第213話 口外厳禁の女の秘密

 ドレスの仕上がりを確認し、用意されたヒールの高い靴を合わせる。太らないよう注意しながら、バールお勧めのエステで肌を磨いた。食べ物としてトマトは知っているが、これでパックにすると言われて驚いたアゼリアは、風呂でやや酔っていた。


 強い酒に漬けたトマトを肌に貼っていたのだが、匂いと肌からの吸収でぽかぽかしてくる。鼻歌を歌いながら、パックのトマトをひょいっと口に放り込んだ。輪切りにして酒に漬けたトマトは、普段食べるものより酸味が強い。


「アゼリア姫、食べたらダメですわ」


 隣で同じエステを楽しむバールに注意され、ぺろっと舌を見せて「見られちゃった」と笑う。その頬は赤く染まり、十分酔っ払いの雰囲気が滲んでいた。トマトの栄養は肌にいい、血色がよくなり艶が増すと聞いたら、女性なら興味を持つだろう。


 さっと汚れを流して、胸元にタオルを巻いたアゼリアだが……ふらふらと怪しい足取りで外へ向かった。結婚式間近の花嫁が転んで顔や体に傷を残せば一大事。大慌てでバールが追いかけた。


「こちらにお座りになって。お水はいかが?」


 冷たい水を用意して渡しながら、バールは足元にぺたんと座る。差し出された水のコップに口をつけたアゼリアは、そのまま一気に飲み干した。サウナ風呂になったエステで、汗をかき過ぎたらしい。それに加え、酒がたっぷりしみ込んだトマトをつまみ食いしたのがよくなかった。


 真っ赤な顔でにこにこと笑顔を振りまく幼い姿に、バールは「失敗したわ」と頭を抱える。こんな状態で魔王イヴリースの元へ返したら、間違いなく食われる。その場で美味しく頂かれてしまうのは決定だった。


 性に奔放な魔族でも、魔王妃は結婚まで純潔を守ることを望む。相手がいくら夫の魔王であっても、婚約者の段階で食べられるのは問題があった。メフィストもしつこいくらい言い聞かせ、なんとか魔王の欲望を抑え込んできたのだ。


 ここで台無しにするわけにいかない。つまり、彼女を魔王城に帰すのは酔いが醒めてからにしよう。酔い覚ましに何かなかったかしら? 飲み物を探しに立ち上がったバールは、ペタンとした胸に触れる手に動きを止めた。アゼリアが無邪気な子供のようにペタペタと胸を撫でている。


「アゼリア姫?」


「バール、大変よ。ここ平らだわ」


 エステの従業員が盛大に噴き出した。だが慌てて表情を取り繕い、足早にその場から逃げる。思いがけない事態に硬直したバールが、ぎこちなく活動を開始した。ひとまず胸を撫でる手を掴み、傷つけないよう引き離した。


 人並み以上に膨らんだアゼリアの胸を睨みつけ、バールは絶壁の己に溜め息をつく。平気、バラムは気にしてないもの。鍛えすぎて筋肉で分からなくなってるだけ。胸がないわけじゃないわ。自分を慰める。花嫁衣裳を選ぶ際も、胸元に大きな薔薇のコサージュを大量に飾るタイプのドレスを選んだ。周囲にバレるわけにいかない。


 アゼリアを追いかけるのに夢中で、タオルを巻き忘れていたことに気づく。深呼吸してタオルを二重に巻いて隠した。それからアゼリアの頬に手を滑らせ、ご機嫌の彼女に言い聞かせる。


「アゼリア様……あなたは何も見ていません。何も知らない。そうですね?」


「……ぅふふ、見てないわよ」


 言葉はまともなのに、とろんと潤んだ黄金の瞳が怪しい。これは完全な酔っ払いだ。絶対に明日は何も覚えておらず、頭痛に悩まされながらバケツを抱きしめるパターンだろう。大丈夫、明日の彼女は何も覚えてないんだから。


「ねえ、胸は?」


 無邪気に尋ねるアゼリアは子供と同じ。酔いで理性や常識が吹き飛んだ、幼子だと思わなければ……ぐっと握った拳を振り上げないようにしながら、バールは堪える。


「こちらを食べたら答えますよ」


 引きつった顔で、酒を大量に含んだトマトを差し出す。判断力の落ちた魔王の婚約者は、素直にそれを口に放り込んだ。酔いで動けなくなったアゼリアは、魔王のお迎えで帰城した。バールの思惑通り、二日酔いのお姫様は何も覚えておらず、1日ベッドから起きられなかったという。


 数日後、2人を担当したエステの従業員が行方不明になった噂が広がり、すぐに消えた。

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