第4章 畳みかける波乱

第20話 寝て起きたら何かがあったらしい

 その夜、三澄は若菜と顔も合わせないまま、風呂に入り眠りに就いた。

 考えるべきことはたくさんあった。だが、頭の中がぐちゃぐちゃだったのと、心身共に疲れていたのとで、案外すんなり入眠できた。

 翌朝、目覚めてすぐ、寝惚け気味な意識の中に湧いたのは、昨晩の若菜の明確な拒絶。

 どんな顔をして会えばいいか分からない。そもそも、顔を見せてくれるのだろうか。

 迷っていても埒が明かず、思い切って体を起こす。部屋を出て階段を下りた。

 リビングに明かりが付いている。昨日は確かに消灯したから、つまりは先客がいるということで。

 つい足が止まる。意味もなく息を整えて、戸の前に立った。おっかなびっくり開け、中を覗く。

 キッチンで若菜が作業をしている。気付いているのかいないのか、今の所、こちらを向く気配はない。

 思い切って中に踏み込んだ。


「お、おはよう……」


 このまま無言は心臓がもたないと、試しに声を掛けてみた。水音で掻き消えてないか、不安になるような声量だ。


「……おはようございます」


 むすっとした挨拶が返ってきた。


――あれ?


 思っていた反応と違う。

 反応が返ってきたこと自体そうだが、今の若菜からは、つい微笑んでしまうような子どもっぽさがある気がする。


「……朝メシ、用意してくれたのか」


 テーブルを見ると、二人分、料理が盛り付けられた皿が並べられている。いつも通り、美味しそうだ。

 そうやってぼうっとしていると、不意に、白米の盛られた茶碗を二つ持った若菜が目の前を通り過ぎた。そのまま無言で三澄の席の前に一つを置くと、自分の席の所にも置き、着席する。


「……」


 じっとしたまま、微動だにしない若菜。三澄には一切目を向けず、ただ目の前の机か食事かに視線をやっている。

 これは、一体どういう状況なのだろうか。訳が分からなくなってきた。


「食べていいのか?」


 どうしようもなくなって、尋ねてみた。


「食べないのなら、私のお昼になるだけです」


 ……それはいいのか駄目なのか。

 だけど、若菜自身は一向に自分の分に手を付ける様子がない。もしかしてこれは、待ってくれているのではなかろうか。

 そう無理矢理判断し、椅子に腰を下ろして手を合わせる。


「「いただきます」」


 ハモった。


 その後、三澄にとってはよく分からない空気のまま、朝食が終了。洗い物は若菜に任せ、自室で身支度を済ませて荷物と共に玄関へ。

 靴を履いていると、リビングの扉が開いた。若菜だ。手に何か持っている。


「どした?」

「これ、お弁当です」

「…………弁当?」


 青い風呂敷に包まれた、四角形のちょいごつい物体が差し出される。

 それは、中学以来、一切見なくなった代物だった。

 懐かしい。どこかから探し出したのだろうか。


「どうしたの、これ」

「眠れなかったので」


 暇で手慰みに、ということだろうか。裏がありそうだが……。


「要らないのなら、私がお昼に食べます」

「ああっ、いやいや要る! ありがたく頂きます!」

「なら、どうぞ」


 包みを受け取る。結構ずっしりしている。こんなの、要らないなんて言えるわけがない。


――自分の昼はテキトーかますくせにな……。


 自分のこととなると気が乗らないのは分からないでもないが、差があり過ぎる。


「にしても眠れなかったって、大丈夫なのか?」

「大丈夫です」


 それ以上何も聞くなと言わんばかりの圧を感じた。体調の心配すらアウトらしい。


「では、行ってらっしゃい」

「ああ、うん。行ってきます……」


 若菜の勢いに押されるようにして、三澄は玄関を出た。扉が閉まるのを横目で見ながら、鞄に弁当を仕舞う。

 刹那、若菜の口が動いた気がした。だが、三澄が確認しようと思った時には、既に扉は閉まっていた。


「……」


 少しの逡巡の末、三澄は何も聞かず学校へと向かうことにした。

 丁寧に背負い直した鞄の重みには、胸が沸き立つものがあった。

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