第22話 ボス戦(惨敗)

「それで? 言っとくけど、流石に今回のはうやむやにする気はないよ?」


 わざと話を引き延ばそうとしていたのがバレていたようだ。甘く見積もり過ぎたか。

 だがしかし、こちらも引くわけにはいかない。「今、吸血種の女の子と一緒に暮らしててさー」なんて言ったが最後、大混乱が学校中にまで伝搬しかねない。

 それでも話すのなら、せめて家の中という限られた空間で、若菜と顔を合わせてもらった状況で、にしたい。目の前にいるのが、人を散々殺した仇敵ではなく、ただの普通の女の子であることを分かってもらいたいのだ。

 だがそれも、今の若菜の状態では難しい。不安材料が多すぎる。


「頼む。三日でいい。時間をくれ」


 手を合わせ、拝むようにして請う。


「その間に別れてなかったことにしようって? ちょっとサイテー過ぎない?」

「いや、ちげーよ! 流石にそんなことしねーから! そもそもなんで俺に彼女がいる前提なんだよ」


 勝手に想像して、勝手にドン引かないでほしい。


「じゃあ、あのお弁当誰が作ったの? 中ちょっと見たけど、絶対三澄作ってないよね?」

「なんでそう言い切れるんだよ。今時ネットにいくらでもレシピがあるんだから、作れたって不思議じゃないだろ」

「うーん、自分のために頑張る三澄っていうのが、ちょーっと想像できないんだよねぇ。それに付け焼き刃で作ったにしては、出来が良すぎるなーって」

「まあ、それはあれよ、隠れた才能が開花しちゃった的な……」

「そんなに言いたくないの?」

「……」


 押し黙る。

 一体どうしたと言うのだろう。今日の美月は、あまりにも付け入る隙がない。


「そっか。ま、私としては三澄に彼女の一人や二人いたところでいいんだけどさ。むしろ安心かも」


 彼女が二人以上いても安心、とはどう捉えたらいいんだろうか。


「でも、三澄は本当に大丈夫なのかなーって。だからさ――」


 不意に美月の意識が三澄から余所へと移る。それにつられて三澄も気を散らしかけた、その瞬間だった。


「三澄」


 透き通っていながら、芯の強さを思わせる懐かしい声が聞こえた。


「――っ」


 思わず声の方を向く。

 そこには、華奢ながら弱々しさとは無縁そうな女生徒が、こちらを見据えて立っていた。


「なんで……!」


 美月へ、三澄が非難の目を向ける。


「ごめ、三澄」


 軽い調子で謝意を示した美月が、胸ポケットからスマホを取り出した。その画面には、通話中の文字と——

 藤林律ふじばやしりつ


「……」


 どうやら今までのやり取りは全て、スマホを通じて送られていたらしい。お門違いなことは分かっていても、恨みがましく睨まずにはいられない。

 美月だって知っているはずだ。三澄と律が、現在、泥沼の冷戦状態にあることを。


「三澄」


 再び、律の呼ぶ声。

 イヤホンを耳から外し、スマホの通話画面を閉じて胸ポケットにまとめて仕舞いながら、律が近づいてくる。彼女が一歩進む度、その長い黒髪がどこか威厳のようなものを帯びて揺れているような錯覚を覚えた。


「うっ」


 気圧される。つい後退ってしまう。

 そんな三澄の心情も律の眼中にはないのか、一切の躊躇もなく傍まで来ると、腕を組んでじっと見つめてくる。

 とてつもないプレッシャーだ。その黒い瞳の奥に竜か虎でも飼っているんじゃなかろうか。

 三澄は数秒ともたず、目を逸らす。


「――そう」


 律はそれだけ言うと、踵を返した。


「ちょっ、えっ、りっちゃん、それだけ?」


 意外にも、この状況を作り出した張本人である美月が慌てふためいている。


「これ以上、三澄と話しても仕方ないもの」

「……」


 顔だけ振り向けた、冷淡な一言。たったそれだけのことが、三澄の心を深く抉った。

 返せる言葉はない。だがそもそも、律は応えなど求めてはいないようだ。そのまま顔を背け、歩いていってしまった。

 渡り廊下に残されたのは、ノックアウト寸前まで追い込まれた情けない男と、来る嵐のために用意した防災グッズが使われぬまま期限を迎えてしまった、みたいな白けた空気を纏う諸悪の根源。


「お前、結局何がしたかったんだよ……」


 呆然とする美月へ不満をぶつける。対する美月はこちらに視線だけを寄こして、数瞬思案顔になった後、ふにゃっと破顔した。


「ごっめん、余計ややこしくなったっぽい。許しててへぺろ?」


 ぷっつんきてしまった。


「てへぺろじゃねーわ! お前、マジどうしてくれんだよ……!」

「おぅおぅおぅおぅ……」


 荒々しく美月の肩を揺さぶる。頭がガックガクしようが構わない。

 ひとまず何も起こらなかったのは安心だ。が、予見される波乱に恐怖が尽きない。すなわち、この女は許さない。


「だ、大丈夫! きっと、多分、そんなに悪いようには……、て待って揺らし過ぎ。三澄、ストップストーップ!」


 必死の懇願に、仕方なく手を離す。


「お昼食べてたら、ホントに出ちゃうところだった……」


 そう言って青い顔で壁にもたれかかり、口元を押えている美月を眺めることで、三澄は僅かばかり溜飲を下げることに成功するのだった。

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