第26話 初めから詰んでいたことに気付いていなかっただけ

 問題児みづきへの報復で合意した三澄と律は、停滞していた作業を再開させていた。食材の下ごしらえは既に終わり、今は具材を鍋で煮込む段階。その担当は三澄である。言い出しっぺである律がほぼ何もしていないという点には、触れてはならない。


「ああ、それでさっき言い忘れてたんだけど、律さ、ホントは料理もうちょっとできるんじゃないか?」

「どういう意味?」

「料理してる時の律って、今日は特に酷かったけど、昔から異様に落ち着きがない気がするんだよな。もしかしたら俺……ていうか人がいるのが原因なんじゃないの?」


 律は、赤面症という体質のせいか人目をよく気にする。勉強や部活の個人練みたいな一人で黙々とやるようなことは得意な律だが、こうして誰かに見られていると、その高い能力を十分に活かしきれないこともしばしばだ。


「べ、別にそういうんじゃ……。ただ料理は…………し」


 髪を弄りながらもごもご言っていて、よく聞き取れない。


「料理が何だって?」

「~~~~~っ、トイレよ! ばか!」


 顔を赤らめた律は、足早にキッチンを出ていってしまった。


「いや、絶対そんなこと言ってなかったよね……」


 料理とトイレはあまり並んで欲しくない単語筆頭だろう。

 どうやら地雷を踏んだらしい。そこまで致命的ではなさそうだから、あまり気にしなくてもいいだろうけど。


 それから三澄は、一人黙々と鍋をかき混ぜ、適宜アクを取り続けた。大体カレー味だろうし、今の段階では焦げることもないだろうから放置でもいいのだろうが、暇潰しである。

 押し入れにいるはずの若菜のことは気になったが、様子を見に行ったタイミングで律が戻ってくると面倒なことになる。事が終わってから謝り倒そう。


 そうして市販のルーを溶かし始めたところで、トイレの流れる音。

 随分と長かった。逃げた手前、出て来づらくなったのかもしれない。

 三澄はキッチンに戻ってきた律へ、チラと視線を送る。

 雰囲気がさっきとまるで違うのがすぐ分かった。律は何かに堪えるように、俯きがちに立っている。


「どう――」

「三澄、これ何?」


 律が持っていたのは、外見的にはポケットティッシュに近い代物。

 三澄は瞬間的に失敗を悟った。


「美月が置いていったわけじゃないわよね? 流石のあの子も、恋人でもない男の家にこんなもの常備しておくほど軽い女じゃない」


 強い断定の口調だ。


「ねえ、三澄。なんでナプキンなんかがここにあるの?」


 律の言う通り。男が一人だけで住んでいるはずの場所には、絶対に必要のないもの。

 見落としていた。いや、そもそも、頭の中にすらなかった。

 女性のように、男性でも美容に気を付け、人によっては化粧もする昨今。今はサボり気味だが、男性用化粧品やシャンプー類は三澄でも使っている。

 だが、生理用品だけは、男である三澄にはどうあがいても縁がない。

 若菜にちゃんと説明しておかなかったツケだ。若菜の意見を仰いでいれば、気付けたかもしれない。


「また、何も言ってくれないんだ」


 肩を落とし、泣き笑うような曖昧な顔で律が見つめてくる。

 唇を噛む。三澄に、律に視線を返すことはできない。もしそれが静かな肯定だと受け取られようとも、口は頑なに動こうとしなかった。


「………………じゃあ、もういいよっ!」

「――っ、律!」


 悲痛さの滲むその叫びに三澄が顔を上げると、既に律が走り出した後。咄嗟に三澄も追うが、律の背を捉えることはできず、空っぽの玄関に立ち尽くす。


「くっそ!」


 諦められない。立ち尽くしている場合じゃない。

 己を奮い立て、靴を履くのも煩わしいと、サンダルを突っかけて外に出る。


――どっちに行った⁉


 三澄が辺りを見回す。だがここは住宅地。網目のように道が分岐し、ひしめき合うように立つ建物によって視界が遮られる。

 加えて、もう辺りが暗い。道路脇の街灯や家屋から漏れる光がポツポツと周囲を照らしているが、物足りなさは否めない。こんな状況で、たった一人の女の子を探し出すのは困難を極めるだろう。

 よって三澄は、まず律の家に向かうことにした。律が帰宅しているとは限らないが、律の両親への説明責任は果たさなくてはならない。

 律の家のまでやってくると、迷わずインターホンを鳴らした。しばらくして、のんびりとした声が返ってくる。


「はーい、て、三澄君じゃない、久しぶりねぇ。ちょっと待ってて、今出るから」


 三澄の返事も待たず、インターホン先から人の気配が消える。数秒後、玄関の扉が開き、四十歳前後と思しき、長い黒髪を首の後ろで束ねた女性が一人、姿を見せた。

 藤林詩織しおり。律の母親である。


「どうしたの? 何かあったの?」


 顔を合わせてすぐ、詩織の表情に真剣さが宿る。


「律、ウチに来てたんですけど、ちょっと色々あって出て行ってしまって。連絡とか来てませんか?」

「そう……また喧嘩しちゃったのね。うん、残念だけど連絡は来てないのよね」

「そうですか……。分かりました、何かあったら俺のスマホに連絡ください」


 三澄は言いながら、身体を反転させる。


「ええ。三澄君も気を付けてね」


 自分の娘が行方知れずだと言うのに、少し余裕があり過ぎるとは思いつつも、三澄はそんな些事に気を割いているのも惜しいとばかりに、夜の住宅街へと駆け出した。







「三澄君、行っちゃったわよ? きっとあのまま、何時間も探し回るつもりなんじゃない? よかったの?」

「…………いいの。ありがとう、お母さん」

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