第218話 獣人に尊敬される無自覚勇者

 ヴィルヘルミーナは、お気に入りの赤い靴で走る。踵が高く飾りの多い靴は革製で、動きにくいのだが気にしなかった。跳ねるようにして侍従達の間を抜ける公爵令嬢に、彼らは慌てて道を開ける。


 このルベウス国で、ヴィルヘルミーナに逆らう雄はいないだろう。特に、踵の高い靴を履いた彼女に逆らう勇者はいない。ヒール装着の兎令嬢に攻撃を仕掛けるなど、愚者を通り越して一周し、勇者に昇格するくらいの偉業だった。


「ベル!」


「ミーナ、今日も美しいね」


 紺色に近い濃色の髪を揺らす少女を受け止める。18歳になったというのに、まだ12歳前後の少女に見えるヴィルヘルミーナは、飛びついてくるりと半回転して着地した。両手で受けて一緒に回って力を逃す辺り、ベルンハルトが剣術で磨いた技が生かされている。相手の力に逆らわず流す技術と、ダンスの足捌きで華麗に回ってみせた。


「素敵、今のカッコ良かったわ」


「ミーナが褒めてくれると、本当に嬉しいよ。急にきて迷惑ではなかったかな」


 気遣いは忘れない。カサンドラの教育の賜物だった。女性はまず褒め、それから都合を聞いて下手に出てお願いする。王女だった母に言われるまま覚えて育ったベルンハルトは、当たり前のようにこなす。


「一緒にお茶でもしながら、少し話がしたかったんだけれど……俺のために君の時間をもらえるだろうか」


「もちろんよ。王城は慌ただしいから、実家へ行きましょう」


 王城は現在、改築中だった。王妃ブリュンヒルデの一声で、古くなった城の一部を建て直すのだという。その作業が終わる1年後を目処に、ノアールは王座を息子に譲る予定だった。時間が足りず急ピッチで進められる工事は、至る所で騒音を撒き散らしている。


「そうだね、ご両親はご在宅かな」


「何か御用があって?」


「大切なミーナを育ててくれたご両親だ。仲良くしておきたいと思うのは当然だろう?」


「あ、あら。でも私は2人きりがいいわ」


「困ったお姫様だ。抑えた本音が溢れてしまいそうだよ」


 甘い口説き文句を披露しながら、ヴィルヘルミーナをエスコートする。ベルンハルトの後ろ姿を、侍従や騎士が尊敬の眼差しで見送った。人間の王族もやるじゃないか。獣人達は、美しくも恐ろしい棘のある薔薇を連れた人間を、心の底から褒め称えた。




 数日後、ベルンハルトは庭に長椅子を置ける藤棚を設置するよう手配した。


「ミーナの希望?」


 忙しい書類処理の合間を縫って立ち会う息子に、カサンドラは首を傾げる。あの子、こういうの要望するかしら。後輩だった王妃ブリュンヒルデとよく似た兎令嬢を思い浮かべ、疑問をぶつける。


「いえ、俺が作らせたんです。初夏は藤、秋は葡萄……一緒に過ごす場所としてプレゼントするつもりです」


 ああ、なるほど。カサンドラは納得した。アンヌンツィアータ公爵家には見事な葡萄棚があったわ。あれに触発されたのね。実家に近い環境を整えて、居心地よく過ごして欲しいと考えたところまでは合格。相手の都合を聞かずに作るところは、やっぱりアウグストの血筋ね。


 呆れ半分の母の名を呼びながら、アウグストが顔を覗かせた。


「おう! 葡萄か? 虫がつくか……うぐっ」


 余計な一言で台無しにしようとした夫の口を塞ぎ、カサンドラは人差し指で唇を押さえた。よくわからず同じ仕草を真似る夫を連れ、母は大急ぎで居間へ戻る。便箋を用意させ、ヴィルヘルミーナへ手紙を出した。


「あなたは少し、落ち着きを覚えてちょうだい」


 くすくす笑いながら、カサンドラはアウグストに藤棚設置の理由を説明し始めた。余計なことを言って気持ちをくじかないよう、注意を添えて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る