第79話 歩み寄る喪失という悪夢
ヒュドラ襲撃から5日、アゼリアは起き上がることが出来ずにいた。身体を拭いたり身嗜みを整える作業を侍女が終えると、すぐにイヴリースが迎えに来る。
「ごめんな、さい」
なぜ動けないのか分からない。酷く怠くて、呼吸すら億劫なほどだ。何らかのショック症状だろうと父アウグストは、心配そうに眉を寄せた。母カサンドラも可能な限り娘と一緒にいる時間を作る。
建国に向けて本格的に手続きが始まり、忙しい時期なのにベルンハルトも1日に何回も顔を見せた。剣胼胝のある手で頭を撫で、優しく微笑んでくれる。家族みんなに心配をかけて、婚約者に不安を与えるだけ……申し訳なさでアゼリアに沈んだ表情が増えた。
「謝るでない。そなたが腕の中にいるのだ、余に何を嘆くことがあろうか」
抱いて移動するイヴリースの腕の中は安心できる。ただただ温かくて優しい。まるで母の胎の中に戻った気分だった。私を害するものなんて存在せず、温もりに微睡むことが許される幸せに目を閉じた。
「眠ったか」
少し艶の落ちた赤毛を撫で、クッションが積まれたソファの上に横たえる。隣に腰掛けて、膝の上に彼女の頭を乗せた。ゆっくり撫でて、少しでも眠りを取れるように気遣う。
「この子に何があったのかしら」
魔法ではない。だが明らかに日々弱っていくアゼリアの姿に、誰もが口にしない不安を抱えていた。このまま弱り続けたら、息が止まってしまうのではないか?
栄養のある食事を摂らせ、可能な範囲で手足をマッサージする。弱る身体を維持するために、へーファーマイアー家の侍女や侍従総出で世話を焼いた。イヴリースが離れると怖がるため、睡眠時間を削って寄り添う。カサンドラやアウグストも交代で、アゼリアの容態を見守った。
「……探らせているが」
まだ分からない。心当たりがあるのか、ダンダリオンが地下室に篭りっきりだという。メフィストの報告でも、捕らえた人間や魔族におかしな動きはない。バール達が手分けして調べているが、今のところ成果はなかった。
アゼリアが体調を崩したのはヒュドラ出現の後、そのあたりで起きた出来事を洗い出す作業が始まっていた。倒したヒュドラの調査、巻き込まれた者の有無……関係がないと思われる部分まで、漏らさず調査が進められる。
「可哀想に、痩せてしまったわね」
カサンドラが溜め息をついて、娘の頬を撫でた。健康的な小麦色の肌は青白くなり、明らかに窶れた。不健康な痩せ方の原因は、食事が喉を通らないことだ。無理をすると吐いてしまうため、ここ2日ほどは液体に近い食事しか取っていない。
「軽くなった」
頬がこけ、髪に艶がなくなり、肌も柔らかくなった。彼女の中身がどこかへ吸い出されたような……そう考えた瞬間、イヴリースは見落とした事実に気づく。
腕の中の婚約者を凝視し、そっと抱き起こした。眠っているのに移動させることは少なく、驚いたカサンドラが声をかける。
「陛下?」
「……影が、薄い?」
言われてカサンドラが床に視線を向ける。凝視した2人の目に映るアゼリアの影は、まるで透き通ったように明るかった。
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