第8話 もう一度、この場所から
夏の強い日差しと、時折吹きつける優しい潮風に包まれながら、玲子は横山の目の前に立つと、昔を思い出すかのように訥々と語りだした。
「あなたが娘に送った写真集を見せてもらいました。昔の私が写っていると勘違いするくらい似ていて、驚いたと同時に、昔、あなたと一緒に鎌倉で撮影しながらデートしていた頃のことを色々と思いだしました。私にはすっかり遠い過去の話なのに、あなたは変わってないなあって……」
強烈な太陽の光が真上から照り付け、玲子は額の汗が気になりはじめ、持っていた白い日傘をその場に置くと、ハンカチをバッグから取りだし、額をそっと押さえた。
その時横山は、何かを思い出したかのように、突然掌を叩いた。
「そうだ……思い出したよ!僕が最初にあなたに出会ったのはここ稲村ケ崎で、その時あなたは、白い日傘をさしていた。今日はその時のあなたと、全く同じだなんて、偶然にしては出来すぎですよ」
「そうでしたね。ここでボーッと海を見ていたら、あなたが突然私に声をかけ、会って数分も経たないうちに、『撮影にお付き合いしていただけませんか?』って切り出されて。私、あまりの強引さに驚いちゃった」
玲子は、地面に置いた日傘を拾うと、そのまま、横山から目を逸らすような素振りで、背後に広がる相模湾を眺めた。
「あの時もそうだった。あなたは海をじーっと見ていた。物哀しげな顔でね。それがたまらなく美しかったし、この景色の中にとけ込んでいた。カメラマンの血が騒いで、抑えられなかった。もちろん、強引なことをしたと反省はしていますが……」
「……反省、してないじゃん。私にも同じようなことしたじゃん」
夕夏が脇から、唸るような声を上げながら横山を睨んだ。
「あはは……そうだったよね。僕の悪い癖だなあ。お二人とも、ごめんなさいっ!」
そう言って、横山は深々と頭を下げた。
すると玲子はクスクス笑いながら、横山の肩をたたいた。
「横山さん、いいのよ。こんな私でもモデルさんになれるんだ~って、ちょっと自信になったから」
「いや、小百合さん……あなたは僕にとって、これ以上ないモデルでした!特にこの鎌倉を舞台にした写真を撮るには、最高の被写体でした!」
「相変わらず、お口がお上手ね」
「そ、そんな!本当のことですよ!」
そういうと、横山はカメラの機材をバッグから取り出した。
「もしあなたが許してくれるならば、今日、もう一度あなたをカメラに収めたい。あなたをモデルに、この鎌倉で撮影したい。時間は取らせません!どうかお付き合い頂けるでしょうか?」
横山は、以前夕夏に対して勧誘した時と同じような口調で、玲子を撮影に誘った。
玲子はしばらく腕組みし、黙していたが、やがて横山の方を向き、笑顔を見せた。
「いいわよ。ただ、あの時と違って、夕飯の支度をしなくちゃいけないから、それまでのお付き合いでいいかしら?」
「も……も、もちろんですとも!」
横山は、感極まったような表情を見せると、肘で何度も目の辺りをこすりながら、あふれ出てくる涙を拭った。
そして、駐車場に駆け足で戻ると、カブのエンジンを勢いよく回した。
「さあ、小百合さん。僕の後ろに乗って下さい!」
「は~い、というか、あの時と同じバイクにまだ乗ってるの?」
「いや、これが3代目です。あなたを乗せたのは初代です」
「ふーん、これ以外の車種には乗らないんだ?」
「だって、僕の大好きな鎌倉を撮るには、こいつが最高のパートナーだから」
そういうと、横山は親指を突き出した。
玲子は日傘を畳むと、夕夏に手渡した。
「じゃあね。今日は一日楽しんでくるわ。夕夏もせっかく鎌倉に来たんだから、のんびり楽しんで、待っててちょうだい」
「わかった。じゃあ、夕方に鎌倉駅で待ってるからね。私のことはいいから、二人きりの時間を、とことんまで楽しんできてね」
「ど、どういう意味よ!?」
玲子は顔を赤らめながら声を荒げたが、夕夏はリスのように口元を押さえながら笑い続けた。
横山はヘルメットを玲子にかぶせると、玲子は横山の背中にそっと腕を回した。
「じゃ、行きますよ、小百合さん」
「はい、眞一郎さん」
「え?僕の名前……」
「ちゃんと覚えてるわよ。昔、私が大好きだった人だもん」
「!!さ、小百合さん……」
玲子が顔を赤らめる横山の反応を見ていたずらっぽい顔で笑うと、ヘルメットを被ったまま全身を横山の背中に付着させた。
横山は、照れを隠すかのようにヘルメットを深々と被り、カブのエンジンをふかすと、国道134号線を江ノ島方面に向けて走り出した。
カブは国道に出ると一気に加速し、あっという間に夕夏の視界の中に姿が見えなくなった。
「ふう……お母さん、大好きだった人とデートか!うらやましいなあ!ちくちょう」
夕夏は羨望の眼差しで、江ノ島方面に消えていくカブの行方を見届けると、稲村ケ崎公園の遊歩道を駆け上がり、東屋のある見晴台のベンチで腰を降ろした。
ハンカチで額の汗を拭うと、冷えたペットボトルをバッグから取り出し、口の中に思い切り注ぎ込むと、ここまで汗にまみれながら歩いた疲れも、体中に籠っていた熱気も、全て嘘のように吹き飛んでしまった。
「はあ……やっぱりこの場所が好きだなあ!今日はいい感じに海風が吹いてて、最っ高!」
真上には怖いほど真っ青な空が、真下にはおだやかに澄み渡る相模湾がどこまでも広がっていた。
夕夏は立ち上がると、ノースリーブのワンピースを風にはためかせ、目を閉じて、大きく手を広げ、燦々と降り注ぐ太陽の光と、心地よく吹き付ける潮風を全身で受け止めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます