第12話 夜の静寂

 帰宅。玄関扉を開けて中に入ると、リビングから明かりが漏れていた。

 以前までなら、電気の無駄遣いということで、一、二分は罪悪感と戦う羽目になっていただろう。しかし今日は、LEDから発せられたただの光にさえ、僅かでありながら確かな温かみを感じる。

 靴を脱ぎ、家に上がると、リビングの扉が開いた。若菜が三澄の元までやってくる。


「おかえりなさい」

「あ、ああ、ただいま」


 このやり取り、なんだか少し気恥ずかしい。


「すぐに食事にされますか?」

「うん、お願い」


 三澄がそう返すと、若菜はすぐにリビングに引っ込んだ。

 三澄は一旦、二階へ上がる。財布とスマホをベッドに投げて一階に戻り、リビングへ。

 キッチンでは、若菜が食事を温め直してくれているようだ。その香しさに、ぎゅるると腹が鳴った。


「配膳、手伝うよ。どれ運んだらいい?」

「あ、では、ご飯お願いします。お茶碗は炊飯器の傍に用意してありますので」

「はいよ」


 彼女の言う通り、炊飯器の傍には、磁気製の茶碗が二つ重ねられていた。


「もしかして、お前も夕飯まだなの?」

「ああ、はい」


 若菜は一瞬だけ振り返って答えた。


「なんかあった?」

「いえ、特に何もないですけど」


 火を切って振り返り、頭を振る。


「腹空いてなかったの?」

「私、小食なので」


――それ、回答としては微妙に足りていないような……。


 あまり突っ込みすぎるのも憚られ、三澄はひとまずそれで納得することにした。

 それから、配膳を済ませ、二人一緒に食事を摂る。

 相変わらずの味に舌鼓を打つ三澄に対し、黙々と食べ進める若菜。

 今まで、若菜は度々味の感想を求めてきていたが、今晩はなし。これだけならそこまで気にすることでもないだろうが、夕食を摂っていなかったことといい、色々と首を捻りたくなる点がある。

 そういうわけで、食事に集中するのを止め、チラチラと若菜の様子見をしながら箸を進めている最中のことだった。

 箸先が中空を漂い、こっくりこっくり、舟を漕ぎ始めたのだ。


「マジか」


 食事を中断。席を立って、若菜の背後に回る。落としてしまわないよう、箸と茶碗を彼女の手から抜き取り、テーブルに置いた。


「おーい、寝るなら部屋で寝ろよー」


 肩を軽く揺らしながら囁く。と、若菜は肩を跳ねさせ、ぱっと目を開いた。


「ご、ごめんなさい」


 慌てた顔が肩越しにこちらを向く。


「いや、今朝も早かったみたいだし、もう夜も遅いしな。仕方ないだろ」


 現時刻はおよそ十一時。六時起きの身としては、しんどくなってきて当然の時間だろう。

 それに、昨日今日と、慣れない環境での心労もあるに違いない。


「部屋行ってもう寝ちゃったら? 片付けとかはこっちでやっておくから」

「いえ、それは……」

「頑張りすぎは毒だぞ。何事もほどほどに、自分のペースで、だ。特に、お前はまだ今の生活に慣れてないんだから、様子見しながら、身体が慣れるまでは手を抜いとけ」

「でも、慣れない環境なのは、あなたも同じじゃ……」

「俺は余裕だ。メシが美味い分、むしろ調子がいい」

「……」


 目を見張る若菜だったが、次の瞬間にはどこか困ったように俯いてしまった。


「ひとまず、明日の朝食は俺が作るから、お前は気の済むまで寝てること。いいな?」


 質は若菜のより数段落ちるだろうが、そこは我慢してもらおう。


「……分かりました。でも寝る前に、お風呂だけ入ってもいいですか?」


 数秒の逡巡の後、若菜は窺うような視線でそんなことを言い出した。


「風呂? まあ別にいいけど、うたた寝はするなよ?」


 風呂なんて明日でも、と思わなくもないが、駄目とも言いづらい。

 三澄の返答に若菜は頷いて、席を立ち、のそのそとリビングを出ていく。階段を踏みしめる音が響き始めたあたりで、三澄は席に戻り、食事を再開した。

 料理は少し冷え始めていた。


 夕食の後片付けを済ませ、シャワーを浴びてから、二階の自室に戻った三澄は、ベッドに投げっぱなしになっていたスマホを手に取った。

 未読メールが一件。真島からだ。

 ベッドに腰掛け、慌ててメールを開封した。

 内容を確認する。見慣れたお固い文章が脳味噌に焼き付いていく。

 最後まで読み終え、ベッドに身体を投げ出した。

 息を吐く。

 そのまましばらく考え事を続けていると、どっと眠気が襲ってくる。昨日はすぐには寝付けなかったが、今日は気持ちよく眠れそうだ。


「っと、あぶね」


 目覚まし用アラームの設定を忘れていた。若菜にああ言った手前、明日はいつもより一時間程度早く起きないといけない。

 念のためスヌーズ機能まで設定して、三澄は眠りに就いた。

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