第11話 エアーブレイカー京華

「あー、佐竹君。おはよー」


 バイト先のファミレス。三澄がその裏口から店内に入ろうとしていたところ、背後から間延びした声が掛かった。

 無視したい気持ちを抑え、振り返る。そこには、予想通りの人物の姿があった。150センチにも満たない小柄な身体が、そのだらっとした姿勢のせいで更に小さく見える。


「……おはようございます、川田かわた先輩」

「うわー、なんだーい? その朝から鳥フン被ったみたいな顔はー。普段お世話になってる人に、会って早々向けるものじゃないよー?」


 黒髪ボブの女子――川田京華きょうかが、お気に入りのおもちゃを見つけたみたいな顔で見上げてくる。

 いや実際、彼女にとって三澄はおもちゃなのだろう。


「今まで先輩が俺に何をしてきたか、よくよく考えてから言ってください」

「酷いなあ。君のためを思ってのことだったのにー」


 京華はだらっとした姿勢のまま割り込んできて、開けっ放しだった扉から中へ入っていく。どうやら真面目に誤魔化す気すらないらしい。

 まあ、意味がないことだというのは、彼女とて分かっているのだろう。本当に人のことを思っていたのなら、バイト初日、と言うかバイト自体初めてだったかつての三澄に対し、嘘のハンディ操作法を教えるわけがない。おかげでバッチリ客からのクレームと店長からの説教を頂いた。

 ほんとあの時はバイト辞めようかと思った。

 諸々の後、ニヤニヤしながら話かけてきた京華の顔は絶対に忘れない。これが洗礼、俗に言う新人イビリかと、どれほど恐怖したことか。


――この人はきっと、覚えてすらいないんだろうな……。


 三澄は溜息を一つ吐き出して、彼女の後に続いた。



「ねぇ、佐竹君」


 バイトが始まってすぐ。薄く笑みを浮かべた京華が寄ってきた。


「……なんですか」

「何かあったでしょ」


――出た出た、いつもの。


 執拗な追及が始まる合図だ。

 三澄はうんざりするのもそこそこに、気を引き締め直した。

 今回ばかりは話すわけにはいかない。

 若菜のことについて、絶対に他言無用というわけではない。が、京華含め他人に話してしまった時、どんな事態を招くことになるか。考えただけで寒気がした。


「何もないですよ」

「昨日、バイト変わってあげたでしょー?」

「昨日はありがとうございました。ですが、ほんとに何もないので」


 ぴこん、と丁度良く客からの呼び出しがあったので、いち早くホールへと出る。予想通り、京華は外まではついて来ない。

 だが、オーダーを取り、パントリーに戻ってくると、茶化すように、


「幼馴染とより戻した? それとも、友達友達言ってた子と遂に一線越えちゃった?」

「あんたほんとデリカシー無いな!」


 流石に声を荒げてしまった。

 相変わらず、人の繊細な部分を的確に抉ってくる人だ。

 あの時、相談なんか持ち掛けなきゃよかった。

 三澄は数か月前の自分の浅慮さに怒りを覚えながら、更なる不満を零す。


「あと、誤解を招くような言い方も止めてください。より戻すとか一線越えるとか、ホントわざとやってんだろ」

「そりゃーそうでしょー」

「何で偉そうなんだよ……」


 三澄は、「そりゃ勿論、先輩だからね。年功序列、年功序列ぅ」とか言ってる隣で大きく溜息を吐いた。女じゃなかったら、とっくに殴っている。


「で、何があったのー? 女でも出来た? さっきの二人以外で」

「だから何でそういう発想になるんですか」

「こんな中途半端な時期に、高校生男子にある何かって言ったら、やっぱ童貞捨てる以外にないかなって」

「んなわけあるか」


 男への偏見が酷い。

 他にも色々あるだろう。思春期だぞ。……あまり大したことは浮かばないけれども。


「そもそも、何にもないってずっと言ってるでしょ。何で信じてくれないんですか」

「だって信じるも何も、ネタはもう上がってるからねー」

「……え?」


 ドクリと心臓が跳ねる。

 まさか昨日、見られていた? 

 それも、よりにもよって、京華に?

 外を出歩くのだから、当然、知り合いに目撃される可能性はある。そんなことは三澄も分かっていた。

 要は甘えたのだ。一日くらい大丈夫だろう、なんて考えて。


――いや、慌てるな。相手が川田先輩なら、まだ誤魔化しようはある。


「私の目じゃなくても誤魔化せないよー? 明らかに一昨日と雰囲気が違うからねー」

「いや、だからっ……! ……?」


 そう反論の言葉が出掛けた矢先、違和感が耳に残った。


「一昨日?」

「すーごいそわそわしてたよねー。うわー、これ絶対明日デートじゃん、って私ちょっと引いたもん」

「……」


 一昨日とは、若菜が佐竹家に来る前日のこと。彼女が言うような態度であった記憶はないが、真島からのメールの件やら色々、気が気ではなかったのは確かだ。


――なんだよ、そういうことかよ……。


 安堵に息を吐く。警戒して損をした。


「ねえ、聞いてる―? 流石に無視は良くないんじゃないかなー?」

「あー、いや、あーっと……、これ以上先輩に弱み握られるのも嫌なんで、そのあたりはノーコメントで」


 京華の誤解は、正直、好都合だ。この流れに乗り、はぐらかし続けよう。


「うーん、今回はやけに強情だねえ。……ふふ、そそる」


 とても不穏な単語が聞こえた気がした。

 とは言え、京華の追及は昼の忙しい時間帯に入ってパタリと止まる。昼が過ぎ、手の空く瞬間が増えても、休憩時間が被っても、京華は何一つ話しかけてくることはなかった。

 飽きっぽい彼女にはよくあることだったが、振り回される身にもなって欲しいものである。




 午後十時過ぎ。裏口から出ると、既に辺りは真っ暗だった。

 表の方からは、片側一車線道路に面していることもあり、雑踏の喧噪というものが伝わってくる。が、裏であるこちらは、住宅街が広がっているのみ。若干の不気味さすらある。


「お疲れ様です」

「お疲れさまー」


 一緒に上がった京華は、目も合わせぬままさっさと行ってしまう。

 彼女の見た目からして、補導されかねないとつくづく思う。が、以前、一度、帰りを送ろうかと提案した際、今日とは比にならないくらい弄られた。

 あの時は本当に酷かった。軟派野郎とかロリコンとか、ほとんど初対面の相手に、よくもまああれだけの罵詈雑言を挙げ連ねることが出来るもんだと、逆に感心したほど。

 以来、こうした淡白な最後となっていた。


――この人との距離感、未だによく分からんのよなぁ。


 三澄はちっちゃな背中を軽く見送って、帰路に就いた。

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