後日談27話、そして聖女は歩き出した
あの日のことを思い出すのは、レーラにとってさほど難しいことではない。
世間では、十年と少しの月日が流れていたが、レーラにとっては、半年ほど前の出来事だったからだ。
勇者ソウヤの魔王討伐パーティーに加わり、旅をした。その戦いの中、傷つき、石化の呪いをかけられて時が止まったレーラだったが、復活した時、幼かった妹は自分と同じくらいの歳に成長していた。
再びソウヤに同行して、改めて世界を、聖女ではなく、一人の人間として見てきた。このままこの旅が続くことを、レーラは願った。
そこに大きな出来事を望んでいたわけではない。ささやかな日常に見出した幸せを感じられればそれでよかったのだ。
しかし、再び現れた魔王軍と新たな魔王との戦いで、勇者ソウヤは帰ってこなかった。
幸せな日々は終わりを告げたのか。
魔王とソウヤの相討ちによって決着してしばらく、レーラは心臓に穴が空いたと思えるほどの空白を抱えて、しばし一人となった。
聖女として、人を救ってきた。しかし、その力があって、消えてしまったソウヤを蘇らせることはできない。
ただ、不思議なことに、涙は出なかった。あるいはソウヤの死を思考が受け付けていなかったのかもしれない。
聖女は、人の死を悲しみ同情はしても、涙を見せてはならない――教会での教育で、レーラはそう教わった。
泣いてはならない。悲しみは人に伝染するが、聖女が起点になってはならない。泣くよりも微笑み、母のように、神のように、人を抱きしめてあげなさい。
聖女は気丈でなければならない。強くなくてはいけない。優しくなければいけない。
こうした聖女として作られたレーラは、ソウヤの死にも泣くことができなかった。ソウヤの育てた銀の翼商会は、その大黒柱をなくして悲しみに包まれている。そんな雰囲気の中、聖女であるレーラは『人前』で泣くことはできない。
『悲しい時はさ、泣いてもいいんだよ』
かつて、旅の途中、ソウヤはレーラにそう言った。
銀の翼商会には、建前は聖女として世界を回って救済の助けになれば、という理由で同行していたが、実のところ、ソウヤはレーラに『聖女の役割』を強制しなかったし、普通に、好きなようにやらせてくれた。
だいぶ外の世界に慣れてきたと思った。だから、ソウヤがいなくなり、自分でも恐らく泣いてしまうだろうと思い、部屋に一人でこもった。
泣いている姿を、人に見せないように。
だがどうだ。実際、一人になり、思い切り泣いてもよかったのに、レーラは泣けなかった。
悲しいのに、辛いのに、泣けなかった。人がいなくても、泣けなかったのだ。――あぁ、何ということだ。人の死を目の当たりにしても泣けなくなったとは。
――家族の前では泣けたんだけどな。
両親との再会の時は、さすがに泣いたが、それは悲しいとは別で嬉しい涙だった。そう分析すると、やはり悲しい涙は流せないようだった。
しばしソウヤとの思い出に浸る。そうやって思い出すこともなくなるまで空っぽになったが、結局泣かなかった。
それから、これからどうするべきかという考えが脳裏をよぎった。如何なる時も、聖女として振る舞え――その考えが、レーラに染みついていたのだ。
空っぽになって改めて、染みついているものがはっきりわかる。聖女は立ち止まってはならない。人々の規範として、常に進み続けなくていけない。
――私に出来ることは何か?
聖女の力を使い、人々を救済すること。――私には、それしかない。
『人間、出来ることしかできないもんだ』
かつてソウヤは言っていた。
『出来ないことを出来るようにするのも、必要ならするけど、そうでないなら、無理にしなくてもいいだろ』
勇者は快活だった。
『やりたくないことは、やらなければいい。周りのことより、まず自分がどうしたいか、はっきりさせること。言われたからやるのと、自分で考えて納得してやることは、同じ行動でも違うんだ』
ソウヤは自身を指さした。
『オレは勇者なんて言われているけど、勇者だから戦うんじゃなくてさ、沢山の人が傷ついたり死んだりするのが嫌だから、オレは戦ってるんだ』
たとえ勇者でなくても、この力があるのなら戦った――と、ソウヤは言っていた。
『だから、レーラもさ。聖女だから、じゃなくてさ。自分がやりたいこと、やらないといけないと感じたことをやればいいと思う』
自分で考えること。自分で決めること。周りに流されず、言われるがままではなく、自分自身の行動を、他人のせいにしないこと。
かつての魔王討伐後、ソウヤは、あろうことか行商を始めた。誰かに強制されたわけでもなく、自分でできることを考えて、そうしたのだ。
「なら、私も――」
周りに言われたからではなく、自分で決めて、何かをしよう。レーラは考えて、そして決めた。
銀の翼商会を整理するセイジにもとを訪れて、彼女は告げた。
「今回の戦いで、多くの人が傷つきました。私はその救済の旅に出ようと思います」
誰かに言われたわけでもない。自分で考えて、自分の意思で。
銀の救護団――その第一歩がこの時、刻まれた。
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