第77話 愛しい姫の我が侭を
愛しい女性の赤い髪を優しく撫でる。自然と口角が上がり、目元が緩む。きついと評される美貌は、柔らかく溶けていた。
「魔王陛下のご寵愛深く、この子も幸せなこと」
傷を癒したカサンドラは、淡い緑のドレスで東屋の長椅子に腰掛ける。目の前で膝枕をされた我が子は、精神的な疲れからか眠りが深かった。夜になるのが怖いと泣き、幼子のようにぐずる。そんな娘もイヴリースが抱きしめれば、すぐに眠りの腕に身を委ねた。
「怖い思いをさせてしまった。罪人はこちらできっちり処断する」
許せとは言わない。許される気もなかった。長い生涯をかけて、彼女の傷を癒して柔らかく包みたいだけだ。引き離される罰は拒むが、それ以外の望みはすべて叶えても構わない。
眠れないから触れていてと言った。手を握って離さないで欲しい。そう願ったアゼリアの細やかな我が侭まで愛しくて、願う甘やかな声を思い出して口元が緩んだ。
「俺は許さん」
アウグストは唸るが、無理やり引き離そうとしなかった。昨日怯える娘に近づいた途端、ぽろぽろと大粒の涙をこぼして泣かれたのだ。イヴリースがいないと怖い。そう言われたら同屋で休むことを拒否できなかった。
アゼリアの精神が安定しているのは、目の前のいけすかない魔王の存在ゆえだ。分かっていても認めたくない。不埒な手を伸ばしたら叩き切る。その覚悟で、朝から一緒に行動していた。
「構わない」
憎まれるのは慣れているし、アゼリアを手放したくない父親の気持ちも少し理解できた。以前のイヴリースなら相手の感情など無視しただろう。アゼリアに関わりのある者というだけで、アウグストやカサンドラの存在を許容できた。
気配に気づいて顔を上げる。数人の男が近づき、アウグストに話しかけた。礼儀正しい彼らは、新たなこの国の貴族となる者だ。かつて辺境伯や侯爵の地位を賜った彼らは、ユーグレースを見限ってこちらについた有能な者ばかりだった。
「父上、手伝ってください」
顔を見せたベルンハルトと辺境伯らに詰め寄られ、強硬に抵抗できないアウグストが引き摺られていく。
「ごめんなさいね、騒がしくて。あの人も頭では陛下に嫁ぐのがアゼリアの幸せだと分かっていて、感情で納得できないみたい」
くすくす笑うカサンドラは、アゼリアとそっくりな仕草で髪をかき上げた。ルベウス国の支援を得て、このへーファーマイアー公爵領は新たな国を興している。集った貴族の数は、アウグストの人望の賜物だった。ベルンハルトも有能だが、建国には父アウグストの名声が欠かせない。
「国が安定するまで、結婚は待った方がよいな」
すぐにでも妻だと宣言したい。だが、今後のことを考えれば自制は可能だった。ユーグレース国に反逆し離反したへーファーマイアー公爵令嬢ではなく、新たに建国されたクリスタ国の王妹として嫁ぐ――サフィロスの王妃になるに当たり、どちらが有利か。
力がすべての魔族は、魔王の決定に異を唱えたりしない。それは表立っての話であり、イヴリースに隠してアゼリアを侮るだろう。ルベウスとクリスタ、2つの血を引く王族となれば肩書きが彼女を守る。
そう話したのは、昨夜のことだ。納得したカサンドラはすぐに実家の弟王と連絡を取り、息子の尻を叩いて建国を急がせた。
すべては順調に進んでいる。
「ん……イヴ、リース」
「ここにいる」
無表情で冷徹な残虐王、そんな男はここに居ない。アゼリアという珠玉の存在に魅せられたイヴリースは、甘い声で答えて彼女の頬を手のひらで包んだ。
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