第88話 歪められた理を正す赤

 久しぶりに面白い事案を見つけた。魔王になるのが面倒で逃げ回った結果、僕の代わりに押し付けられた男とそのつがい――どちらも輝きが凄い。


 生まれる前から、輝く魂は決まっている。それが僕の持論だった。どんな環境で育とうと、血筋も魔力量すら関係なく、輝く存在は世界が確定する。それを後天的に覆す方法はなかった。


 無理やり世界の意思をねじ曲げようと模索した者がいて、彼らが開発したのが呪術だ。つまり呪術は世界への挑戦状であり反逆。考えついたのが僕だったら、最高の呪術師になっただろうけど。他人が作った道を歩くのは御免だった。


 だから……完璧に解呪してやる。捻くれ歪んだ理を元の形に戻し、弊害に傷ついた部分すら修復したら僕の勝ちだ。物心ついた時から、冷めた考えの僕を慕ってくれた妹バールが望むなら、この狂った螺旋を正してやろう。


 異端で結構、僕はしたいことをして望んだ場所で死ぬ。その時はバールも道連れに……。


 歪んだ愛情を抱く妹の心配そうな表情に、バラムは口元を歪める。彼女の抱く感情が、恋愛だったら魔王を殺していた。だが主従の繋がり以上の依存は感じられない。命拾いしたね、魔王イヴリース。


 見透かすような黒曜石の瞳と視線を交わす。一瞬だけ目を見開くが、彼は気づいた事実を流した。妹を独占したい兄の感情を、否定も肯定もしない。そのことにバラムは満足した。同情や哀れみを向けられたら、この輝きを潰して魔王を狂わせただろう。物騒な研究者の粘着質な性質に、魔王は興味を示さない。


 イヴリースにとって重要なのは――最愛のアゼリアのみ。僕と同じで、唯一のために命も魂も捧げる高潔さ。唯一以外を切り捨てる冷徹さは、魔王の条件だったか。


 バラムは地下牢の床にしゃがみ込み、どかっと胡座をかいた。冷たい石床の感触も気にせず、そのまま呪術の見極めに入る。触れる必要はない。隠された糸の繋がる先、黒髪黒瞳の魔王に絡む呪術を引き寄せた。


 繋がっているから仕方ない。そう考えて生き残らせた周囲の決断は正しかったが、新たな呪の温床となった。腐った傷口を切り落とすことで痛みを感じても、治療のために切り落とすのが側近の役目だ。ちらりと視線を向けた先で、メフィストは無表情を貫いていた。


 アベルを切り捨てればよかった。だが切り捨てていたら、イヴリースはアゼリアを望まない。予定調和は世界が操る数少ないことわりで、どんな種族も歪める権利はなかった。フェニックス特有の宗教に似た観念で見極め、詰め込んだ知識を掻き集めて呪術を解す。


「バール」


 心得たように傍に膝をついた妹が、愛用の剣を抜く。準備を問う視線に頷いた。次の瞬間、彼女は躊躇いなく僕の背から腹へと武器を埋める。閃く剣技の熟練度なんて知らない。だが埋められた刃が腹を突き破り、飛び出た己の血が床を濡らした。その上に手をつく。


 激痛が呼吸を阻害した。いくら死なないとはいえ、痛みは変わらない。


「ぐぅ……げほっ」


 見苦しくも咳き込んだ口元から赤い血が溢れた。魔力を高め、流れた血に注ぐ。注意深く、そして頭に構築した魔法陣を写す依代として、血は生き物のように牢内に赤い紋様を描いた。

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