第155話 解除し忘れていました

 両手両足を食われても再生しようとする身体、それを幸いと群がる狼達。腹が満ちた獣は徐々に去り、回復が追いつき始めた。肌に刻まれた魔法陣が呪いのように光を放つ。


「死ねない、のか」


 愕然と呟いたヨーゼフは気づいた。己の取り巻きは骨を残してほとんど食い尽くされている。この場で生き残ったのは自分だけだった。このまま戻っても、フローライトやスフェーンの兵の保護は望めない。殺されるくらいなら逃げよう。そう考えたヨーゼフは、生えてきたばかりの足を引きずって歩き始めた。


 カエルのように膨らんだ肥満体は、徐々に痩せていく。歩きやすくなったことにヨーゼフは疑問を持たなかった。そのまま踏み出した足ががくりと崩れ、ようやく身体の違和に立ち止まる。


 腕の肉が腐り、足も骨のみになっていた。周囲の肉がそげ落とされたことで、持ち堪えられず折れる。骨の折れる激痛、むき出しの神経をつぶし擦る激痛に叫んだ。獣の咆哮に似た叫び声を最後に、その身は完全に朽ちる。


 転移で現れた男は空中で溜め息を吐いた。


「……解除し忘れていました」


 側近だった3人の人間とユーグレースの王太子だったヨーゼフの間に、命を補い合う魔術をかけていた。誰かが逃げたとき、その代償を贖わせるための仕掛けだったが。


 森に放置する際に解除するのを忘れたのだ。そのため最初に死んだヨーゼフの命を他の側近達が補った。3人分の命を食い生き延びた男だが、獣に食われたことが災いする。魔術の基礎となる魔法陣の一部を獣が食らったため、魔術が不完全となった。


 徐々に解除された魔術の副作用と呼ぶべきか、食われた記憶を持つ体が崩れ落ちたのに精神は不死となってしまったのだ。一種の呪いなのだが、解除しようにも魔法陣の一部は獣の腹の中だった。いずれ消化されれば効果も消えるだろう。放置しても問題はない。


 失敗したと唸るメフィストだが、すぐに気持ちを切り替えた。別に彼が生きていようと死んでいようと、処分したことが主君にバレないよう埋めてしまえばいい。精神が生きているため、アンデッド状態の彼が動き回ると困るので骨を砕くことにした。


「早くことを祈っていますよ。私は無駄に苦しめる方法を好みませんからね」


 誰かが聞いたら即座に首を横に振るような言葉を吐いて、メフィストは巨大な岩を転送する。穏やかな笑みを浮かべたまま、その岩を砕かれたヨーゼフの骨の上に落とした。


 へーファーマイアー公爵家の力で安泰のユーグレース国に王太子として生まれ、美しく聡明なアゼリアを婚約者としたヨーゼフ・ヘルツォーク・フォン・ユーグレース――金髪碧眼の王子様が最後に見たものは、慈悲すら湛えた悪魔の笑みだった。


「さて、陛下が戻られたようです。早くお迎えしなくては」


 足元の巨大岩やその下に埋められた者に心砕くことはなく、魔国の宰相は大急ぎでベリル国の本陣へ向かった。

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