第78話 紛い物という火種

 目が覚めて、全身が痛かった。逆かもしれない。身体が痛いから目が覚めたのかも。


 ゆっくり身を起こして、ふわりと柔らかな巻き髪が頬に触れる。しかし少女はどきっとした。私の髪、いつから色が変わったの? 真っ赤な血のような色が視界に飛び込む。震える手で髪に触れて引っ張り、木漏れ日に透かした。


 殺された御者や付き添いが流した血の色――震えながら周囲を見回すものの、誰もいない。森の中に置き去りにされたのかしら。


 それは奴隷としての人生をやり直せるということ? 誰かが私を逃してくれたのね。やっぱり私は運がいい。ふらりと立ち上がると、痛む足を引きずって前に踏み出した。


 小麦色に焼けた肌に、愛らしく染めた爪が光る。息をしても、足を踏み出しても、手でどこかに触れても痛かった。もう痛くない場所がわからない。ふらふらとバランスが取れずによろめきながら、少女は歩いた。


 喉が渇いた。素足が痛い。さっきから首筋が痒いのは虫に噛まれたのだろう。纏うワンピースは粗末なものではなく、あのカエル王子に貰った絹の手触りだ。ドレスじゃないのに、絹を使うなんて贅沢ね。普段着のワンピースなのに豪華な素材で、首にはネックレスもある。


 ちゃらんと音を立てる首飾りを確認しようと弄るが、外れなかった。仕方ないと諦めた彼女は、木の根に躓いて倒れる。手をついた地面に鋭い物があったのだろう。ちくっとした刺激とともに、血が流れ出した。


「もう、無理」


 こんな場所に倒れ込んだら死んでしまう。そう思いながらも動けなかった。とにかく全身が痛くて、怠くて、指を動かすことすら辛い。ぽろりと涙がこぼれ、頬を伝った。そのまま彼女の意識は途絶えて消えた。







「これは……どういうことだ?」


 アゼリアの血の臭いがした。獣としての嗅覚ではなく、本能に近い部分がかぎ取った香りの確認をするため、森の中に立つ。イヴリースが眉をひそめて足元の汚れた少女を眺めた。


「メフィスト、ダンダリオン」


 側近と、幻術を得意とする配下を呼び出す。現れて膝をついた彼らは、倒れた少女に気付いて目を見開いた。


「……我が君、これは」


「陛下の……いえ、違う? ですが」


 困惑した顔で答えを求める2人に、イヴリースが溜め息をついた。やはり幻術で片付けることは出来ないようだ。ダンダリオンが見抜けないなら、通常の手段で作られた『紛い物』ではない。血の臭いまで共有するとしたら、迂闊に処分もできなかった。


「どこかに確保しておけ」


 保護はしなくていい。ただ生かして現状維持しろと告げた。頭を下げた配下に頷き、イヴリースは急いで新興国クリスタの王城となる屋敷に戻る。最愛の者の血に惹かれて確認しに来たが、本物は屋敷で眠っているのだから。


 顔の確認もせずに消えたイヴリースは知らない。行き倒れた少女を回収するメフィストが、仰向けに転がして息をのんだ。


「……そっくり、ですね」


 顔も手足も……纏う魔力の色すら。触れたらイヴリースの罰が下されるのではないかと怯えるほど、彼女はアゼリアに瓜二つだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る