第2章 2日目が1日目
第6話 始まりから憂いあり
少女――
両親によって身分を偽られ、一時期までは自分のことを人間として認識し、一時期からは自分を吸血種と知りながら、人間の学校に通っていた。
故に若菜は、人間の血を吸ったことがない。
三澄は一通のメールを読み返しながら、リビングのソファで横になった。
今日は、若菜と初めて会った日から十日経った、六月十七日。鬱陶しい梅雨前線は、未だ日本列島に張り付いたままである。
だが幸運にも、今日は曇り。雨でも晴れでもなく、曇りである。
そんななけなしの幸運に感謝しつつ、メールを読み進めていく。と、とある文章にどうしても目が留まる。
「どうすりゃあいいんだよ……」
スマホを持つ手をだらりと下げ、天井を仰ぐ。
――陽ノ本若菜の両親は、現場隊員の判断により、両者共にその場で射殺された。
重い。重すぎる。
心臓が潰れそうなくらい、痛い。
若菜は、両親の死を知って、どんなことを思ったのだろう。
今、どんなことを思っているのだろう。
どれだけ考えても、答えは出ない。
三澄は、若菜のことを何も知らないのだから。
そんな思考を、インターホンの呼び出し音が遮断した。
「……っ!」
心臓が跳ねる。
スマホを仕舞い、ソファから立ち上がった。
バクバクとうるさい鼓動。浅くなる呼吸。
苦しみに喘ぎながら、三澄はインターホンの画面を見る。そこには、厳格そうなスーツ姿の男が一人。
応答せず、玄関へと向かう。
視界が霞む。壁に手をつかないと、上手く歩けない。
再度響くけたたましい音を聞き流し、玄関扉を開けると、巌の如き黒色が目の前に立ち塞がった。
「おい、大丈夫か?」
「……え?」
「気付いていないのか? お前、泣いているんだぞ?」
頬に触れてみる。指先に、微かに粘性のある液体の感触がした。
急いで拭い、鼻を啜りながら、三澄は誤魔化すべく丁度いい理由を捻り出す。
「はは、さっきまで映画見てたから……ですかね。それより
「……いや、いい。仕事が残っている」
訝しげながら、ひとまず誤魔化されてくれる。土曜なのに仕事とは、警察官は相変わらず忙しいらしい。
「三澄君、何かあったら、必ず連絡するように。では、後は任せる」
そう言って三澄に背を向けると、真島の背後にいた、黒の長袖ブラウスにスキニーデニムを穿いた少女――若菜へ、
「君も、あまり気負わず、ちゃんと三澄君を頼るように。これから、二人きりで暮らしていくんだからね」
「はい」
その応えに真島は頷くと、必要なことは済ませたとばかりに悠然と歩いていく。乗り付けてあった黒塗りの車に乗り込んで、颯爽と走り去っていった。
玄関先に残された二人。
三澄は、ボストンバッグを肩から提げる若菜に目を向ける。
「荷物、持つぞ?」
「あ、いえ、大丈夫です。大した量ではないので」
遠慮がちな笑顔で断られた。
……笑顔になれるのは、いいことのはずだ。ひとまず、自分を納得させる。
「んじゃ、まあ、とりあえず入ってくれ」
扉を大きく開き、中へ誘導する。
「お邪魔します」
新生活。その一日目が、今、始まった。
若菜の荷物を空き部屋に置いて、二人してリビングに戻ってきた。
「これから買い物に行こうと思うんだけど、大丈夫か?」
若菜との共同生活を始める上で、必要な日用品等々を買っておかなければならない。
だが、女性用雑貨ともなると、男である三澄の手には余る。いずれは三澄一人でも買えるようにならなければならないが、始めの内は若菜にも助けてもらおう。
「私は大丈夫ですけど……あなたは大丈夫なんですか?」
「俺? なんで?」
惚けてみる。流石に苦しいか?
「……いえ、何でもありません」
納得はしていないようだったが、追及を止めてくれた。正直、助かる。
先程、涙を流していた件について、気にしているのだろう。初日から見られたくないものを見せてしまった。これからは気を付けなければ。
「じゃあ、さっさと行くか。天気が崩れないうちに……と思ったけど、その前にいくつか確認させてもらってもいいか?」
「? はい」
「お前の身体って、実際、どのくらい弱いの? ここから駅の辺りまで歩いていける?」
吸血種と人間のハーフについて、一般的、と呼ばれる範疇のことは三澄も把握している。
だが、そういう情報は、あくまで一般的。全員に当てはまるわけじゃない。ここで理解を怠れば、後々に響きかねないのだ。
それに彼女はもはや、一般的が適用されるような存在ではない。
「血を吸ったことが無いからって、そこまで虚弱になるわけじゃないです。日が出てるなら話は変わってきますけど、今日くらいの天気なら、特に対策をしなくても問題ないですよ」
「そうなのか。ならまあ今日のところは安心か」
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