第24話 ボス再び

 水曜日。昨日の今日で、律の動向に気が気でない三澄ではあったが、午後になってもまるで反応がなく、完全に油断していた頃だった。

 帰りのホームルームが終わり、弛緩した空気が流れる教室内を、殺気とも言えるような刺々しい空気を纏った女生徒が一人、こちらに向かって歩いてくる。

 律だった。


「今日、三澄の家に行くから」


 三澄の傍まで来た律は、開口一番、吐き捨てるように言った。あまりに唐突なことで、三澄は呆然と「……え?」と返すことしかできない。

 律は再度「今日、三澄の家に行くから」と。今度は更に語気が強い。


「マジで言ってる? それ」


 ようやく言葉が出た。


「ええ。今日は水曜日だし、バイトもないのよね?」

「う……」


 唯一の逃げ道が塞がれた。バイトについて、律に話したことはなかったはずだが、美月経由で知られていたか。


「早く準備して」


 他クラスが居心地悪いのか、今の律は少し落ち着きがない。相変わらず、人の目は苦手なのだろう。

 だが、三澄は三澄でパニック状態だった。

 頭がうまく回らない。第六感的部分だけがひたすら警鐘を鳴らし続けている。互いに傷つき合う、二人の少女の姿が脳裏に浮かんでは消えを繰り返している。

 と、三列挟んだ向こうの席で、美月がハラハラしながらこちらを見ているのが見えた。


「美月! 時間稼ぎ頼む!」


 三澄が突然大声を出したせいか、律が絶句している。だが無視だ。三澄は自分の鞄を引っ掴んで走り出す。


「えっ……うええ⁉ ちょっ、三澄っ、時間稼ぎって……!」

「方法は任せた!」


 動揺する美月にそう言い捨て、三澄は猛スピードで教室を後にした。




「若菜!」


 玄関に入り、靴も脱がずに叫ぶ。


「な、なんですか?」


 慌てた様子でリビングから若菜が姿を見せた。


「悪いけど説明は後だ。まずは風呂場まで来てくれ」

「え……? は、はい」


 三澄は、散らかるのも構わず荒っぽく靴を脱いで、玄関を上がる。滴る汗をシャツの袖で拭いながら、若菜に先行して風呂場へ。


「ここら一帯の若菜の持ち物、全部一か所、そこの床にまとめておいてくれ」

「……分かりました」


 状況を飲み込めないながらも、大人しく指示に従ってくれる若菜を残し、三澄は自室へと向かった。

 中身のほとんど入っていない鞄を放り、部屋のクローゼットを開ける。端の方、畳んで立て掛けてあった段ボールを引っ張り出す。


「大体できたか?」

「ひとまずは……」


 ガムテープ入手のためにリビングに寄ってから風呂場に戻ってくると、若菜は既に見落としがないかの確認の段階に入っているようだった。指示した通り、彼女の私物、シャンプーから化粧品から全てが固めて床に置かれている。


「じゃあ、次は若菜の部屋のをこれと同じように。服とかは後回しで」


 指示に頷き、若菜が二階に上がっていく。

 三澄はその間に段ボールを組み立てて、若菜の私物を片っ端から中に詰める。

 当然のことながら、量はかなり少ない。部屋の方も、衣類を除けば大した量じゃないだろう。美月がどれだけ頑張ってくれているかは知らないが、この分なら、律が到着する前に若菜の痕跡を全て隠すことができるかもしれない。

 とは言え、気を抜けるわけではない。

 一番の難関は、律の到着後からだ。何のプランもなしに臨めば、あの凍てついた視線に氷漬けにされるか、彼女の身の内に秘めた激情に焼き尽くされるか。いずれにせよ、ボッコボコされるのは確実である。


 では、律の目的は何なのか。美月との会話を聞かれていたことから、律は今、三澄に恋人がいて、かつ同棲していると考えている可能性が高い。

 そんな、言ってしまえば愛の巣疑惑のあるこの家に来るということはつまり、律の目的は、恋人の痕跡、物的証拠の探索や恋人との直接対決。

 これだけの強引な事の進めようだ。その怒りはかなりのものだろう。それも一過性のものではなく、いつまでも尾を引くような根深いもの。

 喧嘩中の友人ほったらかして、女作って悠々自適生活。当然の反応だ。非は明らかにこちらにある。できるなら三澄だって、証拠隠滅なんて逃げみたいなやり方はしたくなかった。

 油断していた、と言うか、そもそも弁当一つでこんなブチ切れるなんて誰が想像できるだろう。いや、もしかしたらできる人もいるのかもしれないが、少なくとも人生経験の少ない三澄には難しい話だった。


 詰め込みを終えた三澄は、段ボールを抱えて若菜の部屋へと向かい、再び詰め込みを行う。予想通り、衣類の詰め込みが少し手間だった。ハンガーに掛かったものを畳んだり、下着類など、三澄が手を貸すわけにいかないものがあったり。

 結局、若菜の私物を全て段ボールに詰め込み終えたのは、三澄が帰宅してから十五分が経過した頃だった。

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