第81話 呪術というキーワード
魔王城の廊下を走る宰相の姿に、衛兵や侍女が目を瞬かせる。優雅に足早に抜けていくことはあっても、走り抜けたのは初めてだった。互いに顔を見合わせて「そう、初めてよね(だな)」と頷きあう。思わず窓の外の天気を確認する者まで出た。
幸い、天気は崩れそうになかった。
「バール」
執務室に飛び込むなり、資料の棚を漁りながら名を呼ぶ。召喚された女将軍は、不満そうに鼻を鳴らした。
「あと少しだったのよ……っ、なに?」
引き裂いて遊ぶ獲物の苦痛を引き出し、あと少しで楔を打てる。その最後の瞬間に呼び出されたことに不満を表明した。魔王イヴリースの命令ならば喜んで応じるが、メフィストに従った覚えはない。噛みつく口調が途中で凪いだ。
整理整頓を心がける彼の部屋は、几帳面な性格そのままに整えられている。その調和を崩して資料や本を引っ張り出す様子は異常だった。何かあったのだと勘づくのに、時間は要らない。心配そうに首をかしげるバールへメフィストが口早に捲し立てた。
「姫の影が薄れています。入れ替えの呪術があったでしょう、誰か詳しい者を探してください。あと資料を大至急で集めて……それから、姫にそっくりな小娘をここへ……いえ、私が資料をもって地下に行きます」
「っ、入れ替えって禁呪じゃないの! 冗談でしょう、あんなの……」
反射的に言い返し、バールは事情を察した。アゼリアの影が薄れているのは生命力ごと、誰かに奪われているからだ。それを遮るには呪術を解く必要があった。さらに逆転させて奪われた魔力や生命力を取り返さなくてはならない。
「わかったわ」
急いで地下へ転移した。通常の城内での転移は制限されるが、今は緊急事態だ。ましてやさきほどメフィスト自身が地下のバールを呼び出し、前例を作ったのだから問題ないだろう。ゴエティアの悪魔たちを集め、呪術に詳しい者を選ばなくては……すでに影が薄まったのなら時間との勝負だった。
入れ替えの呪術は、先代の魔王に使用を禁止された呪術のひとつだ。その有用性は高く、かつて当主となる者が親族から能力を吸い上げるために使用された。魔王イヴリースが兄のアベルを殺さなかった理由も、ここにある。
魔王という至高の地位は孤高であるべき――その不文律は、己を脅かす種となり得る親族を、皆殺しにすることから語り継がれた。父母や兄弟姉妹を殺し、さらに己の血族と呼べる一族を屠ることで王となる。イヴリースの親族で生き残ったのは兄アベルだけ。
同情や哀れみからの恩情ではなく、慈悲でもなかった。彼が使った呪術の影響だ。弟イヴリースが次代魔王に選ばれたと知り、兄アベルは禁忌の呪術を使った。イヴリースと自分の入れ替えを図ったのだ。
後のゴエティアである魔王軍の重鎮となる配下により、呪術そのものは阻止された。しかし呪術が中途半端に終了したことで、互いの一部が分離できなくなる。アベルを殺すことでイヴリースに影響が出るかもしれない。それがアベルを生かした理由だった。
塔に封じた彼を解き放ったのは、魔王に盾突く一部の貴族家の仕業だろう。逃げればよいものを、アベルは呪術をアゼリアにかけた。森で見つけた血や魔力、外見がそっくりの娘が受け側の器だ。
「早くしなくては取り返しがつかなくなります」
受けた器を殺せば、奪われた物は還らない。解除する方法を記した呪術に関する書物が、どこかに封印されていたはず。記憶をたどりながらメフィストは、大急ぎで資料をかき集めて地下へ飛んだ。
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