第8話 お買い物デート? ②

 電子レンジの軽快な音が鳴り響いた。

 三澄はガチャンと扉を開けて、中に入っていたホカホカの弁当を取り出す。


「ほい、お待たせ」


 テーブルの所まで持ってきて、席に着く。


「いただきます」

「……いただきます」


 三澄から数泊遅れて、若菜も手を合わせた。

 割り箸を割って、ご飯を口に運ぶ。ほんのりとした甘みが、口の中で解けた。

 次はおかず。ギリギリ残っていただけあって、ちくわ天やコロッケなど、地味な内容だ。だけど、温かいということもあって、箸は進む。


「やっぱ冷えてないか、それ。温め直したら?」


 若菜が手を付けている弁当へ、視線を飛ばす。先に食べていていいと言ったんだけど、相変わらず遠慮があるんだろう。


「大丈夫です」

「んー、そっか」


 なんていうか、取りつく島がない。だが、ここで怯んでも、今みたいな微妙な距離感を無駄に長引かせるだけ。だから、別の話題を提示してみる。


「今日の夜、何が食べたい?」

「今日の夜、ですか? 私は別に何でも構いませんけど」

「じゃあ、好きな物と嫌いな物は?」

「それも、特には」

「おお~ん……」


 困った。

 嫌いな物が無いのは分からないでもないが、好きな物まで全くないなんて、ちょっと信じ難い。つまりは、あまり会話をしたくないという意思の表れなのでは……。

 しかし、そんな三澄の様子に思うところがあったのか、


「あ、あの、お買い物に行かれるんでしたら、私も行っていいですか?」

「え? あーまあ、俺は別にいいんだけど、お前は疲れてたりしないか? 外はあんまり得意じゃないんだろ?」


 肉体的にも、そして精神的にも、だ。外にいる時、若菜は常にどこか居心地が悪そうだった。……今だって大して変わらない気もするけど。


「あ、いえ、それは……はい」

「なら」

「でも、やっぱり私もお手伝いします。いえ、させてください」


 そんなこんなで、また二人して、今度は近所のスーパーまで来ていた。


「さ、何買おうか」


 カゴを持ちながら、辺りを見回す。

 見慣れた店内だ。どこに何があるのか、大体分かる。むしろ、隣に若菜がいることが、ちょっと変な感じだ。


「あの、よく料理はされるんですか?」

「いや、全く。精々、麺茹でるとかくらいかな」


 若菜は少し考える素振りをした後、


「今日の献立、私が考えてもいいですか?」

「え、献立?」

「夕食も私が作ります」

「……マジ?」


 急にどうしたというのだろう。その横顔には、午前の時のような頑なさがあった。


「あ、いえ、嫌でしたら、無理にとは……」


 が、今回はかなり簡単に崩れる。


「いや、すげぇ助かるよ? でもお前、料理出来るの?」

「はい、ある程度は。普段からしていましたから」


 普段。

 若菜は、特に気にも留めていないようにそう言った。


「そか。なら、ひとまず今日は頼もうかな」


 共同生活初日から負担を強いるのは申し訳ない。が、ここで断るのも、彼女を更に委縮させてしまう気がした。


「わかりました。何かご要望はありますか?」

「要望? んー、別にないかなあ。まあ、お前の好きなのでいいよ。大抵の物は食えるし」

「……わかりました」


 そう頷いて先を行く若菜の後ろに、三澄はついていく。

 どんなものを手に取るのか。見ていると、若菜が振り向いた。


「魚って大丈夫ですか?」

「食べられるかってこと? 勿論、大丈夫」

「なら……、あ、イワシが安いですね。塩焼きと……それから、つみれ汁なんかもいいかな……」


 若菜はそう呟きながら、食材の方に向き直った。

 その後も、若菜は事あるごとに三澄へ確認の声を掛けてくる。


「人参は食べられますか?」

「お米って、炊いてありました?」

「冷蔵庫には、ほとんど何もないんでしたよね?」

「あの家、調味料はどのくらい置いてあります?」


 次第に、三澄の持つカゴがどんどん重くなっていく。


「なんかちょっと多くない……?」


 ずんずん進んでぽんぽんカゴに入れていく若菜に圧倒され、指摘が遅れたが、この量は明らかに過剰。まるで、やる気だけは一人前の料理初心者だ。

 数か月か半年か、以前、頑張ってみようと思って、食材から調味料から、様々買い込んでみたことが三澄にはある。

 そして、配分を失敗して、気持ち悪くなるぐらいまで食べないといけなくなったり、期限を切らして、若干の罪悪感に苛まれながら捨てたりしたものだった。

 ……いや、待て。どこか違和感がある。これは、ミスというよりも……。


「え? ……あ、そうでした。二人、なんですもんね」

「……」


 カゴを見て、苦笑い気味に言う若菜に、三澄は気の利いた言葉が返せない。

 きっと、両親と自分を合わせた三人分の食事を作るのが習慣だったんだろう。それは分かる。……だけど。

 どうしてそうやって笑えるのか。やっぱり、三澄には理解出来なかった。


「返して来ないといけませんね。私、ちょっと行ってきます。待っててください」

「え……い、いや、俺も行くよ。時間かかるだろ?」


 カゴの中へと手を伸ばしてくる若菜を、慌てて制止する。


「……すみません」

「別に謝らなくていいって」


 そう軽い感じで返し、歩き出す。若菜もついてきた。

 仕方のないことではあると思う。慣れってものは、そう簡単に消えてくれない。

 だけど、仕方ないの一言で済ませるのは、少し抵抗がある。

 彼女にとってはきっと、仕方ないで済ませられることではないはずだろうから。


 それから数分で過剰分を元の場所に戻し、今度はちゃんと必要な分だけをカゴに入れ、レジに並ぶ。


「料理、好きなの?」


 少し手持ち無沙汰だったので聞いてみた。


「それは……分かりません」

「分からない?」

「はい。今まで、なんとなく続けていただけですから」

「でも、食材を選んでる時、結構夢中になってたっていうか、思考に没頭してたっていうか……。あれだけ真剣になれるってことは、やっぱ好きなんじゃないの?」

「そう……ですね」


 どこか歯切れが悪い。

 肯定の言葉をもらえたはずなのに、否定されたみたいだ。


「……」


 しつこくする意味もないので閉口すると、ちょうど会計の番が来た。その間の良さに感謝をして、レジのおばさんの熟練した手付きを眺める。


――マジで前途多難だな……。


 距離を縮めるきっかけになるかと期待したが、どうにも難しいようだ。

 まだ、一日目。特に相手は今、デリケートな状態だ。事を急ぐべきではない。

……分かってはいる。だけど本当に、全部が全部、時間が解決してくれることなのか。疑念は、三澄の胸中に渦巻き、きりきりと締め上げ始めていた。


 そのまま会計が終わり、ビニール袋に品を詰め終えた三澄たちは、両手に荷物を提げた状態でスーパーの外に出た。

 相変わらずの曇り空だ。いつ雨が降って来てもおかしくない。

 スマホを見ると、時刻は四時過ぎ。真っ直ぐ家に帰って、すぐに夕食作りに取り掛かるとすると、少し早いか。

 だが、寄り道の当ては無い。荷物も邪魔だ。


 結局、三澄たちは真っ直ぐ家に帰ることにする。

 道中、間を持たせようと、三澄は若菜へ多々話題を振ったが、全て撃沈。コミュニケーションに然程苦手意識は無い三澄だったが、家に到着する頃には、自信を失いかけていた。

 そんな三澄へ、罪悪感からか若菜が不安げに、

「あ、あの……私、夕ご飯頑張って美味しく作るので、楽しみにしていてください」

 と慰めの言葉を口にしたが、傷に塩を塗る結果にしかならず。


 家に上がり、冷蔵庫に買った食材やらを詰め込んだ後、若菜はすぐに調理に取り掛かった。

 彼女の動きは非常に手慣れている感があり、素人に毛が生えた程度の三澄には、手伝いを申し出ることすら憚られる。

 だから、しばらく黙って眺めていたのだが、若菜がどこか気恥ずかしそうな様子だったので、二階の自室で時間を潰すことにした。


 と言っても、やることが無い。

 学生らしく、勉強をすべきなのだろうが、やる気が出ない。

 スマホのロックを外して、ベッドに寝転がる。


「……ん?」


 メールが一件。メールマガジンとかの可能性もあるが、一応確認する。

 送信元は真島だった。

 件名は、『注意事項 確認用 要保存』と簡潔。

 本文は、既に承知していることと思うが、念のため。都度都度確認出来るよう、保存しておくように、という文章から始まり、若菜の自由を保障するための注意事項が箇条書きで羅列されている。

 具体的な内容としては、絶対に若菜に血を吸わせないこと、若菜が外出する際には必ず三澄が同伴すること……等々。


 流石は警察組織の幹部。抜かりがない。

 既に承知している、となっている通り、このメールに記載されている内容に、三澄の知らない情報は無い。が、こういうメモは、この先、油断が始まる頃に力を発揮する。

 もう子どものままではいられない以上、本来なら、これくらいは三澄自身でやるべきことだ。


――もっとしっかりしないといけないか。


真島に甘えてしまっている自覚は、三澄にもあった。

これまでなら、それでもよかったかもしれない。なんせ三澄はまだ高校二年生。一人で生きていくには障害があり過ぎる。

だけど、今は若菜がいる。


「……」


 三澄は、もうしばらくスマホを操作してから、リビングに戻った。

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