第14話 例の女友達
時間がないということで、三澄の分の朝食は冷蔵庫行きが決定。学校の準備を済ませるとすぐに家を出た三澄は、いつもの通学路をだらだらと歩いていた。
今日はこの時期には珍しい晴天。五月晴れとでも言うべきか、三澄の真っ黒な頭頂部を太陽がじりじりと焼き、蝉の大合唱が鼓膜を叩く。もうすぐ夏、と言うか、もう夏だ。
――これで教室の冷房が効いてるならなぁ……。
もう少し歩くスピードも上がるのに、と額の汗を拭う。時期が半端なのをいいことに、学校は節電とか言って空調設備の使用をもったいぶるのだ。学習能率の低下は確実であるというのに、これが進学校とは言え一般公立高校のしがらみか。
ちなみに現時刻は午前九時十八分であり、教室は既に一時限目の授業真っ盛り。この極遅ペースで向かっても、二十分と稼げない。すなわち、授業中の静寂をガラガラピシャリとぶち壊さなければならず、そんな不届き者には視線の矢が雨霰……。絶対に嫌だ。
そんなわけで三澄は、寄り道をしていくことにした。通学路を外れ、地下鉄の駅の方面向かって歩を進めていく。
求めるは、涼しく人目のない場所。出来るなら近場がいい。一、二時限の間の休み十分間に滑り込む。その目的を果たすには、早々に目処を付ける必要がある。
さて、どこにそんな場所があるのか。全く見当つかないが、なければないで、それでいい。テキトーだ。
そして、横断歩道も何もない、住宅地ど真ん中の十字路に差し掛かる。
そういえば、ここら辺は……。そう三澄の脳裏にとある人物が浮かびかけた時だった。
「あれっ、三澄じゃん! どうしてこんなとごっ……」
目の前の電柱に、一人のアホが突っ込んだ。
そのアホ、もとい
そんな彼女に、心中若干引いていることを隠して、三澄は茶化すように話しかけた。
「電柱ならぬ、電チュウってか? お盛んですね」
「ぎりキスにはなってない! てかつまんないこと言ってないで、ちょっとは心配してよ!」
涙目で見上げてくる。ちゃんとツッコミを入れてくれるあたり、そこまで心配は必要なさそうだ。少し安心。
「はいはい。で、頭クラクラするとかないか?」
美月の傍にしゃがみ込み、まずは脳震盪の疑いがないかを確認する。
「うん……、多分だいじょぶ」
「んじゃ、次はちょっと手ぇどかして」
その指示通り、美月は激突部分である左頬付近を露わにした。
「うわー、これは……」
「え、なになに、どしたの? そんなヤバいの?」
三澄の反応に不穏なものを感じたのか、慌てた様子で尋ねてくる。
「ちょっと十八禁って言うか……、バイオハザード的グロさって言うか……」
「うそうそうそうそ……」
段々と青ざめていく美月は、震える手でバッグから手鏡を取り出した。常備しているのは、彼女が腐っても女子高生ということの証左。なるほど非常にまずい。
しかしながら、三澄が横槍を入れる間もなく、美月はそのままパカリと開き、自身の顔を反射させた。
「……」
ぺたり、ぺたり。美月は困惑しながらも、確かめるように自分の顔を直接何度も触わっていく。
そして遂には満足したのか、手鏡をバッグに仕舞った。
「嘘じゃん!」
「フゴッホ!」
右ストレートが飛んできた。
「お、おま……、ゲホッ、ゴホッ、ガチで殴りやがったな……」
アスファルトに四つん這いで咳き込む。
「私を騙した罰!」
「さ、流石にやり過ぎだろ……」
危うく意識まで持っていかれるところだった。
「女子に向かって、顔ゾンビとか言うから悪いんじゃん!」
かなりお冠なご様子。目に溜めた涙が未だ引っ込まないのは、それだけ痛みが酷いのか、それとも脅し過ぎたのか。
「いやまあ悪かったよ。でも実際、結構赤くなってるし、ちょっと血も出てるから、明日明後日にはゾンビみたくなっててもおかしくないぞ? さっさと冷やさないと」
三澄は腹をさすりながら、真面目な話へと方向転換した。
「うー……。三澄、何か冷やすもの持ってない?」
美月がじとー、と恨みがましい目で聞いてくる。そもそもが、彼女の不注意が原因であるということを忘れてないだろうか。別にいいけど。
「俺のバッグの中がいつも最低限以下なのは知ってるだろ?」
鞄を軽く振って、中身がスカスカなのをアピール。
「使えなーい」
美月はそう言いながら、自分の鞄から白いハンカチを取り出して、傷口に当てた。
「うるせぇわ。そんで、手当てに使えそうなものがあるとしたら、コンビニか学校の保健室か、それともいっそ帰るか……、いや美月の家はちょっと遠すぎるか」
美月の家は、地下鉄に乗って二駅言った場所にある。そこまで行っていたら、冷やす意味なんかほとんどなくなっていそうだ。
「コンビニもここからだとちょっと遠いし……。まー、このまま学校行くのが良さそうだな」
「まー、そだねー」
怪我人の同意も得られたということで、目的地を学校保健室に決定し、二人並んで歩き出した。
このままだと、三澄はほとんど時間を潰すことなく授業に突入することになるだろうが、彼女を放っておくわけにはいかない。今は大丈夫でも、頭をぶつけている以上、道中で容態が急変する恐れがあるのだ。
とは言え、美月にそういう心境を悟られるのはやっぱり癪だ。「なに? 心配してくれんの? 笑」みたいにして弄られるに決まっている。
だから三澄は、あくまでいつも通り、どうでもいい話を美月に振る。
「にしても、相変わらず遅刻かよ」
「三澄だってそうじゃん。今日もまたどうせ寝坊でしょ?」
思った通り、口を尖らせながらも、どうでもいい話に乗ってくれる美月。止血出来たかが気になるのか、しきりにハンカチを確認している。
「たまたま昨夜寝つきが悪かったんだよ。年中時間ギリギリ滑り込みアウトの美月と一緒にすんな」
「セーフだから! 滑り込みセーフ! それに三澄があんま遅刻しなくなったのなんて、ホント最近じゃん。去年は私より酷かったでしょ。遅刻反省文、結局何枚書いたんだっけ?」
ハンカチで左頬を押さえながらも、必死に反論してきた美月の顔が、今度はにやにやと面白がるようなものに変わる。
「さあ? あの時は脳死で書いてたから、ほとんど記憶にないんだよな」
おかげで、心にもない文言で大量の空白を埋める能力が身に付いた。何の役に立つんだ。
「ふふっ、そういえばそうだった。やり直し食らってたよね。意気揚々と提出しに行って、新しい用紙持って帰ってきた時は、めっちゃ爆笑した」
当時のことを思い出しているのか、美月はケラケラと笑う。
共に反省文を書くため居残りをさせられた、懐かしき日々。と言っても去年のことだが、思い起こすとどうしても頬が緩む。
「美月こそ、適当書きまくってやり直し食らったあげく、その日に終わらなくて逃げてたじゃねーか」
「えー? 記憶にございませーん」
「惚けても無駄だぞ。逃げた次の日、生徒指導の先生に捕まって、半泣きで帰ってきたよな」
三澄は、あえて美月を煽るようにそう言った。
「ちょっ、半泣きにはなってなかったでしょ⁉」
高校生にもなって、教師の説教で涙を流すのは非常に恥ずかしいこと。やはり即座に否定してきた。誘導されているとも知らずに。
ただ、この必死さ。案外図星なのかもしれない。三澄が知らないだけで。
「ほら、覚えてんじゃねーか」
「は? ……ああー! 引っ掛けたな、三澄! 許さん!」
「いや、いてーから! や、め、ろ!」
両手の人差し指で脇腹を突っついてくる美月。三澄は身体を捩って逃げようとするも、その行く手を塞ぐように、美月の攻撃が降り注ぐ。自分が怪我人であること、忘れていないだろうか。
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