第3章 大人でも子どもでもない

第10話 朝の日差し

 翌日曜日、目覚ましアラーム鳴り響く部屋の中、三澄は目を覚ました。

 手探りでスマホを求め、寝ぼけ眼のまま手に取って操作する。

 アラームが鳴り止んだ。が、静けさは不完全。相変わらずの雨音のせいだ。

 ぼんやりとした意識のまま、ごろりと寝返りを打つ。

 今日はバイトがある。つまりは外を出歩かないといけないわけで。

 若干、億劫だった。

 だがまあ、こうしてうだうだしていても仕方がない。

 三澄は、気怠さを吹き飛ばすように、ベッドから跳ね起きた。欠伸をしながら、部屋を出る。

 ひんやりとした、いつもの廊下。一段下りる度軋む、いつもの階段


――あれ……?


 リビングから、光が漏れている。

 昨晩、消し忘れたか。そんなことを思いながら扉を開けた。


「あ、おはようございます」


 出迎えたのは、テーブルの上に並べられたホカホカの朝食と、爽やかな挨拶。


「あ、ああ……おはよう」


 呆気にとられながらも、挨拶を返すことには成功。


「昨日の残りばかりですけど、よろしかったら」


 つみれ汁、卵焼き、ウインナー、ポテトサラダトマト添え……。

 随分と準備がいい。昨日の残りばかりだと言うが、決してそんなことはない。


「何時に起きたんだ?」


 これでも、三澄はいつもより一時間も早く起きた。彼女に家事をさせて、自分はぐーすか寝ているだなんて、情けないだろう。


「六時くらい、ですかね」

「……マジかよ。二時間も前じゃんか」


 なるほど甲斐性の無い男はここにいたようである。


――にしても、六時起きって。


 朝練があった中学時代を思い出した。今思えば、よくもまあ毎日あんな朝早く起きていたものである。明日からやれと言われても、出来る気がしない。

 だが、配膳をしている若菜の動きは淀みなく。眠気は欠片も感じ取れない。

 それから、二人揃って朝食を囲んだ。


「いただきます」


 こんなに食欲をそそる朝食も久しぶりである。

 一口食べれば、更に腹が空く。

 この味を知った以上、もう昔には戻れない。残ったフルーツグラノーラ、いつ食べようか。


「卵焼き、しょっぱくしてみたんですけど、よかったですか?」

「ん? うん、大丈夫。うまい」


 甘い卵焼きなんて食べたことあったっけと思いつつ、答える。

 昨日もそうだったが、若菜はやたらと感想を聞きたがる。気になるのは分かるが、この味ならむしろ、オラ食えよ、後悔はさせねぇぜ? くらい強気でも問題ない気がする。彼女のイメージからはかけ離れているけど。

 

 朝食を済ませ、自分の分の食器を洗っていると、若菜がおずおずとやってきた。手には、ご飯粒一つ残っていない茶碗と平皿。


「……よろしくお願いします」

「悪い、そこ置いといて」


 手が空いていなくて、三澄は身体を除けて場所を空けながらそう返した。


「あの、やっぱり私もお皿洗いましょうか……?」


 シンクに食器を置きながら、控えめに尋ねてくる。


「いや、皿洗いくらいやらせてくれよ。バイトまで、まだ時間あるし」

「……そうですか」

「あ、あー、そうだ。テーブル拭いてもらえるか? 布巾、そこにあるから。一回ここで洗ってさ」

「あ、はい、分かりました」


 取ってつけたような頼み事だが、若菜は気にせず言った通りにしてくれる。洗った布巾を絞って、テーブルの方へ歩いていった。

 なぜそんなにも働きたがるのか。

 心当たりは、ないこともない。

 だが、彼女にまで適用されるかどうかは、確信がなかった。


 それから、ひと仕事終えた三澄は、次なる仕事バイトのため、自室に戻った。適当な服に着替え、スマホと財布だけの超軽装で部屋を出る。

 三澄のバイトはファミレスの接客だ。制服が存在するが、ありがたいことに店側で洗濯までしてくれるため、最悪手ぶらで行っても、問題なく仕事ができる。

 故に、いつもなら今頃、慌てて朝食をかき込んでいるはずであった。


――ま、これもいつまで続くかは分かんないけどな。


 若菜との生活に慣れてしまえば、以前の状態に逆戻りする可能性はある。三澄にとっては、やっぱり食い気より眠気なのだ。これはフルグラのお世話になる日も案外近いか?

 休日の八時起きもまあまあ辛いしなあと欠伸をしつつ、階段を下り、玄関で靴を履いていると、リビングの扉から若菜が現れた。

 彼女はそのまま、こちらに向かって歩いてくる。


「どうした?」

「あ、いえ、その……お見送りをしようと思って」

「見送り?」


 なぜ? なに? どゆこと?

 三澄の脳裏に、いくつもの疑問符が浮かぶ。


「……要らなかったですか?」

「い、いや! じゃあ、頼むわ」


 そうしゅんとされると、もう三澄に選択の余地はない。


「では…………」


 若菜が居住まいを正す。妙な緊張感だ。

 そして、ぎこちなげな笑みを浮かべると、軽く手を振りながら、


「い、行ってらっしゃい」

「……」


 思考が止まった。

 いってらっしゃい……いってらっしゃい……いってらっしゃい……。

 脳内で、その言葉だけが響き続ける。


「えっと、どうかしましたか?」

「い、いや、なんでもない」


 そう誤魔化し、傘立てから傘を一本引っ張り出して玄関を出た。

 今日は、なんだか頑張れる気がした。

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