第15話 不真面目2人
その後も、学校に向かいながら、大して実のないやり取りは続いた。
途中、自販機に寄り、気休めでもアイシングに使えればということで缶コーヒーを購入したものの、それ以外は特に何もないまま。
校門が見えてきた頃には出血も止まり、所々赤い斑点模様が出来たハンカチを仕舞った美月は、自分の左頬をさすりながら表情を曇らせた。思わず立ち止まる。
「どうした?」
「……なんかさ、顔に傷が残るかもって思うと、ちょっとね」
へへ、と力なく笑いながら、伏し目がちに見上げてくる。お転婆な彼女には珍しく、随分と気落ちしているらしい。
「女子にとっては結構しんどいものなのか?」
男である三澄にしてみれば、小さな傷跡の一つや二つ、むしろ話題として使えるくらいのもの。特に気に留めるようなものではない。
だが、今の彼女は、無理をしているのがバレバレだ。どうやらさっきの茶化し方は、完全に無神経だったらしい。反省しなければ。
「そりゃあね。これでも見た目には、色々気を遣ってますから」
おどけるように、美月は言う。
「あー、そうか。まあ、その顔で一切何も努力してないとかだったら、それこそ多方面に敵作るもんなあ」
納得した。
男も女も関係ないのだ。
常に努力していた人間が、不意に、その努力でも及ばないようなものを目の当たりにした瞬間、どんなことを思うか。
美月はきっと、そういう未来が自分にも降りかかってくるかもしれないと思って、恐れているのだろう。
本当に。悲しいことに、どれだけ頑張ってもどうしようもないことが、この世界にはたくさんある。時間的限界、空間的限界、肉体的限界、金銭的限界……。高校生ともなれば、大多数の人間が知っていることで、はっきりとは理解出来ていないもの。
そして、はっきりとは理解したくないもの。
「……」
三澄がそう、ほんの少しだけ感傷的になっていると、
「ね、今、ちょー遠回しに私のこと可愛いって言った?」
美月が、まるで有り得ないものを見たみたいに目を見開いて尋ねてきた。
「うん? まあ、一応そうだな。……今の発言、そんなに変だったか?」
また無神経なことを口走ってしまっただろうか。
だが、美月は表情を変えず、無言でこちらを見つめたまま。
「なに?」
どうして何も答えない? めちゃめちゃ不安。
すると、美月はおもむろに顔を弛緩させ、
「そっか、そっかー」
ぐいっと伸びをしながら、空に向かってそう呟いた。
「おい、なんなん――」
たまらず、三澄がそう不満を口にしかけて、
「じゃあ、これで貰い手がいなくなったりしたら、三澄に責任取ってもらおっかなー」
遮るように、爆弾が投下された。
「………………あ?」
貰い手? 責任?
「あれ、通じなかった? だから、三澄にお嫁に貰ってもらおうかなって」
嫁に貰う。……美月を?
「はあ⁉ なんっ、はあ⁉」
「どうどう。落ち着いて、落ち着いて」
一旦、深呼吸。
「なんでそういう話になった⁉」
落ち着けるわけがなかった。
「え? だって、ねえ?」
「ねえじゃ分からんわ! 第一、大げさすぎだろ。どう見てもそこまでの傷じゃない。一、二週間もすれば、綺麗さっぱりってレベルだろーが!」
そもそも責任とは。美月の怪我は、徹頭徹尾彼女だけの過失だろうに。
「そんなに嫌がらなくても良くない? 流石に傷つくんだけど」
しゅん、と落ち込んだ様子の美月。そういう顔をされると、非常に弱い。
「ぐっ、で、でも、そんな適当に決めることじゃないだろ?」
「適当だと思う?」
その真剣な眼差しに、思わず息を呑む。
まさか、本当に。
――俺、美月と結婚すんのか……?
三澄が困惑していると、美月が急に自分の腹を両手で押さえ出した。僅かに身体が震えている気もする。何事だろうかと、彼女の顔を覗き込もうとすると、
「くふっ……ふふふ……あはははっ!」
漏れ聞こえてきた笑い声は、抑えきれなくなったのか、次第に大きくなっていく。
「おまっ、騙しやがったな⁉」
「三澄、本気にしす……あはははははっ!」
どうやらツボに入ったらしい。
美月はしばらくの間そうやって、腹立たしい程に笑い悶えていた。
「……あー、笑い死ぬかと思った」
美月が腹を押さえながら、目尻の涙を拭っている。
「どういうつもりだよ。仕返しなら、もう一発きついのやっただろ?」
「だって、思いついちゃったんだもん。やるしかないでしょ」
酷い話だ。気まぐれで、これからの人生設計から周囲への対応まで諸々、考えさせられかけたのか。
「マジで勘弁してくれよ……」
朝からどっと疲れた。
「いやあ、ごめんごめん。三澄の反応が良すぎて、つい」
「もういいよ。お前なんか、傷フェチ連中とよろしくやってればいい」
三澄はそう言い捨て、美月を待たず校門へと足を踏み出す。
「いや傷フェチって何⁉ そんな人いんの? 逆に傷残るの嫌になってきたんだけど!」
声を張り上げ、美月が小走りに追いついてくる。
実際、傷フェチなんて人種の存在を三澄は知らない。が、見えないもの、理解不能なものほど怖いというし、これからも彼女にはビビり続けてもらおう。
「当たり前だろ。男なめんな」
「うっそ、当たり前なの? 男こわ」
そんな風に、またどうでもいい話を繰り返しながら、美月を保健室まで送り届けた三澄が次に向かう先は、職員室。保健室前の廊下をそのまま真っ直ぐ、二、三部屋ほど通り過ぎて、到着した。
ガラガラと戸を開けると、今が授業中だからか、人気が疎らな室内には、ゆったりとした空気が流れている。パソコンやプリント資料等に集中しているようで、三澄の存在に気付いた人間はいない。
三澄は小さい声で、失礼します、と一言断って中に入った。
あわよくば、教師たちの目に留まらないうちに事を済ませたい。そんな思いで、そそくさと室内を進む。
その様は、まるで空き巣のそれ。見つかれば、遅刻関係なく説教されそうだが、そもそも見つかりさえしなければ済む話。
「あれ、佐竹君」
しかし、見つかってしまった。
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