同棲始めたら修羅場も始まった

緑樫

第1章 少年と少女の1日目

第1話 今日という日は、きっと朝から始まっていた

『お父さん、なんでおれの名前、なんて女の子みたいな名前なの?』


『え、女の子? んー、まあ確かに女の子っぽいっちゃあ女の子っぽいか……?』

『ねえなんで? おれ、こんな女の子みたいな名前やだよ。名前って、今からでも変えれないの?』

『え、マジ? 三澄って名前、そんなに嫌? 改名したいほど?』

『うん』

『そ、そっかあ…………そっかあ……』

『ふふふ。お父さん、ショック受けすぎよ』

『いやだって母さん、三澄が――』

 映像は、そこで途切れた。


 目を覚ます。

「………………くっそ」

 現実を知り、呟きに涙声が混じった。

――なんてモン見せてくれてんだよ……。

 朝から気分の悪いことこの上ない。夢なんて、この世から無くなってしまえばいいのに。


 三澄は脳内で毒づきながら、もぞもぞとベッドの上で寝返りを打つ。

 じめじめと、熱気の籠った室内。寝覚めの悪さも相まって、不快指数は最高潮だ。

 やっぱり、もうひと眠りしよう。そう考えて、目を瞑った。眠ってしまえば、その間だけは何も考えなくて済むし、気分も多少は上向くはず。……夢さえ見なければ。


 そうしてうだうだしていると、ふと、外の騒々しさに気付く。

――うへぇ、今日も雨かよ。

 今は六月。梅雨真っ盛り、カビ大繁殖の季節である。ぐちゃぐちゃになった靴と靴下、裾の湿ったズボン、思い浮かべるだけで気力が削がれていく。

――学校行くの、めんどくさいな……。

 肉体的にはすこぶる健康。まだまだ生い先長い身で、早々にドロップアウトするのは流石に怖い。

 だから結局、学校に行くに決まっているのだろうが、まだ時間的に余裕のある今は、今だけは、こうして時間を無駄にしていることを許して欲しかった。



 スマホの目覚まし機能に急かされるように起きた三澄は、寝間着のまま自室を出た。

 暗がりの中、階段を下り、季節の割にひんやりとした廊下を抜けて、真っ暗なリビングに入る。


 電気を付け、まずは朝食の準備。と言っても、フルーツグラノーラに牛乳をかけて頂くだけ。安い、手間要らず、バランスの良い食生活をしている気分になれると、非常に便利な食べ物である。


 三澄はそれを食べながら、テレビを付けた。

 朝のニュース。話題は専ら、どこそこで事件があったとか、某有名芸能人の不倫だとか、世界情勢とか。

 絶対にどこかで起きた出来事、場合によっては、今、三澄が住んでいる県内であった出来事であるはずなのに、どこか御伽噺のように、実感がない。


 それは当たり前のことなのかもしれない。世界は、日本ですら途方もなく広くて、人一人、それも一介の高校生でしかない三澄が身近に感じられる範囲なんて、たかが知れている。

 だから、誰かの死も、誰かの悲しみも、ただ画面の中で消費されていくのを聞き流してしまって構わない。

 そう。かつては三澄も、そう思っていた。いや、意識してすらいなかった。


 テレビを消す。

 今日は、駄目だ。夢見が悪かったのが、どうしようもなく尾を引いている。

 三澄は椀の中身をかき込むと、幾らか洗い物が残ったままのシンクに一緒に放置して、リビングを出た。

 二階の自室に戻り、学校へ行く支度を手早く済ませて、玄関へ。

 靴を履き、振り向けば、そこには真っ暗になった我が家がある。

 もう慣れたと思っていたけれど、こうして何も告げず出ていくのは、少し覚悟の要ることだった。

 


 三澄の家から学校までは、徒歩で大体十分。今日はいつもより早く家を出たので、その足取りも緩やかだ。


 三澄は雨音で気を紛らせながら、左肩に掛けた通学鞄の位置を直す。

 相変わらずの軽い鞄だ。ちょっとした風に乗って、どこかへ飛んでいきそう。

 本来なら入っているべき勉強用具は、今頃、学校の個人ロッカーでひしめき合っている。

 所謂、置き勉だ。残念ながら、三澄は教科書類を持ち帰って予習復習をするような優良生徒ではなかった。

――あんまり軽いと、それはそれで座りが悪いんだよな……。

 三澄は鞄と傘に四苦八苦しながら、小さな公園の右手を横切ろうとして――


「……ん?」

 ふと、違和感を覚えて、左を向く。

 そこには、白と黒のコントラストが特徴的な、人らしき何かがあった。

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