さん」

「誰だよそれー」

「全く覚えてなかったから、確率に賭けてみた」

「なにそれ」

 非佐藤さんはまたくすくすと笑っていた。新たなクラスメートへの第一印象がそこそこ上手くいったことを感じ、少し安堵する。なんせついさっき後ろの席の方には「今後関わるな」と言われたわけだし。


「私は香椎夏希(かしいなつき)。確か矢蒔君と名前が似てる気がする」

「ほんとよく覚えてるね。矢蒔春樹。樹は樹木の樹のやつ」

「あー、惜しい。私は希望の方。まぁ季節近いし、仲良くしていこ」

「うん。よろしく」

 ひらひら~っと手を振ってきたので、俺もひらひら~っと振り返す。


 なんかすごく春が青い気がする! 春樹は顔が赤くなってる気がする!


「話はよく聞こえなかったけど、なんだかフラれちゃったみたいだね」

 どうやらさっきの柚木さんとのことを小耳に挟んでいたらしい。


「フラれてないし」

「じゃあ何話してたの?」

「いや、朝に柚木さんっぽい人に会って、それを聞いてた。けど人違いだって」

「ふーん……つまりナンパか。矢蒔君もなかなかやるね」

「違いますー」

 そう答えると同時に、移動の案内が掛かった。一様に口を閉ざし、先頭からゆっくりと動いていく。


 柚木さんには拒絶されたけど、これはなかなか良い滑り出しじゃないだろうか。

 そう思いながら会場である体育館に歩いていった。

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