第506話、魔王の後継者の憂鬱


 ドゥラーク様――


 遠くから女の声がした。


 ドゥラーク様――


 その声に、灰色肌の蛇竜がそっと目を開いた。蛇には瞼はないが、ドラゴンは別だ。


『ブルハか』


 蛇竜の姿のドゥラークは念話で応えた。

 妖艶な容姿のサキュバスクィーンであるブルハが跪いている。


『何か報告か?』

「はい。エンネア王国に潜入していた我が軍の工作部隊が壊滅いたしました」

『そうか』


 あまり興味なさげにドゥラークは言った。


『お前の諜報員もか?』

「いえ、こちらは健在にて、各地で人間どもの動きを報告しております」


 ブルハは、ドゥラークを見上げた。ドラゴンの姿である魔王の息子は、人間サイズのブルハよりも遥かに大きい。


「エンネア王国の工作部隊は、捕虜となった者の口から潜伏先が露見した模様です」

『この地下城の存在もか?』

「おそらくは。ですが、この地下を移動する城を、人間たちは見つけることなどできません」


 その点は、ブルハは微塵も心配していなかった。


「それとは別件にて、気掛かりがございます」

『申せ』

「は、かの王国にて、飛空艇の建造が本格的に開始されました。ドワーフどもの集落ルガードークに飛空艇の同時発注が行われ、王国もまた動いている模様です」

『建造と申したか?』

「はい、マイマスター。連中は人工飛行石を製造する手段を手に入れたようです。結果、飛空艇を建造する最大の障害を克服したものと思われます」


 大重量の船を空に浮かべる技術。自ら翼を持つ種族も多い魔族でさえ、その技術の開発には苦労させられた。


『なるほど、それは一大事だな』


 しかしドゥラークには、緊張感はまるでなかった。


『我が空中艦隊の整備は、まだ終わっておらんのだろう?』

「はい、当初の予定の半分ほどしか就役しておりません。……ですが」


 ブルハは力を込めた。


「現在の戦力でも充分、人類勢力を駆逐することは可能かと。敵に対抗手段を得られる前に、動き出すべきかと……」

『私に意見する気か、ブルハ』

「!? い、いえ、そんな……」


 頭を下げるサキュバスクィーン。ドゥラークは、くくっと口元を歪めた。


『すまぬ、ブルハよ。少しからかっただけだ』

「ドゥラーク様……」

『少し、私の愚痴に付き合ってくれるか?』

「はい、喜んで」


 恍惚とした表情を浮かべるブルハ。彼女のドゥラークへの気持ちとは、神への信仰にも似たものがある。


『私は、魔王になどなりたいとは思っておらん。魔王とは強く、誰もが平伏す存在でなくてはならぬ。我が父は、まさしく魔王であった』

「……」

『しかし、父亡き後、次の魔王の座を巡る争いが起きた。これはひとえに、私に魔王としての力がなかったからだ』

「いえ、そのようなことは!」


 ブルハが声を上げた。ドゥラークは強い。決して先代魔王に劣っているところはない。少なくともブルハはそう思ってる。


「あの争いは、自ら魔王になろうと愚か者どもが身の程知らずにも名乗り上げたために起きたもの。ドゥラーク様が気に病むことなど、何一つございません!」

『ありがとう、ブルハ。しかし違うのだ』


 ドゥラークは小さく頭を横に振った。


『私が真に魔王に相応しいのならば、そもそも愚か者どもが魔王になろうと考えもしなかった。私に平伏しなかった者がいた時点で、私は魔王に相応しくなかったのだ』

「そのようなことは……」


 ブルハは唇を噛んだ。憎い。我らのドゥラーク様のご威光を汚し、魔王を僭称しようとしたウジ虫どもを。


『結果として、魔族は分裂して今日に至る。やはり、我々には父である魔王が必要だったのだ。……そう思ってきた』

「ドゥラーク様……」

『しかし、父の魂は冥界に存在しなかった。どれだけ魂を集めようとも、それを引き換えに現世へ呼び出すこともできない』


 比類なき力を持つ魔王を現世に帰還させられれば、この魔族同士の争いも即座に収まるだろう。


 十年前のように魔王軍はひとつとなり、今度こそ父の掲げた世界を魔族が支配する世となったものを。


「憎きは、異世界勇者!」


 ブルハの表情が憤怒に染まる。


「あの者が、先代魔王様の魂をも消滅させてしまったに違いありません。魂さえ残さず消してしまうなど、許しがたい存在です」

『お前はそう思うか、ブルハよ』

「もちろんです!」

『そうか。私は違う考えを持っている』


 ドゥラークは天井を見上げた。


『我が父は、死しておらぬ。次の世界へ旅立たれたのだ。さらなる高次元の世界へ』

「次の……世界へ……?」


 ブルハには理解ができなかった。しかしドゥラークを微塵も疑ってはいない。自分の考えのつかない深淵なお考えをされていると、ますます崇拝するのである。


『いつまで待とうとも、もはや魔王はこちらにはお戻りにはならない。そうなれば、私も動かねばなるまい』

「では、いよいよ人類への攻撃を――」

『それは後回しだ。まずは、未だにまとまらない魔族の問題を解決せねばならぬ』


 蛇竜だったドゥラークの姿が、人型に変わる。ブルハは歓喜の表情を浮かべる。


「粛清ですね!」

『実に――』


 銀髪の青年の姿になるドゥラーク。ブルハも若い美女であるが、ドゥラークもそれに負けないほどの美形だった。


「不愉快極まるがね。やはり私は魔王にふさわしくないのだ。私が自ら手を下さねばならぬとは、私も愚か者どもと同じレベルであることの何よりの証明なのだからな」


 やはり、父は偉大だった――ドゥラークは思う。存在だけで、魔族すべてをひれ伏させたのだから。

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