第7話 思い出のフォトブック
梅雨が明け、朝から強烈な日差しが照り付ける土曜の朝、仕事が休みの夕夏の家の前に、宅配便のバイクが停まった。
「原田夕夏さんのお宅でよろしいですか?」
「はい」
「こちら、届きましたので」
夕夏は、配達人から丁寧に梱包された紙袋を頂いた。
差出人は、『横山 眞一郎』となっていた。
早速、自分の部屋に戻って紙袋を開けると、そこには鎌倉の稲村ケ崎をバックに、海を見つめながらどこか物憂げな顔をした夕夏が、表紙に写っていた。
タイトルは『もうひとつの鎌倉物語』。
ページをめくるたびに、あの日、横山のカブに乗って鎌倉の街中を走り、撮影した思い出が走馬灯のようにかけめぐった。
「あら?それ、夕夏?」
後ろから、玲子の声が聞こえた。
振り向くと、掃除機を抱えた玲子が、夕夏の真上から見下ろすように写真集を見ていた。
「お、お母さん!見てたの?」
「うん。というか、ちゃんと自分の部屋くらい掃除しなさいよ。私、いつもあなたが留守の間、掃除機かけてるんだよ」
「う、うるさいなあ、後でやるから大丈夫だよ」
すると、玲子は夕夏の隣にしゃがみ込み、写真集に写る夕夏の姿を一緒に見つめた。
「これ、横山さんが撮ったの?」
「そうだよ」
「しかし、夕夏はどの写真でも全然笑ってないわね。横山さんも相変わらず、こんな暗い顔したモデルを撮るのが好きなのね」
「それって、お母さんも一緒でしょ?」
「アハハ、そうだけどね。でもさ、写真見ていて思ったけど、夕夏って、私の若い頃とそっくりだよね」
「そ、そうかな?」
「私の気のせいかもしれないけど。あれ?夕夏、最後のページに、何か挟まってるわよ」
玲子の話を聞いて、夕夏はあわてて最後のページを開いた。
そこには、一通の封筒が挟まっていた。
封筒を開くと1枚の手紙が同封されており、夕夏は手紙を開くと、声に出して読んでみた。
『夕夏さんへ この前は突然撮影にお付き合いさせてごめんなさい。でも、とても楽しく撮影できたと思います。何より、夕夏さんには、小百合さんの面影があり、楽しく撮影していたあの頃を思い出さずにいられませんでした。なので、写真集のタイトルは、小百合さんを撮影した『わたしの鎌倉物語』を引用し、『もうひとつの鎌倉物語』とさせていただきました。またいつか、鎌倉でお会いしたいです。
横山 眞一郎』
夕夏が手紙を読み終えると、玲子が膝を抱え、しんみりした顔で口を開いた。
「ああ、そうだ!思い出したよ。確かに、私を写した写真集のタイトルは『わたしの鎌倉物語』だったかもね。彼、今でも私の事をちゃんと覚えてるのね……」
夕夏は、懐かしい思い出に耽る玲子の横顔を覗きながら、ずっと胸の中で引っかかっていた言葉を伝えた。
「お母さん、本当はどうなの?横山さんのこと、ずっと好きだったんじゃないの?振ったことは後悔してないの?」
すると、玲子はしばらく何か考えた後、スッと立ち上がった。
「後悔はしてないよ。でも、今も好きかもね。心のどこかで……」
そういうと、掃除機を抱えて部屋の外へと出て行った。
夕夏は、そっけない玲子の答えにため息をついた。
玲子は当時の思い出を楽しそうに話してくれるけど、どこか歯切れの悪いものを感じていた。
もどかしい思いを抱えたまま、夕夏は写真集が入っていた封筒を処分しようとした。その時、封筒に貼られた宛名シールの送り主の欄に、横山の携帯電話の番号が記されていることに気がついた。
こうなったら、玲子を鎌倉に連れて行き、横山に直接会わせるしかない。
そうすれば、横山の気持ちに触れることができるし、少しは自分の本心と向き合ってくれるかも……?
玲子の許可も得ず勝手に話を進めて良いか悩んだが、夕夏はスマートフォンを取り出すと、一か八かの思いで、宛名シールに書いてある横山の連絡先の番号を押した。
「もしもし……横山ですが」
少ししわがれた、中年男性の声が受話器の向こうから聞こえてきた。
「原田夕夏です。横山眞一郎さんですか?」
「あれ、夕夏さん…ですか?」
「そうです。写真集を送って下さり、ありがとうございました。送ってくれた袋に、横山さんの連絡先が書いてあったので電話しちゃいました。ごめんなさい」
「ああ、だから僕の携帯番号を知っていたのか。どこで調べたのかと思ったよ」
横山は、夕夏からの突然の電話に驚いていたが、事情が分かると、少しほっとした表情を浮かべていた。
「実は、横山さんに会っていただきたい人がいるんです。鎌倉まで連れて行きたいんですけど……会っていただけますか?」
夕夏からの提案に横山はしばらく言葉を発しなかったが、少し間を置いた後、ようやく言葉を口にした。
「良いですけど……一体誰ですか?」
「それは、会ってからのお楽しみってことで」
「え?だ、誰なんです!?この僕に会っていただきたいって?すごく意味深だなあ。そんな勿体ぶった言い方しないでくださいよぉ」
スマートフォン越しに慌てふためいた横山の声を聞きながら、夕夏はクスクスと笑い続けた。
横山に連絡を取った後、夕夏は玲子を説得した。
玲子は最初は気が進まない様子であったが、夕夏のしぶとい説得の成果もあって、ついに観念し、鎌倉に行き、横山に会うことを決意してくれた。
□□□□□
朝早い時間帯にもかかわらず、夏の強烈な日差しが燦々と照り付ける中、夕夏は、玲子とともに江ノ電・稲村ケ崎駅で下車した。
大きな麦藁帽子を被り、鮮やかな黄色やオレンジの花柄をあしらったワンピースを着込んだ夕夏は、藍染のワンピース姿で、日傘を差して歩く玲子を連れて、駅前の商店街の中を進んだ。
やがて国道134号線が見えてくると、真正面から潮の香りをたっぷり含んだ海からの風が吹き始めた。
そして、車が行き交う国道の向こうには、真っ青な海が広がっていた。
「わあ!海!ひっさしぶりだなあ」
玲子は、両手を広げ大きく呼吸をしながら上を向くと、どこまでも真っ青な夏空が広がっていた。
ガードレールの向こうに広がる相模湾には、無数のサーファー達が波間から浮き沈みしながら姿を現していた。
そして、二人の正面には、鬱蒼とした森に覆われた稲村ケ崎公園が見えてきた。
公園に近づくと、入り口の駐車場に1台のカブが置いてあった。
人も乗ることができる荷台を搭載したカブ…間違いなく、これは横山のものである。
「横山さん、このバイクの後ろに私を乗せて、撮影したんだよ」
「へえ、私もこんな感じのバイクに乗せてもらったな」
「お、お母さんも!?」
二人がカブをじっと見つめていたその時、すぐ後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「カブ、乗ってみたいですか?二人とも」
振り向くと、そこにいるのは、あの時のようにアロハシャツをまとい、伸ばした髪を後ろでまとめた横山だった。
「こんにちは。今日は会いに来ちゃいました。私と……私のお母さんで、ね?」
「こんにちは、夕夏の母親の玲子です。先日は、娘が世話になりました」
玲子は、横山の目の前で軽く頭を下げた。
「え、あなた……ひょっとして、小百合さん?」
「そうです、よく分かりましたね。こんなに皺だらけの顔になったのに」
玲子は、自分の顔を触りながら、ニコッと笑った。
その瞬間、横山は驚きのあまり腰を抜かしてしまい、その場にドスンと音を立てて、しゃがみ込んでしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
玲子は慌てて横山に近づき、両手で体を引き上げようとした。
「ああ、ごめんなさい。取り乱してしまって……しかし、本当に、あの小百合さん!?」
「そうですよ。そして夕夏は、私の娘です」
玲子の言葉に、横山は体中が痙攣し、衝撃を隠せない様子であった。
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