第2話 急転直下な出会い
時間帯、そして何よりこの天候。傘も差さず、一体何のためにああしてベンチに座っているのか。
三澄は不審に思いながらも、無視して行くのはどうにも忍びなくて。
少し話しかけるだけなら大丈夫だろうと、彼、ないしは彼女に近づいてみることにした。
ざく、ざくと、僅かにぬかるんだ地面を踏みしめて進み、その女の子を目前に捉える。
長い黒髪に白の膝丈ワンピース、病的なまでに白い肌と華奢な体躯。歳の頃は、三澄より一つ二つ下くらいか。
本来なら、深窓の令嬢といった神秘さや儚さを感じさせる様相だが、この場では、ひたすら寒々しい。まるで、気温とは無関係な冷気を纏っているかのよう。
「お、おい、大丈夫か?」
三澄は気付けばそう声を掛け、彼女が濡れないよう傘を差し出そうとする、その瞬間だった。
女の子の肩がピクリと跳ね、弾けるように三澄から跳び退る。
「うぉっ!」
驚いて声を上げる三澄。反射的に持ち上げた傘から、細かな水滴が落ちた。
その間にも女の子は、尻を引き摺りながら藻掻くようにして、三澄から距離を取る。
その顔は、今にも叫び出しそう。真っ白だった服が茶色く染め上がっていく。
一体、何事か。
そこまで怯えられる覚えが、三澄には無い。
だがこの場にいるのは、三澄と彼女だけ。だからその恐怖は、三澄に対してのもののはず。
これはもしや、三澄個人に対する恐怖ではなく、他者全てに対する恐怖?
三澄の見た目に、彼女にとってどうしようもない程の問題があれば別だが……。
「え、えーっと……」
微妙にショックを受けながらも、三澄は笑顔を作る。
どうにかして彼女の警戒心を解きたい。
だが、方法が分からない。
「傘、置いとくから、よかったら使ってくれ」
三澄はとりあえず、傘を開いたままベンチに立て掛けて、その場を離れてみた。
雨避けのため、滑り台下の隙間にて屈みながら、女の子の様子を窺う。更に不審者っぽくなってしまったのは、この際、目を瞑って頂きたい。
女の子は、張り付いた髪の隙間から双眸を覗かせて、傘と三澄をチラチラと見ている。縮こまらせた身体が小刻みに震わせたまま、傘へは一向に近づこうとしない。
――やっぱ、俺がいるのがマズいのか……?
それとも、傘に何か細工が……、とでも思っているのだろうか。
三澄は観念して、滑り台下から出る。女の子がピクリと肩を跳ねさせたが、ひとまずスルーして、急ぎ公園外に向かった。
服も靴もたちまちぐっしょり。微妙に後悔しないでもなかったが、今更である。
こうなったら、何かしら落としどころが見つかるまで突っ走ってみるのもいい。
三澄は公園横に設置された、自動販売機の前まで来た。
ポケットから、湿り気を帯びた財布を取り出す。中を見ると、まだなんとか無事そう。これ以上濡れないようにしながら、硬貨を取り出して投入口に入れた。
今の時期、数を減らしつつあるあったかーいという文言。そのすぐ下のボタンを押し込むと、ガタンとペットボトルが落ちた。
ミルクティーとレモンティー。念のため、二種類用意しておこう。
雫が滴り落ちる取り出し口から二本とも引っ張り出して抱えると、三澄は小走りで園内に戻る。
「え……?」
ベンチの横。地べたに倒れ伏す、一人の少女。
「マジ、かよ――!」
三澄が駆け寄る。
「おい! 大丈夫か!」
膝をつき、少女を抱えた。
冷たい。
少女に触れる掌からは、この季節には似つかわしくない温度が伝わってくる。
僅かに開いた瞳が、三澄を捉えた。だがそれだけで、抵抗する素振りがない。青い唇を小さく開閉させて浅い呼吸を繰り返し、全身を震わせている。
軽度低体温の症状だろうか。一刻も早く、彼女の身体を温めなければ。
一旦、少女をベンチに寝かせ、ペットボトルやら傘やらを鞄の中に押し込んでいく。その後、肩に掛け直すと、三澄は少女を抱き上げた。
所謂、お姫様抱っこ。可愛らしい呼び名だが、実際やってみると、腕の負担は相当なもの。家まで、気合いでもたせるしかない。
「おい、絶対に寝るなよ! すぐに着くからな!」
目を瞑ろうとしていた少女を揺すり、随時呼び掛けを行いながら、三澄は自宅までの道のりを急いだ。
玄関扉の鍵をなんとか開け、家の中へ。三澄は靴を脱いで鞄を投げ捨て、泥だらけの少女をそのまま風呂場まで運び込む。
風呂場の床に寝かせたところで、気付いた。
洋服の向こうから薄っすらと覗く、淡い色の下着と柔肌。
彼女の身体を温めるには、彼女に付いた泥と、そして服をどうにかしなければならない。
犯罪の二文字がちらつく。
だが、未だ力なく横たわる彼女をこのまま放っておいて、事態が好転するのか。
そもそも、ここに連れ込んだ時点で前科一犯みたいなものだ。犯罪者は、もう二度と一般人には戻れない。
「ごめん、許さないでくれ」
三澄は少女にそう呼び掛けて、蛇口を捻る。
勢いよくシャワーヘッドから出る冷水が、次第に湯気を伴い始めた。
水勢を弱め、温度もぬるま湯程度に調節して、脇の下や腹部など、身体の中心部から順に温めていく。
その間にも、空いた手で靴を脱がし、至る所にへばり付いた泥を落とし、摩擦して出来る限り熱を確保。
流れる湯に、少女の長い黒髪がゆらゆらと揺蕩っていた。
「……と……さ……おか……さ……」
「……?」
不意に、少女の呟き。
見れば、少女は既に眠っているようだった。表情が、どこか悲しげに歪んでいる。
夢でも見ているのだろうか。一瞬、朝のことが蘇る。
――今は、駄目だ。
邪念を振り払う。事が済んだ後、存分に苦しめばいいことだ。
三澄は心を無にし、ただひたすら、少女の身体を温め続けた。
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