第13話 その香水は金木犀

「百歩譲ってだな」


先輩が珍しくランチを一緒にどうだ、なんて誘うもんだからアレやコレや楽しいことを期待して付いていってみれば、最近部署内で噂になってたオシャレで美味しいイタリアンと名高い「クオッラ」で期待感がマックス超えて熱でも出るかと思っていたのに、席について注文(もちろん悩んだ!サラダは付けた。)を済ませたらちょっと顔を強張らせて口を開いて出た言葉がこれだもの、


「先輩、今じゃなきゃダメですか」


と思わず言ってのけてしまっていた。

テーブルに置かれたコップには大きな丸い氷とレモン水。結露した水滴にはあからさまに不機嫌そうな女子のジト目が映っている。なんだこいつ、ブサイク。

言い訳はする。だって先輩とご飯なんてシチュエーションは願ったり叶ったりなわけで、それが最近出来立てでわざわざ私を誘った上で行きたいだなんて普通は考えられなくて、でももし理由を付けるならそれはもうそういうことに発展していくものだと考えるには証拠がそろい上がってるわけで、なんだったら私の方から隙をうかがって告白さえしてしまおうかと覚悟を決めていたわけで、だからソコとイマココとの高低差は位置エネルギーが大きすぎる。


「こればっかりは早い方がいい。田島とのやり取りについては承知しているつもりだが、安村の負担が大きすぎることが問題だと思ってるんだ。俺にできることはないのか?」


またそんな、優しいことを言う。

先輩は優しい。

でも、といつものように考えが回り始めてしまう。先輩が優しくするのは何も私だけではなくて、部署の、会社の、地域の、なんだったらこの世界中の誰に対しても優しい人であって、本当に親身になって考えてくれて、こっちが勘違いしすぎかなと思うほどに近くて、そのくせ私たちほどの強さを持っていなくて、それを知っているのに頑張ってどうにかしようとしてくれるくらいに強くて、もうなんなんだろこの人は。


「先輩にどうこうできる領域じゃないことは、部長が説明済みだと思いますけど」


水滴女子とにらめっこをしながら、ついつっけんどんな口調になってしまう。


「聞いた。理解もした。でも、何もできないわけじゃないことも思いついた」


何を言っているんだろうこの人は。思わず顔をあげて先輩のことをまじまじと見る。先輩は嘘が苦手だ。すぐに顔に出る。思ってもないこと、お世辞もドがつく下手さだ。気難しい取引先の社長室の趣味の悪さを、何の気なしに褒め損ねて取引ひとつおじゃんにした伝説も聞いた。

だから、今この人の真剣な表情が、信じられなかった。


「聞いてもらえるか、俺の話を」


同意したわけではないのだけれど、ただ先輩の表情を見ただけなのだけれど、先輩はとても嬉しそうに微笑んだ。だから、そういうひとつひとつに弱いと改めて思う。本当に、この人のまっすぐで温かい部分が私は好きなわけで、苦しい時に1人で踏ん張らなきゃと思う時になにも臆さずに寄り添ってくれるそんなところが、


「先輩、先に言っておこうと思うんですけど。私、やっぱり先輩のことが」


「お待たせしました!サーモンアボカドサラダをお持ちしました」


もちろん私のことではないけれど,水滴女子のブサイクさが3倍に膨れ上がった。

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