第173話 王宮の門を叩く死者

「王宮前につきました」


 公爵家の御者の声に、王妃はスカートを摘んで馬車を降りる。すかさず手を伸ばし受け止めたメフィストは、ヒールの音を響かせて歩く王妃をエスコートした。


「王妃ブリュンヒルデですわ。開門を要求します」


「え?! お、王妃殿下……少しお待ちを」


 状況が理解できない犬獣人の門番は慌てふためいた。王妃が外に出たなら、その記録が残っているはず。だが引き継ぎの際にそんな話は聞いていないし、口頭でも説明を受けていない。だが本当に王妃なら待たせるのもマズい。判断できず、門番は遠吠えを放った。


 上司を呼び付ける、ある意味失礼な遠吠えだったが、緊急性は伝わった。大急ぎで上着を羽織りながら、鳥獣人の上司は城壁の上から飛び降りる。それを見上げ、メフィストは呟いた。


「どこの国でも大差ないですね」


 ゴエティアの悪魔に名を連ねる者も役職は立派だが、自由人すぎて規律が機能しない。便利だからと城門を使わず塀を飛び越えたり、外出の届けを出さずに魔王城から消えたりした。よく似ている。


 種族としては弱い人間は規律を守るのに、強い魔族や獣人族は身勝手というのは……ある意味世界の法則かも知れませんね。達観したメフィストは肩をすくめ、王妃を振り返った。


「王妃殿下っ! なぜ城外へ……事情は後だ。すぐに開門しろ」


 部下に命じる鳥獣人は、貴族階級らしい。グレーの羽を畳んでしっかり頭を下げた。その所作はなかなか様になっている。人間なら片腕を胸の前に畳んで肩に当て、礼をする所作に似ていた。


「ご苦労、馬車を進めなさい」


 御者に命じ、メフィストを伴って馬車に乗り込む。歩いて行かないのかと思ったが、門をくぐって事情を察した。広い芝の草原が広がっている。飾りのようにレンガの道が作られ、ガゼボや休憩用のベンチ、花壇が置かれていた。正面に見える噴水は小ぶりだが、単に遠くて遠近法で小さく見えるらしい。


「無駄に広いんだから」


 溜め息を吐く王妃だが、これも国として諸外国への体面を重んじる道具として納得している。公園にしか見えない丘の至る所に、戦争時に使う避難所や指揮所、武器保管庫が埋まっているのも知っていた。


「立派なお庭ですよ」


「私はあまり好きではないの。中庭の薔薇園は好きよ、あとハーブの庭もあるわ」


 雑談を楽しむ王妃を乗せた馬車は、弧を描くレンガの道を走り、ようやく玄関ホールについた。メフィストに手を預けて降りるブリュンヒルデの姿に、門番から報せを受けた侍従長が青ざめた顔で出迎える。


「お、王妃殿下におかれましては……」


 王妃殿下は亡くなられた。そう聞いたのに、外から帰ってこられた。それも悪魔の手を取って……何が起きているのか。侍従長の心臓は早鐘を打ち、額に脂汗が滲んだ。


「挨拶は後にしてちょうだい。あの人はどこ?」


 王妃ブリュンヒルデの声が、氷点下に下がる。冷たい問いかけに身を震わせる侍従長は、遺書を用意しておけばよかったと心で泣きながら、裏庭を示した。


「魔国のお客様とあちらに……え? 魔国の宰相閣下?! なぜ……」


 驚きに目を瞠り、侍従長は状況を理解できず後ろに倒れた。失神した上司を支える侍女達を尻目に、勝手知ったる王宮内を王妃は進んでいく。淑女の手を預かりながら、メフィストはこの後の修羅場を想像して口元を緩めた。

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